作家の読書道 第286回:伏尾美紀さん
2021年に江戸川乱歩賞を受賞したデビュー作『北緯43度のコールドケース』がはじめて書いた警察小説だったという伏尾美紀さん。第4作となる『百年の時効』で大藪春彦賞と吉川英治文学新人賞受賞と、瞬く間に熟達ぶりをみせる書き手はどんな読書遍歴を辿ってきたのか。探偵小説、警察小説、ノンフィクションなど、現在の執筆活動に繋がる読書体験が見えてきました。
その6「作家デビュー&執筆に影響を与えた作品」 (6/8)
――ご自身で小説を書き始めるのはもっと先になりますか。
伏尾:投稿しようと思ってはじめて最初から最後まで書き上げたのが40代でした。それで一回BLでデビューしたことがあります。「BLってこういう感じでしょう」と表面上の知識で書いたものが賞をとってしまって。デビューしたのはいいけれど、恋愛ものばかり求められて書けなくなってしまいました。ラブを抜かしたらBLじゃないって分かっていたはずなのに、自分の底が浅さかったんです。
その時に、自分が髙村さんとかを読んでいた時に漠然と作家になりたいと思ったのは、やっぱりミステリ作家になりたいということだったんだなと気づきました。それで、一回挫折したけれど、今後もしチャレンジするんだったら、自分が本当に書きたいジャンルでチャレンジしなくては駄目だと思いました。でも、傑作が書けない限り新人賞に応募するなんて無理だという気持ちはまだ残っていて、なかなか一歩を踏み出せなかったんです。そうしているうちにコロナ禍になり、緊急事態宣言が出されて、街から人がいなくなったのを見た時に、あ、やっぱりここでなにかしなくちゃ駄目だって、追い込まれたような気持ちになって。で、別に最高傑作でなくても、読むのは関係者だけなのでいいや、という気持ちで警察小説を書き上げました。
――それが2021年に江戸川乱歩賞を受賞した『北緯43度のコールドケース』なんですね。札幌郊外の倉庫から発見された女の子の遺体が、5年前の誘拐事件の人質と同一人物だと判明。当時、容疑者は逃走中に死亡し人質は行方不明のままだった。この5年間少女はどこにいたのか、なぜ今になって殺されたのか...という。北海道県警の沢村依理子が捜査に加わったところ、思わぬ展開が待っています。これがはじめて書かれた警察小説だったということに驚きます。
伏尾:本当に巡り合わせというか、いろんなものの結果そうなったのかなと思います。後から自分が書いたものを読み返した時、やっぱり横山さんや髙村さんを意識して書いているなと感じました。自分はやはり横山さんのような組織のギスギスしたところを書きたかったんだなとか、一人で捜査する一匹狼ではないけれど、警察組織から疎まれつつも事件解決に邁進する刑事を書きたかったんだな、といったことが分かるというか。これまで読んできた警察小説のエッセンスを継ぎ接ぎしながら書き上げて、どうにか形になりました、というところですね。
――警察小説を書くとなってから、警察組織について調べられたわけですか。
伏尾:これもヤクザのシリーズと一緒で、これまで読んできた事件もののノンフィクションの中で役に立つものがありました。たとえば北海道警といえば警察幹部が裏金を作っていたというスキャンダルと、あと稲葉事件という有名な事件があるんです。ヤクザから回収した拳銃の数をノルマにして競わせる内部体制があって、その中で抜群の成績を収めていた稲葉という刑事が実はヤクザと癒着していて、わざと拳銃を提出させ、それを実績としてカウントしていたという。プラス、彼と彼の愛人の警察官は覚醒剤をやっていたという、ものすごいスキャンダルがあったんです。それを曾我部司さんという方が、『北海道警察の冷たい夏』というノンフィクションにまとめていて、そこに警察内部の詳しい描写がいっぱいあって。階級とか、キャリアとノンキャリアの違いみたいなものも、こういう本から少しずつ学んでいました。その後、佐々木譲さんの道警シリーズが始まるんですけれど、佐々木さんはこの裏金問題と稲葉事件を扱って『笑う警官』を書かれているんです。ここでも道警内の詳しい事情が書いてあって、それが頭の片隅にありました。
あとはそうしたものに書かれていない部分や、足りない部分、あるいは確認したい部分を調べればいいだけなので。元警察官とか元刑事だった人たちが結構ホームページで情報発信していて、検索エンジンに投げるとそれらが引っかかってきてくれたので、そこで情報を補完しながら書いていきました。
――主人公の沢村依理子は、博士号を持ちながら30歳で警察官となったノンキャリの刑事です。彼女の人物像はどのように作られていったのですか。
伏尾:私はわりと、一場面がふっと頭に浮かんで、それを小説の中に書きたいなというところからスタートすることが多いんですね。『北緯43度のコールドケース』の時は、最後の取り調べのシーンを書きたいというのが最初にあって、そのためにはどういう物語にすればいいかを考えました。最初は沢村を20代でキャリア4、5年という若い設定で考えていたんですね。誉田哲也さんの『ストロベリーナイト』シリーズの若い天才的な女性刑事みたいな主人公をちょっと意識していました。でも、警察関係のノンフィクションなどで調べれば調べるほど、取調官はある程度実績のある人じゃないとできないと分かってきたんですね。主人公に取調室に入ってもらうには、もうちょっと年上にしたほうがリアリティがあるなと思いました。でもたとえば38歳にすると、彼女のこれまでの警察官人生を物語の中に落としこまないといけない。その場合、過去の大事件を解決したあの沢村、みたいなキャラにするのがいいのかどうか悩んで、もういっそのことそういうのは取り払うことにしました。ノンキャリアの中でもちょっと学歴の高い人は、最初の現場まわりなどをスキップさせて本部で大事に育てる、みたいな話を何かの記事で読んだことがあったので、そういうポジションに置けばノンキャリだけど階級もある程度高く、かつ取調室に入っても違和感がないキャラにできると考えました。
当時、ちょうどニュースで大学院生がアカハラで教授に論文を受け取ってもらえずに自殺する事件が取り上げられていて、それも印象に残って沢村像が出来上がった感じです。
――当時、ノンフィクションの『高学歴ワーキングプア』も読まれたそうですね。
伏尾:あ、そうですそうです。あれは小説を書くために大学院の実態をもうちょっと知りたいなと思っていた時に、ちょうど話題になっていた本でした。読むとかなり実態が分かってきたので、沢村ではなくその元恋人が、博士課程までいったけれど......みたいな部分を作りました。
――取調室の光景が先に頭にあったということは、未解決事件を扱うことになったのは、たまたまだったのですか。
伏尾:投稿作を書く時に、取調で沢村が犯人の矛盾をついて自供させるという構想はできていたんですけれど、どんな事件にするかはあまり具体的に考えていなくて。なんとなく誘拐事件がいいかなとは思ったんですけれど、現代において誘拐事件は果たして成立するのかなと考えると、現在進行形の誘拐事件はちょっと厳しいかなと思い、過去の事件を沢村が解決するのはどうだろう、と。それこそポアロの『象は忘れない』じゃないですけれど、当時の関係者の話を聞いて、真相や犯人を推理していくほうが、『北緯43度のコールドケース』には合っているのかなと考えました。
――沢村が警察という男社会の中で男性と張り合うというより、ぐっとこらえる姿がめちゃめちゃ沁みました。
伏尾:張り合っている女性主人公はもちろん凛々しくて、物語によってはいいキャラになると思うんですけれど、自分の中で、読んでいてストレスになる時もあって。たまに、「そんな全方向に喧嘩売らなくてもいいんじゃないの」と思うこともあったので。ストレスになるキャラは自分でも書きたくないので、沢村は同僚から何かの仕打ちを受けても、「そこではまだ切れません」みたいなキャラにしようと決めていました。それで、ここぞという時にはバシッと言うという。
――そこが絶妙で。まわりの男性も、「どうせお飾りなんだろう」って思っているのかもしれないけれど、それを表に出さずになんとなく遠巻きに見ている感じがリアルでした。
伏尾:そのあたりは、自分もずっと会社勤めをしてきたなかで、今、ポリコレとか男女平等とか言われているのに「お前女のくせに」みたいな反応を示す男性は逆に異質だったんですよね。そういう人のほうが「あの人ちょっとおかしいよね」と思われる人だなというのが実感です。あからさまに誰かを差別する人は同性の中でも浮いているし、会社組織でも扱いづらいし、怒らせると面倒だからあの人の前では従ったふりしとこうぜ、みたいな感じでした。今の時代、いくら警察が男性社会の縦社会といっても、そこまであからさまにやったらさすがに出世に響くでしょうと思い、沢村の周囲もああいう人物像にしました。
――続編の『数学の女王 道警 沢村依理子』では沢村は捜査一課の班長になって、中間管理職の悩みも出てきますね。札幌に新設された大学で爆破事件が発生し、沢村たちが捜査を始めますが、公安の横やりが入ったり、班の中にスパイがいる疑惑が生じたり...。
伏尾:『数学の女王』を続編にする時に、沢村の立ち位置をどうするかはちょっと悩んだんですけれど、結局、少なくとも捜査一課にいてくれないと動きのある物語にできないな、となって。かつ、立場的に平の刑事にはなれないので、あんまり経験はないんだけれども学歴が高いから管理職になってしまって、周りの人からの「どこまでできるかな」みたいな視線を感じながら働いていくことになりました。
――一課で育休をとる男性が出てきたりするのも新鮮でした。
伏尾:本当は今の時代も一課にいたまま育休をとるのは難しいようなんですが、思い切りました。書く側の事情でいうと、あの刑事さんが物語の中にいると沢村のポジションがないので、彼をどこかにやるしかないというのがあって(苦笑)。で、育休ということになりました。
――警察組織の印象深いキャラクターもいろいろいるし、時間が経過していくシリーズということで第三弾を楽しみに待っていたら、その前に同じ講談社から『最悪の相棒』が出ましたね。
伏尾:当時「北緯」を担当していた方から、「北緯」も評判が良いのでシリーズで書いていってほしいけれど、"「北緯」だけの人"という印象になってしまうのはよくないと思う、みたいなことを言われたんです。「次作は違うものを書いたほうがいいと思います」と言われ、私自身もたしかにそうだなと思い、またがらっと違う警察小説にしました。
――花園警察署の刑事、広中承子にとって警視庁捜査一課の潮崎格は因縁の相手。潮崎が少年の頃に彼の姉がストーカーに殺される事件があり、当時犯罪被害者支援室にいて彼の面倒を見たのが承子の亡き父親だったという。承子は、父は潮崎に寄り添いすぎたため心身に不調をきたして亡くなったと考えています。でも警視庁捜査一課に発足した「犯罪被害者家族心理分析班」に異動が決まった承子は、潮崎とタッグを組むことになる...。こちらもシリーズ化の予感がします。
伏尾:最初に『最悪の相棒』のプロットを書いた時は、もっとエピソードがいっぱい詰まっていたんですが、多すぎるのでだいぶ削ったんです。使っていないエピソードが結構あるので、シリーズ化してそれらを使いたいなと思っています。
――これはとある団地の中で起きるいろんな出来事に対して、承子が同時進行的に対応していくことになります。別々の問題だと思われたものが実は繋がっていたりして、意外性がたっぷりでした。
伏尾:これまで名前を挙げるタイミングがなかったんですけれど、私はR.B.ウィングフィールドのフロストのシリーズがすごく好きなんですね。『クリスマスのフロスト』とか。同時多発的にいろんな事件が発生して、ひとつのところに集約していくものもあればしないものもあるという、あのタイプの小説をやりたい願望がずっとあったんです。ただ、『最悪の相棒』は最初からそれを意図していたわけではなく、結果としてそういう形になりました。
最初は連作短編にしようと思っていたんです。3作目なのでいろんな挑戦をしてみたくて、舞台を警視庁に移して、刑事を男女バディにして、連作短編にしようと思ってプロットを出したんです。ただ、連作短編にするとひとつひとつの短編の完成度をある程度揃えなきゃいけないという課題があって。短編によって偏りが出てきてしまうなと思って、担当さんと相談して、長編の中にひとつひとつのエピソードを落とし込んでいくことにしたので、結果的にああいう形になったんです。今後、最初から狙って『クリスマスのフロスト』をやりたいなという願望はあります。







