第287回:夏川草介さん

作家の読書道 第287回:夏川草介さん

現役の医師として働きながら、2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞して作家デビュー、同作が第7回本屋大賞の2位にランクイン。その後も多くの読者を獲得してきた夏川草介さん。無類の読書家でもある夏川さんが親しんできた本たちとは? 本棚に囲まれた自室にいる夏川さんに、リモートでインタビューしました。

その4「受験で文章力を鍛える」 (4/8)

――ちなみに中高時代、部活などはされていたのですか。

夏川:ないです。途中少しだけ吹奏楽部に入っていましたけれど、1年も続かずに、あとはずっと帰宅部です。3日に2日は家に帰る途中で友達5,6人とゲームセンターによって、だらだらと2時間潰す、ということを繰り返していました。本当になんの参考にもならない、ドラマにもならない生活でした。
高校時代はある程度受験勉強に追われているところもありましたし、それと、阪神・淡路大震災があって、生活が慌ただしかったんです。そういうこともあり、時間さえあれば本は読んではいましたが、読書量が圧倒的に増えたのは大学生になってからです。

――信州大学の医学部に進学されていますが、お医者さんを目指すようになったきっかけを教えてください。

夏川:私は本当に、子供の頃から高い意志を持って生きているほうではなかったんです。ぼんやりその場その場の感じで生きている傾向があったので、高校1年生の段階でも、将来何になりたいか明確なものを持っていなかったんですね。「将来の夢は何ですか」と訊かれるのがすごく嫌だったので、それはよく憶えています。
そんな頃に阪神・淡路大震災が起こって、たくさん怪我人が出て、友人の中にも家を失った人が何人かいて。家の周りでも塀が倒れ、いろんなものが壊れていたんです。その朝、父親と瓦礫を片付けていたら、ふと父親が「自分がお医者さんだったらもうちょっと何かできることがあったのに」というようなことを言ったんです。それを聞いて、だったら医者を目指してみようかと思ったのが最初でした。それが高校1年生だったと思うんですけれど、そこから明確な目標ができたので一生懸命勉強を始めました。

――勉強は得意でしたか。特に国語はいかがだったでしょう。

夏川:国語に関しては、かなり安定していました。今思えば、読書が国語力を助けてくれたことは間違いなさそうです。公文の漢字テスト以外は何も勉強していないんですけれど、古文漢文含めてそんなに苦労せず、上位にいましたから。
数学は得意ではなかったし、化学に至っては惨憺たるものでした。つまり完全に文系脳で、数学で失った点をなんとか国語で補うという流れだったように思います。

――作文など文章を書くことは好きでしたか。

夏川:好きではなかったです。ただ、高校3年生の時に、作文を徹底して特訓した時期がありまして。私が入った信州大学の医学部は、当時国立大学ではとても珍しいことですが、前期試験が論文と面接だけだったんです。今は違いますが。国立大学は基本的に学力をすごく重視するので、すべての教科の試験があるんですけれども、信州大学は共通試験である程度成績がよければ、たとえば微分積分などの高度な学力は要求せずに、面接と論文だけで通るんです。自分は一般的な学力はあるけれど、ちょっと難しい問題が出たら弱いと自覚していたので、信州大学一本しか道はないと思いました。それで受験の前の1、2か月間、漢文の先生のもとに通って3日で1本くらいのペースで、最終的には10本から15本くらいの論文を書いてトレーニングさせてもらいました。ものすごく怖い先生でしたけれど面倒を見てくれて、徹底して文章の書き方とか、何を伝えたいのか明確にする論理的な考え方とか、言葉には情報を伝えるための道具と、情緒を伝えるための道具という面があるんだといったことを教わりました。
ですから、文章はもともとすごく得意なわけではなかったんです。先生も最初は、このままの文章能力では勝ち残れないよ、とはっきり言ってくれました。1か月経つ頃にはこれなら大丈夫だと言ってくれるようになりましたし、実際論文で通ったのでよかったんですが、自分の文章を書く能力は所詮その程度だと思います。
ただ、医者になってから自分の文章力は比較的良い方だと自覚するようになりました。医療現場では患者さんに説明したことをその都度カルテに書かないといけないんです。今日はどんな話をしたかとか、患者さんが納得していない空気だったとか、すごく感謝してくれたとか、そういうことも含めて報告を書かなきゃいけない。毎日それをやっている中で、ちゃんとした文章が書けない人が意外にたくさんいるんだなと感じて。あまり偉そうなことは言っては他科のドクターに怒られそうですが(笑)。

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