作家の読書道 第287回:夏川草介さん
現役の医師として働きながら、2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞して作家デビュー、同作が第7回本屋大賞の2位にランクイン。その後も多くの読者を獲得してきた夏川草介さん。無類の読書家でもある夏川さんが親しんできた本たちとは? 本棚に囲まれた自室にいる夏川さんに、リモートでインタビューしました。
その6「印象に残っている海外文学」 (6/8)
――海外の小説も相当読まれていると思うのですが。
夏川:大学1年生の時にシェイクスピアを全部読んでみようと思って。あれは小説ではなく戯曲なので読みにくさはあったんですけれど、面白かったですね。どこかで聞いたことのある台詞が出てくるんです。ああ、あれは『マクベス』の台詞だったのか、みたいな。
それをきっかけに海外文学もいろいろ読むようになりました。フローベールの『ボヴァリー夫人』、スタンダールの『赤と黒』、バルザックの『ゴリオ爺さん』、パール・バックの『大地』、カフカの『城』...。ドストエフスキーはほぼ全部読みました。それと、コンスタンの『アドルフ』とか。
――『本を守ろうとする猫の話』にサン=テグジュペリの『星の王子さま』だけでなく「南方郵便機」が挙げられていたり、『ワインズバーグ、オハイオ』の作者のアンダスン(アンダーソン)の名前が出てきたりもしますよね。
夏川:サン=テグジュペリの『人間の土地』と『夜間飛行』はセットみたいなものですが、「南方郵便機」は『夜間飛行』のほうに入っています。新潮文庫の2冊は宮崎駿さんのイラストのカバーになっています。これは、もう見た目で買いだなっていうくらい、いいですよね(と、2冊のカバーを見せる)。
『ワインズバーグ、オハイオ』は架空の街を舞台にした、ちょっと変な話ですよね。その頃こういう幻想小説とでも言うような作品を読むようになって、それでコルタサルの『悪魔の涎』など南米の作品を通ったあとに、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に出合いました。まったく新しい読書体験で、圧倒された記憶があります。
あと比較的好きなのが、チェコの作家のカレル・チャペックです。東欧のなんとなく暗い空気が漂うなかで、風刺的な意味合いをたくさん作品に込めているんです。それでいて物語としても面白い。『白い病』なんかはお医者さんの話が出てくるので、自分の中でインパクトがあって。大事にしている本のひとつかもしれません。
――日本の現代作家はあまり読まなかったのですか。
夏川:大学時代に綾辻行人さんと島田荘司さんは一通り読んでいます。
――ああ、新本格は読まれていたのですね。そういえば小学生の頃、ルパンやホームズのあと、クリスティーなどの海外ミステリーにはいかなかったんですね。
夏川:本を読む人たちに訊くと、みんなやっぱりホームズの後にアガサ・クリスティーなどの硬派な推理小説にいったというんですが、私はそうじゃなかったんですね。今もかなり広く本は読んでいますが、唯一あまり触れていないのがミステリーなんです。
実は今年になってからちょっと読んでみようと思って、アガサ・クリスティーを読み始めたところです。『ABC殺人事件』とか『アクロイド殺し』とか『スタイルズ荘の怪事件』とか。50歳を前にはじめてようやく読み始めました。
――今まで『アクロイド殺し』のネタバレを踏まずに来られてよかったですねえ...。
夏川:『そして誰もいなくなった』はネタバレを聞いてから読んでとても悔しかったんですが、『アクロイド殺し』は何も知らずに読んですごくびっくりしました。確かにあれはネタを聞いてしまうと意味をなくしてしまいますね(笑)。
――本はどのようにして見つけているのですか。ジャケ買いとかされるんですか。
夏川:私の場合、ジャケ買いはほとんどないですね。どちらかというと、本の中で出合います。たとえば夏目漱石を読むと必ず内田百閒とか芥川龍之介とかの名前が出てきますので、そこから広がっていく感じです。
ちょっと変わった出合い方としては、何かの評論かエッセイに、三つの「~論」が面白いよと書いてあったので、それでマキアヴェリの『君主論』とジョルジュ・ソレルの『暴力論』とクラウゼヴィッツの『戦争論』を続けて読みました。「~論」というタイトルが共通しているだけで、内容は何の関係もないんですけれど。
探そうと思っている本が、ある程度頭の中に入っているんです。もう最近はスマホにメモしていますけれど、つねに40冊くらい書名があって、それを探している感じです。できるだけ本屋さんで買うようにしているので、インターネットで検索したりはしません。
――大学時代、本は買っていたのですか。下宿先での蔵書がすごいことになりそうですが。
夏川:大学時代、欲しい本全部は買えなかったんですが、生活費のほとんどは本に消えていく感じでした。親が「本はできるだけ買って読んだほうが覚悟が決まる」と言っていたんですよね。母親がすごく本を大事にしていて、流し読みでぱーっと読んでどんどん次にいくような消費物というよりは、もう少し違う形で本を扱う人だったので、それが自分の中にもあると思います。
やっぱり、その本を送り出してくれた作家さんや出版社にお礼をしたい気持ちがありますが、だからといって夏目漱石や芥川龍之介にお礼の手紙を書くわけにはいきません。だからせめて本を世の中に届けてくれた出版社にお礼をするという意味と、また次の新しい本に出会わせてくれる感謝の気持ちをこめて、できるだけ身銭を切ることを大学生の頃からやっていました。
今も意識的に本は買うようにしています。本屋さんが潰れたら本当に困りますので。できるだけ街の書店に行きますし、そこで子供たちが本が欲しいと言ったら、買ってあげることにしています。一時期流行っていた「最強王図鑑」のシリーズも子供たちが夢中になっていたので順番に買いました。『恐竜最強王図鑑』や『昆虫最強王図鑑』などかなりたくさん出ているシリーズです。
――読書メモや記録はつけていますか。
夏川:いつ読んでどんなことを思ったか、本当に小さなメモみたいなものは少し残しています。というのは、40歳過ぎてから、一瞬読んだか読んでいないか分からなくなる本が出てくるんですよね。なので、読んだ時の印象はやっぱりある程度残してあったほうがいいなと思って。ただ、細かい解説を書くわけでもないですし、作中の文章を書き留めるようなことはしていないです。
――著作の中にたくさん、先行作品からの引用がありますよね。それは憶えていたということですか。
夏川:20代、30代の頃は、いい文章だなと思ったものは明確に憶えていたんですけれど、40歳過ぎてからはスッと出てこなくなって、インターネットに助けられています。なんとなくあの人がこんなこと言っていたなと思って検索すると、原文によく当たるので。
――読むのは速いほうですか。
夏川:いえ、でも読書時間は多いと思います。数年前に体調を崩して今は若干医者の仕事を減らしていますが、それまでは土日も夜もない生活で、日常のほとんどが病院の中でした。ただ、院内にいるから四六時中走り回っているかというと、そうでもなくて意外と本を読む時間は取れるんです。たとえば夜間の当直でも1時間後に救急車が来ますと言われたら、準備を整えた後は到着するまでが待ち時間になる。到着した方を診察して血液検査に出したら、そこからまた30分待ちになる。その隙間の時間、ほとんどのドクターは夜食を食べたり、テレビを見たりしているんですけれど、私はずっと本を読んでいるんです。白衣のポケットにいつも文庫本を一冊入れて、時間があいたら気分転換もかねて本を開いていたので、読書時間は結構長くなりました。
読む速度はけして速くはないです。でも大学3、4年生の一時期、自然に速読ができるようになったことがあったんです。ぱらぱらとページをめくりながらあっという間に読めるなと感じるようになって。ところがですね、そうすると面白くなくなっていくんです。ストーリーは全部分かるし、山場も理解しているはずなのに何かしっくりこない。もしかして速読と読書とは違う行為なのではないかと思い、スピードを落とすためにあえて音読したんです。声に出して本を読むようにしたら、見える景色が変わりました。同じ1本の短編でも、速読で2分で読み終わるのと、音読で30分かけて読むのとでは、広がる世界が全然違う。なぜかと問われるといまだにはっきりとは答えられないですが、たぶん、速読は情報だけを拾い上げているけれど、本にあるのは情報だけじゃない、ということかなと。たとえばメロスが走って帰ってきました、というだけでは『走れメロス』の面白さは99%脱落している。〈メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。〉といった言葉のリズムであったり、中島敦の『山月記』であれば、あの〈隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね〉...といった文章の持つ豊かな音感は、スピードを落とさないと逆に見えなくなると思いました。なので、読む速度自体はむしろ、意識して若干ゆっくりにして、しっかり読むようにしています。最近は目が滑っていくことも増えてきたので、そういう時は繰り返し読むので、1冊にかけている時間は長いですね。私はスマホもあまり見ませんしSNSもよくわからないので、その分、読書をする時間をたくさん確保できるという面もあるかもしれません。
――『山月記』がそこまでお好きなのはどうしてでしょうか。
夏川:ちょっと変だと思われるかもしれませんが『山月記』はほぼ全文憶えています。その魅力の一つは内容です。自分というものに捉われすぎた人間の悲しい姿というべきでしょうか。現実とプライドの狭間でもがきながら、負の感情に呑まれて虎になった男の話には不思議なリアリティがあります。そういう自意識の問題は自分にとっても他人事ではなかったということでしょう。ですが、好きな理由のいちばんは、やっぱり文章だと思います。格調の高さや独自のリズムがあって、普遍的な日本語の美しさみたいなものを中島敦は持っている気がします。好きか嫌いかの話かもしれませんが、私はいい文章だと思います。無駄がなくて、リズムがあって、こういう文章を書きたいと思わせる。
その点は、夏目漱石の魅力とはまた違います。漱石はいろんな装飾をつけて、リズミカルだけれども無駄が多い文章を書きますよね。中島敦はそぎ落として、たぶん今の日本語で書いたら3、4倍くらいの量になるんじゃないかっていう情報量を入れ込む。〈隴西の李徴は博学才穎〉って、たったこれだけの文章で、出身地からどういう人物かがぱっと分かる。そういう文章の凄みみたいなものに惹かれました。昔、中江兆民がアメリカ独立宣言の長い文章を見た時に、自分だったら3行で書けると言ったという話を聞いたことがあります。まあそれがいいのかどうかは別として、そうした文章の面白さみたいなものは、中島敦の作品からは強く伝わってくる気がします。

























