第287回:夏川草介さん

作家の読書道 第287回:夏川草介さん

現役の医師として働きながら、2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞して作家デビュー、同作が第7回本屋大賞の2位にランクイン。その後も多くの読者を獲得してきた夏川草介さん。無類の読書家でもある夏川さんが親しんできた本たちとは? 本棚に囲まれた自室にいる夏川さんに、リモートでインタビューしました。

その7「小説を書いたきっかけ」 (7/8)

  • 神様のカルテ (小学館文庫)
  • 『神様のカルテ (小学館文庫)』
    夏川 草介
    小学館
    682円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 臨床の砦 (小学館文庫 な 13-7)
  • 『臨床の砦 (小学館文庫 な 13-7)』
    夏川 草介
    小学館
    704円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

――ご自身で小説を書きたいと思ったのはいつくらいなのでしょうか。

夏川:実は、私自身は小説を書いてみたいと思ったことがなかったんです。でも医者になって5年間くらい無我夢中で働いていた頃の話です。夜もずっと電話がかかってくるものですから体力が弱っていたのに加え、私自身はあまり記憶がないんですが精神的に少し病む方向にいっていたんです。そうしたら妻が「今のままでは絶対駄目になる」「患者さんのことを思って四六時中働くのはいいけれども、先に自分が潰れる」と言うんです。「なにか医療とは違うこと、医療とは関係のないことをしたほうがいい」と。といっても病院から離れることはできない生活だったので、どこででもできるという意味で「本が好きなら、自分で書いてみたら」と言ってくれたのがきっかけでした。それで書いたのが、『神様のカルテ』の第1巻です。どうせ書くなら、妻が読んで楽しいものを書こうと思い、それだけを目標に一生懸命書いたら妻が「面白かった」と言ってくれて、ちょうど締め切りが近かった小学館文庫小説賞に送ってくれた、という流れです。
小説を書いてみると、自分が悩んでいたことが言語化できるようになるということに気づきました。特に『神様のカルテ』の第1巻を書き終えた時、自分が何に悩んでいたか、何をしたかったのか、何を後悔していたのか初めて分かるという経験しました。分かると同時に、精神のバランスがとれた感覚がありました。それで、次の壁にぶつかった時も、じゃあ小説を書いてみようとなり、書いてみたらやっぱり自分が何に悩んでいたのを小説が教えてくれる。私にとっての執筆は、その繰り返しです。だから、私はプロットやあらすじは一切なしで書き始めるようにしています。書いていく中で頭の中にあるものがまとまってきて、形になって、その作品に私が教えられているところがあります。

――もちろん実際の患者さんのことは書けないから完全にフィクションだとは思いますが、主人公に自分を投影したり、体験した感情を作品に落とし込むような感じでしょうか。

夏川:基本的に患者さんのことを書こうとは思っていませんし、主人公に自分を投影することもありません。どちらかというと、自分がこうできればよかったというような理想を書いていると思います。ただでさえ現実の医療現場は大変で、きついことも多いですから、小説の中でまで自分の話をしたいとは思いません。でも書いた後で読み返した時に、あ、この人はあの患者さんのことだったのかと気づくことがあります。たとえば第3巻を読み返すと、現実では助けられなかった患者さんが小説の中では助かっていたりするんですね。自分はあの人のことで後悔していて、こういう結果に持っていきたかったんだなと気づく。その結果に至る過程で主人公が奮闘している様子を見て、それを次の医療に生かすという感覚です。何が足りなかったのかを、小説が私に教えてくれると言ってもいいかもしれません。だから、頭の中にある考えを文字化するというよりも、文字化していくことによって考えがまとまっていくというのが、私にとっての執筆という行為だと思います。

――医療の仕事のために書くことが必要だというか。両方があって成立しているんですね。

夏川:そうです。私はコロナの経験も小説に書いていますけれど、あの時期は異様な緊張感があって、布団に入ってもまったく寝れなくて。こういう時は本を書けば少しは落ち着くかもしれないと思って取りかかったのが『臨床の砦』です。深夜に一時間ずつ書くだけでしたが、1、2週間で書き上げて、最後の一行を書いたときには現場に戻る覚悟ができていました。逃げ出したい気持ちはあるけれど、やっぱり逃げるべきじゃないと自分は思っているんだと、改めて自覚した瞬間でした。
自分の主軸は医療にあって、それを支えるために小説があります。今、少しずつ執筆業のウェイトを増やしてはいますが、それでもやっぱり医療というものが主軸にある生活でありたいと思っています。

» その8「自作と翻訳書」へ