作家の読書道 第287回:夏川草介さん
現役の医師として働きながら、2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞して作家デビュー、同作が第7回本屋大賞の2位にランクイン。その後も多くの読者を獲得してきた夏川草介さん。無類の読書家でもある夏川さんが親しんできた本たちとは? 本棚に囲まれた自室にいる夏川さんに、リモートでインタビューしました。
その8「自作と翻訳書」 (8/8)
――『本を守ろうとする猫の話』と『君を守ろうとする猫の話』を読んでいると、海外の少年少女向けの海外作品なども出てきますね。
夏川:昔から岩波少年文庫が好きで、そこでいろんな本を読んできたんです。いちばん好きなのは斎藤惇夫さんの『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』ですね。ネズミたちがイタチと闘う話で、こういう本が入口になったんだと思います。他には、ケストナーの『飛ぶ教室』とか。ローズマリ・サトクリフの『第九軍団のワシ』も好きでした。これはローマ帝国時代を舞台にしたローマン・ブリテン三部作の一作目で、冒険小説に近い感じです。ローマの百人隊長と奴隷の青年の交流を基礎に置いた品格のある作品だと思います。最近では、クラウス・コルドンの『ベルリン1919』『ベルリン1933』『ベルリン1945』の3部作全6巻がよかったですね。ヒトラーの時代の家族の話で、お父さん、息子、孫の世代まで続いていく話です。こういう本の存在感はすごく大きい。
ただ、「猫の話」でやろうとしているのは少年少女向けの冒険小説ではなくて、うまくいっているかどうかは分かりませんが、風刺小説です。日本の文学にはいろんなものがあって、特に私小説的な作品が強いですし、ミステリーも魅力的です。でも風刺小説という分野では、私はすごくいいものに出会ったことがなくてですね。明治大正の作品を読んでも、風刺小説はゼロではないですが、エッセイ的な形でしか出てこない。
『ガリヴァー旅行記』なんかは、巨人の国や小人の国だけでなく、飛ぶ島のラピュータの話やフウイヌムという馬の国の話まで読むと、人間社会に対するすごく強い風刺を感じるんですよね。マーク・トウェインが晩年に書いた『不思議な少年』という話なんかも、苛烈な批判と風刺を行っている。マーク・トウェインって『トム・ソーヤの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』を書いた人とは思えないくらい、最後は暗い方向に行って、社会に対する希望を失くしていく作家さんなんです。でも作品ではすごく切実なものが響いていている。そういう目で見ると、『はてしない物語』だって、広い意味ではしっかり風刺をしていますよね。
「猫の話」では、日本文学の世界でそうした風刺ができないかという私なりの試みをしています。冒険をして、ボスを倒して、勇気とか希望というものを見つめ直すという枠組みを使いつつ、社会に対する風刺小説というものをやってみよう、という。
――実際、読むと本や読書というものを絡めた風刺はもちろん、効率主義や消費社会に対する風刺も感じます。
夏川:私の武器になるもの、自分が詳しいものは結局医療と本しかないものですから、そこを切り口にしていますけれども、もう少し広い範囲で、人間の幸せとは何かとか、人はどうあるべきなのかとか、善と悪とは何かとか、そういう問いかけがいつも自分の頭の中にあります。悪について言えば時々、私の作品には悪人が出てこない、と言われることがありますが、それは私自身が、悪とは目の前に立ちふさがる敵ではなく、もっと非常にわかりにくいものだという感覚を持っているからかもしれません。いずれにしても、社会に対する風刺や皮肉的なものを小説文学として形にしたいという思いで書いています。テーマそのものは他の作品とも重なる部分がありますが、スタンスは大きく変えているということになりますね。
――このシリーズには他にも、大人向けの実在の作品もたくさん出てきますが。どれもお薦めと考えてよいでしょうか。
夏川:あそこに書いてある本は、自分が読んで後悔はしないと思うものばかりです。例えばヴォルテールが書いた『カンディード』は、カンディードという主人公が幸せとは何なのかを探しにいくフランスの古典的物語のひとつなので、ぜひ手に取ってもらえたら、と思っています。ちなみに「猫の話」の中では『カンディード』の隣に『サミュエル・ジョンソン伝』が並んでいる様子を書きましたが、これにも理由があって、サミュエル・ジョンソンは『幸福の追求 アビシニアの王子ラセラスの物語』という本を書いているんです。フランスのヴォルテールとイギリスのジョンソンは同じ時代の人物ですから、つまりドーヴァー海峡を挟んだ二つの大国で、人間の幸福について語る傑作が同時に生まれているということで、それを小説の中でシンボリックに示しています。「猫の話」には、こうした仕掛けをたくさん入れてあるので、なんとなく気づいてくれる人がいたら、と。あるいは『カンディード』を手に取った時に、ふと「そういえばサミュエル・ジョンソンてどういう人なんだろう」と思い出してもらえたら。まあそれが本筋ではないので、ひとつひとつ種明かしは蛇足になるだけなのでしょうが。
――すみません...。あの作品でヴォルテールとサミュエル・ジョンソンを並べた意図、今おうかがいしてはじめて気づきました...。
夏川:分かる人はほとんどいないです。ちなみにサミュエル・ジョンソンはたった一人で英語の辞書を作った人なんです。『ジョンソン伝』は上中下巻の巨大な本なんですが、これを書いたボズウェルという人も魅力的な作家です。こんな風に、何か一冊の本を手に取ると、そこからどんどん世界が広がっていくというのも、読書の楽しさだと私は思っています。
――「猫の話」のシリーズはずっと続いていくのですか。
夏川:全3部作のつもりで、次の1冊で終わる予定です。
――では、『スピノザの診察室』と『エピクロスの処方箋』の出発点はどこにあったのでしょうか。妹が若くして亡くなり、一人残された甥と一緒に暮らすために大学病院の医局長を辞め、京都の街の病院で内科医として働く雄街哲郎が主人公。通称マチ先生は、哲学に造詣が深い人ですね。
夏川:自分にとって医師を主人公にした小説は『神様のカルテ』というシリーズがあります。ひとりの若い医師の人生を中心に据えて、ある種の大河小説的な物語として位置付けています。
『スピノザの診察室』のシリーズはそれとはちょっと違って、医療にとどまらず、人間が幸せに生きるとはどういうことなのかとか、それこそ私が「猫の話」でやろうとしているような、善悪の問題や「自分らしさ」の意味などを物語に託して、広い視野で描きたいと思っています。切り口は医療でなくてもよかったんですけれど、やっぱりそのほうがリアルに書けるので。ただ主軸は医療ではなくて、自分の力になってくれた文学や哲学にしたいと思いました。文学は『神様のカルテ』でも結構いろいろ書いているので、じゃあ哲学を本格的に小説に導入してみよう、と。そのなかでもスピノザは、自分の感覚にいちばん近い哲学者なので、最初にきたという感じです。
場所を京都にしたのは、高校時代に通った予備校が京都にあったので、知っている街だったんですね。私の場合、小説を書く時、人間よりも世界がまずありきなんです。大きな世界があって、その中に小さな人間がいっぱいいる感覚です。その世界を描くとなると、知っている街じゃないと描けない。そうすると信州か大阪か京都か三つくらいしかない、ということで京都を選びました。
主人公を設定する時に考えたのは、格好いい人間ってどういう人間なのかということでした。これはずっと考えていることでもあります。最近、少年漫画でも小説でも、相手を徹底的に痛めつける描写が多いと感じます。あくまで私個人の感覚ですが、やったことはしっかり償ってもらうぞ、という感じで、主人公でさえ敵を容赦なく追い詰めて粉砕して、そこに読者がカタルシスを得るという傾向を感じます。でも、私にとって「格好いい」とはそういうことじゃない、と。それで、自分なりに格好いい人の姿を書こうということで、主人公像を作り上げていきました。格好いいというのは、もっと静かだし、なによりも攻撃的ではないことだと私は思っています。攻撃性というのは未熟さや幼稚さの現れだと思うんです。大人として振舞う時に何が必要かというと、やっぱり忍耐であるし、知性であるし、優しさとか想像力という、本当に当たり前のものでしょう。でもたとえば小学校では、想像力や思いやりが大事だということ以上に、「あなたが大事ですよ」と教えている。あなたが何を思っているかが大事で、人のことはいいんです、という傾向がある。プレゼンテーションの仕方は細かく指導するのに、人の話をしっかり聞きましょうという方向にいかない。安易にひとまとめにしては学校の先生方に失礼になりますが、「あなたも大事ですが、同じくらい周りの人も大事ですよ」と教えることもとても大切だと私は思います。そうしたなかで、格好いいとはどういうことなのか考えて作ったのが、『スピノザの診察室』の主人公像です。圧倒的な力で敵をなぎ倒すヒーローもいいですが、子供たちには、こういう人間に憧れを持ってほしいと思っています。自分なりの美とか善とか、格好よさみたいなものの体現と、医療にとどまらない哲学的なメッセージを作るというのが、このシリーズの基本スタンスです。
――こちらのシリーズも続いていくわけですか。
夏川:そうですね。ゆっくり書こうと思っています。新しいものをどんどん書いていくというよりは、大事なメッセージを届けるための基盤を作ることができたので、その世界観の中で続きを作っていくのが今の目標です。
――どの作品も、決して絶望はさせないというか、希望みたいなものを残すのは、ご自身を励ます意味でもあるのでしょうか。
夏川:希望というか、美しい人の在り方というものにこだわりを持っています。20年以上も医療現場にいると、尊敬できる人ばかりではなく、嫌な人たちにも山ほど出会います。暴言や時には暴力にもぶつかりますし、患者さんだけじゃなく、残念ながら医者にだってろくでもない人間はいます。そういう人に接することが多いと、精神的に参りますし、何もかも放り出して逃げたくなります。でも反面、本当に素晴らしい人にも出会うんです。自分が大病を抱えているのにこちらの晩御飯の心配をしてくれて私におにぎりを買ってきてくれた年配の女性患者さんや、夜中に大量に吐血して救急車で運び込まれてきたのに、血まみれになりながら「すみません、先生、ありがとうございます」と言ってくれた男性とか。何年経った後でも、自分が辛い時に支えとなってくれるのは、そういう方たちの思い出なんです。だから、そこで見た景色を少しでも小説に書き残しておきたい。人間の憎しみや絶望を描くのも文学の本質のひとつですが、今の世の中、そちらに傾きすぎているんじゃないかと感じることがあって......。負の感情を描くことが文学だ、芸術だという意見はもっともですが、同じくらい善とか思いやりとかを真剣に描くことも、文学だろうと私は思っているんです。そして、人間が本当に窮地に立たされたときに力を貸してくれるのは後者ではないかと。絶望より希望にこだわるのは、そんな経験の結果です。私の作品を読んだ人が、あの時作品からもらった美しい光景が自分の支えになったと言ってくれるようにと願っています。それに、悪を描くよりも善を描くほうが、はるかに難しいんじゃないかと思うんですよ。
――デビュー作から多くの読者を獲得しましたが、その反響みたいなものはご自身の中にありますか。書き手として後押しになったのか、あるいは戸惑いやプレッシャーがあったのか。
夏川:私に見える景色は本を出す前と後ではあまり変わっていません。現場で自分が夏川だと言っていないので、ほとんどの患者さんたちは私が小説を書いていることを知らないんです。もちろん病院のスタッフや医局の教授は知っていますけど。だから、外来に来る患者さんたちの態度が何か変わるわけでもないですし、執筆のために自分の生活を変えるということもありません。小学館の編集の人も、「夏川さんの置かれている状況は、夏川さんにぴったりかもしれない」と言ってくれます。本が何万部売れたという情報は聞きますけれど、その数字自体も実感が湧かないものですから、日常は変わっていないというのが正直な感想です。
ただ、数年前に体調を崩して入院したのをきっかけに少し医療の仕事を減らしたので、相対的に作家業の比重が増えました。おかげで先日の本屋大賞の授賞式も見にいくことができましたが、そうした時のほうが自分の居場所がない気がして落ち着かなかったです。
本の世界の中で、自分がどういう位置にいるのか理解するのは難しいですね。ある人は夏川はずいぶん有名になったよと言うけれど、誰それ?と首をかしげる人もいます。私は変わらず自分の生活を積み上げていきたいです。
――夏川さんは、A.J.クローニンの『城砦』という翻訳書も出されていますよね。
夏川:日経メディカルの人から、すごくいい小説があると連絡があったんです。昔翻訳は出たけれど絶版になっているし、訳文が古くて今の人は読めないのだけれど、夏川の考えている世界観や人生観とマッチすると思うので翻訳をお願いできませんか、と。読んでみたら、本当に素晴らしい作品だったんです。ある意味『神様のカルテ』的な要素もある作品で、医療小説の枠組みではあるものの、1人の医者の人生が大きな視点で描かれている。100年前の本なんですが、50年前に日本で1回大ヒットしているんですよね。「炎のカルテ」という題名でテレビドラマにもなったそうです。イギリスの地域医療を日本のどこかの島の地域医療に置き換えて作ったとか。日本では「東洋の『白い巨塔』、西洋の『城砦』」と言われて、その頃は誰もが読む本だったと聞いて、私がお世話になった教授2人に訊いたら2人とも知っていました。すごく良い本だと。鎌田實先生とお話しした時も、愛読書だったといって私物の古い『城砦』を見せてくれました。
実際、本当に魅力的な作品です。医療の話だけではなくて、人間の幸せについて自然に問いかけながら、一方で人間はどんなふうに堕落していくのかといった負の側面もしっかり描いている。エンターテインメントとしても楽しいので、これはもう絶対翻訳しようと思い、依頼を引き受けました。過去の翻訳は、原著にない翻訳者オリジナルのエピソードや設定が追加されていましたが、私の訳は原著に忠実であることを心掛けて、過去の翻訳者の創作部分は削除したので、昔の『城砦』を知っている人が読んでも新鮮に感じるかもしれません。高校生くらいからでも読めるように、かなり言葉に注意して翻訳をしています。
――1日のルーティンは決まっていますか。患者さんの状態にもよるから不規則になるかもしれませんが。
夏川:執筆に関するルーティンは決めていません。気持ちが穏やかな時に無理して書こうとも思っていないです。やっぱり悩むことがある時や、壁にぶつかった時に書いています。
以前に比べれば、人間らしい生活ができるようになりました。ほんの数年前まで毎週2回か3回は夜中にたたき起こされて、お盆も正月もなく働いていたんですけれど、やっぱり40代半ばにもなるとそれでは体がもたないですね。今は一応、夜は呼ばれない生活になりました。これだけで十分ありがたいと思っています。
――連載仕事は引き受けられないですね。
夏川:作家になった時からすべての編集の人に、連載は一切引き受けないですと言っています。急患が来たら完全に小説執筆をストップしますので。一度小学館で若干の連載をしたことがありますが、それも完成させた後に、分散させて掲載しただけです。そのあたりは出版社側も理解してくれて、自由にやらせてくれています。ありがたいです。
――今、執筆はされていますか。今後の刊行予定を教えてください。
夏川:やっぱりいろいろ思うことはあるので、まったく書かないということにはなりません。ゆっくり書いています。小学館から『神様のカルテ』の続篇を書いてくれと言われているので、今はそれをやっています。『新章 神様のカルテ』で大学病院の話を書いたので、その後半部分になります。
(了)



















