『完司さんの戦争』越智典子

●今回の書評担当者●宮脇書店本店 藤村結香

 大きなシダの葉が茂る地面に潜り込むように隠れる、息をこらす。アメリカ兵の足音が、話し声がする、彼らの靴も横顔すらみえる距離。自分の心臓の音が彼らに聞こえてしまいそうなほど大きい。人生で一番長い時間だったのは、シダの葉に隠れているときだった──

 なにが私たちと違うというのか。
 夢もやりたいこともある、ちょっと好奇心旺盛なごく普通の青年。広い世界を見てみたいな、と新潟から満州へ向かい、色々な人に刺激を受けながら猛勉強して仕事につき、充実した生活を送っていた青年が20歳過ぎたら"戦争"に放り込まれる。そういう時代を生き抜いた完司さんの実話です。

 この本、ふりがなもふっているので児童書の区分に含まれるのですが、子ども達のみならず大人の読者にも多く手に取ってほしくて今回推させて頂きました。合間にコルシカさんによる絵や漫画が挟み込まれていて、より分かり易く構成されています。

 完司さんのお人柄と、その語り口調がとても魅力的です。この人のことを嫌いになる人はいないんじゃなかろうか、と思ってしまうぐらい。もともと争いごとが好きではなく、組織的に上下関係で動く世界も嫌いだったそうです。徴兵される前に二度満州で過ごしていて、そこで農産物検査官の仕事をしながら土地の人々と交流した日々が綴られているのですが、これがまた旅行エッセイのように本当にとても楽しそうに面白く語られています。もし戦争時代じゃなかったら──。

 戦争時代の間は完司さんにとって「この世にはない時代」だったそうです。この世にはない世界、いつどんな風に理不尽に死ぬかわからない世界...。
 グアムに上陸後、作業の合間に木登りが得意でヤシの実を皆の分までとってあげていた完司さん、アメリカ軍戦闘機の激しい攻撃によってすぐに片足を失ってしまいます。この後、片足で這うように動くしかない彼はなんと400日もの間、武器を持たず1人でジャングルをさまよい、アメリカ軍の目を避け続けます。その間の知恵と冷静さと前向きさで乗り切る完司さんの命がけの400日をここで語ってしまうわけにはいきませんので是非読んでください。
 彼はその後アメリカ軍捕虜となり、アメリカに連れて行かれるのですが、そこでの驚きや体験談は、私がこれまで戦争について書かれたもので一度も読んだことがなかったお話でした。こんな話もあったのか、と完司さんのように驚いてしまった。

 誰かと争うことも戦争も大嫌いな青年が「この世にはない時代」をどう乗り越え、生きて帰ってきたのか。
 強く生き延びたという武勇伝ではなく、あの若いいちばん元気ないい時期を戦争に奪われたと完司さんが悲しんでいたことを私たちは忘れてはいけません。戦争の"すがた"の一端にふれられる貴重なお話だと思います。

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宮脇書店本店 藤村結香
宮脇書店本店 藤村結香
1983年香川県丸亀市生まれ。小学生の時に佐藤さとる先生の「コロボックル物語」に出会ったのが読書人生の始まり。その頃からお世話になっていた書店でいまも勤務。書店員になって一番驚いたのは、プルーフ本の存在。本として生まれる前の作品を読ませてもらえるなんて幸せすぎると感動の日々。