『乱反射』貫井徳郎

●今回の書評担当者●豊川堂カルミア店 林毅

「アメリカがクシャミをすると、日本が風邪を引く」というのは昔から云われる話ですが、それが現実に起こり、日本は風邪どころじゃない大病を患ってしまったかのよう。
 近頃流行の「世界恐慌」本を捲っていると《リーマンショックという海の向こうの出来事が、スーパーの食品売り場のパートのおばちゃんの解雇を引き起こした》という記述もあったりして、因果関係のないはずのところにまで、影響が及んでいることを知らされる。身近なところではまだ大きな影響は出てないけれど、本屋の売上には兆候が出始めているようにも思う。解雇されたおばちゃんは、誰に文句を言えばいいのか、怒りの矛先はどこに向ければいいのだろう。そう思っているじゃないだろうか。

 貫井徳郎の新作は、まさにそんな話でありました。些細なはずの出来事が、やがて大きな悲劇を引き起こすことになってしまう物語。
 あるひとりの二歳児の死。それを巡って物語は展開していく。
 道路拡張のため、街路樹が伐採されることになったことがすべてのはじまり。冒頭から街路樹の近くで暮らすさまざまな人々が登場する。それぞれが人生に悩みを抱えていて、それゆえに身勝手でエゴな行いをしてしまっているのである。
 姑と嫁が合わないで苦労する夫。
 街路樹に飼い犬のフンを放置させる男。
 道路拡張のための立ち退きを拒否し居座る老人。
 街路樹伐採に反対する主婦たち。
 樹木の診断を怠った土木作業員。
 運転の未熟さから車を放置してしまう娘。
 急患でないのに時間外に病院を訪れる大学生。
 職務怠慢なアルバイト医師。
 珍しく嫁を食事に誘った姑。
 つい出てしまうモラルの欠如や彼らのエゴイズムといったもの。ひとつひとつはさして問題にならない、よくある出来事でもある。でも偶然に偶然が重なって、悲劇は起こった。
 事故が起こるのは物語の中盤。(あまりにも多くの人物が登場するので、そこまでは何の話か分からなくなってくるくらい長いのだけれど)事故後の展開は、どこでどう彼らの身勝手な行動が絡んでくるのか気になって、頁を捲る手を止められず。新聞記者である父親は死の原因を探っていくのだけれど、ある意味、それは人災といっていいものだった。しかし、犯人はどこにもいない。でも、確かに皆が何らかの形で幼児の死に関わっていたのである。多くは罪を認めず、逆に怒り自分には責任がないと主張するものばかり。
 
「風が吹けば桶屋が儲かる」という感じの負の連鎖。悪気なく行っていることも、それが惨事に繋がらないとはいえない。事故の真相を知った父親が「俺が殺したのか」という思いに言った場面は、痛ましくってなんともいえない気持ちになる。「あなたは無関係だといえますか」そんなことを問われている気もする。
 人々の身勝手な行為は身近に起こりうる話ばかりでリアリティがあるけれど、絡み合ったエゴイズムが事故の要因としてひとつひとつ嵌まっていくさまは、まるでジグソーパズルを組み立てていくかのようでもある。トリッキーな仕掛けはないけれど、ここが読ませどころ。
 社会の歪みを、巧みに描いた傑作だと思う。

 


 

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豊川堂カルミア店 林毅
豊川堂カルミア店 林毅
江戸川乱歩を読んだ小学生。アガサ・クリスティに夢中になった中学生。松本清張にふけった高校生。文字があれば何でも来いだった大学生。(東京の空は夜も明るいからと)二宮金次郎さながらに、歩きつつ本を捲った(背中には何も背負ってなかったけれども)。大学を卒業するも就職はままならず、なぜだか編集プロダクションにお世話になり、編集見習い生活。某男性誌では「あなたのパンツを見せてください」に突進し、某ゴルフ雑誌では(ルールも知らないのに)ゴルフ場にも通う。26歳ではたと気づき、珍本奇本がこれでもかと並ぶので有名な阿佐ヶ谷の本屋に転職。程なく帰郷し、創業明治7年のレトロな本屋に勤めるようになって、はや16年。日々本を眺め、頁をめくりながら、いつか本を読むだけで生活できないものかと、密かに思っていたりする。本とお酒と阪神タイガース、ネコに競馬をこよなく愛する。 1963年愛知県赤羽根町生まれ。