『ナチ 本の略奪』アンデシュ・リデル

●今回の書評担当者●ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広

「ナチが略奪したのは美術品だけではなかった。」

 それはつまり、このタイトルの通り、"本"のことである。

 本書によれば、第二次世界大戦中、ヨーロッパで消失した本の数は何百万冊にも及ぶという。戦火によって失われたということではない。ナチによる意図的な略奪、焚書による数字なのである。

 ナチはなぜ、それほどまでに本を人々から奪い続けたのか? その謎と真実、消失した本の行方、関わった人々の運命を追い求め、そしてナチの恐るべき野望を詳らかにしていく一大ノンフィクションが本作だ。

 人類史上最大級の過ちと言うべき第二次世界大戦。その罪深さは人類の虐殺というだけでなく、文化の破壊という側面も持つ。本書には本、書物への弾圧を通じて、いかにして文化が破壊されて行くか、実に悪しき見本のような史実が記されている。

 1930年代、権力を掌握したナチは「不快な」「堕落した」文化を次々と攻撃し始める。そして1933年春、ベルリンのベーベル広場にて、「好ましくない」本を焼き尽くす暴挙に出る。悪名高い焚書の儀式である。ブラッドベリ『華氏451度』さながらの、本を燃やす行為が平然と行われ、それは"ある人々"のタガを外してしまうには十分な効果をもたらした。

 以降、表現規制が進み、密告が蔓延り、この動きに反対する者は脅迫され、暴力が振るわれ、逮捕され...。非常に既視感を覚える話だが、さらに深刻な事態は、「浄化」と称して市民、それも保守主義の右翼学生による公共図書館、書店への襲撃が始まったことである。想像してみて欲しい。ある日突然、私たちが日頃利用する図書館、書店に突然若い学生の集団が押し寄せ、暴力行為を伴って本を根こそぎ奪い取っていく光景を。こうして"市民"の協力を得て、権力はより強固なものとなり、完成に向かう。

 だが、実のところナチは統治に背く、又は秩序を乱す好ましくない存在として「浄化」するために本を略奪した訳ではなかった。

 著者が最も重要な点として挙げることは、彼等が本の中にこそ「知」を求め、研究し、自らの思想体系をより強固なものとし、ナチの支配を完全なものにするために行ったということ。それこそが「本の略奪」の真の目的だったということなのだ。世界征服の野望とはそのようなしたたかさの下にあるということ、権力者の野望を見誤ってはいけないという警鐘を、本書は私たちに鳴らすのである。

 こうして略奪された本はヨーロッパ各地に散らばり、もはや収拾のつかない事態となる訳だが、それでも戦後から今日にかけて、その返還に力を注ぐ動きがあることは、微かな光というべきだろう。もっともそれには莫大な費用と時間を要する為、まともに着手されずに行方不明の本が無数にありながら、その存在が風化していくのが現状であり、その困難さに途方にくれる思いがする。

 それでも、志を抱く図書館や関係者の尽力によって発見され、元の場所に戻り、本来の所有者やその遺族の手に渡る瞬間は、重苦しい本書の中にあって読者が安堵する場面だろう。略奪からの本の「帰還」。その言葉だけで読者は絶望から救われたような感覚に浸ることも出来る。だが訳者のあとがきにもあるように、それを感動として終わらせるには、ナチと本をめぐる歴史はあまりに暗い。

 第二次大戦中のヨーロッパの本の消失の背後には、無数の人々のガス室での無残な死がある。本書をはじめナチ関連書に繰り返し出てくる「ガス室」という言葉に、私は自身が想像し得る範囲の中でも最も深い戦慄を覚えてしまう。ナチの破壊と殺戮の果てには、死さえも冒涜された無数の犠牲者がいる。本書にはガス室処刑の生々しい描写は無い。だが、本の略奪が起こった後には必ず人々の命の略奪がある。

 本という「知」を奪う者と守る者の攻防で積み上がる無数の死。それは結果として「知」の敗北という重い事実を突きつける。読者はその重さから逃れることが出来ない。

 しかし、本書にはもう一つ、図らずも浮かび上がらせてしまう事項の存在がある。

 本の価値である。

 その弾圧の歴史は本の大いなる価値を照らし出し、失われることの危機感を現代の私たちに教訓として刻む痕跡となっている。ナチがその価値を認め、世界征服のために自らの血肉化に利用しようとしたのならば、それは民衆にとってこそ価値があるということに他ならず、民衆が本を血肉化していくことをナチは恐れたのである。今、この本とナチをめぐる一連の抗争と悲劇は再び繰り返される可能性が高まっている。検閲、弾圧の後には略奪が待っている...。

 本書はまさに今の私たちにとって来るべき時代への警鐘というのみならず、かつて人類が犯した過ちを学び、未来を切り開く為の書と言っても良い筈だ。それこそ本の、文化の価値とは言えまいか。

 第二次世界大戦時のドイツにおいて、一度は敗北した「知」を、私たちは今こそ守らなければならない。よりしたたかな「知」をもって。奪われたものは二度と戻らないのだから。

 最後に本書の翻訳者について触れておきたい。

 北條文緒さんと小林祐子さんの御二方の名前がクレジットされているが、小林さんはこの本の翻訳完了を目前にして世を去ったことが北條さんのあとがきに綴られている。病床から翻訳に携わり、命を全うした小林さん。そして1人残されながらも最後まで仕上げた北條さん。その熱き渾身の共同作業に思いを馳せながら本書を閉じることにする。

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ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
1968年横浜市生まれ 千葉県育ち。ビールとカレーがやめられない中年書店員。職歴四半世紀。気がつきゃオレも本屋のおやじさん。しかし天職と思えるようになったのはほんの3年前。それまでは死んでいたも同然。ここ数年の状況の悪化と危機感が転機となり、色々始めるも悪戦苦闘中。しかし少しずつ萌芽が…?基本ノンフィクション読み。近年はブレイディみかこ、梯久美子、武田砂鉄、笙野頼子、栗原康、といった方々の作品を愛読。人生の1曲は bloodthirsty butchers "7月"。