5月8日(木)
東京都北区。
築20年以上の住宅とその1階を工場にした建物が並ぶ一角に父親の会社がある。それはバブルの影響はほとんど受けなかったにも関わらず、不況の冷たい風はどこよりもキツイ、文字通り吹けば飛ぶようなちっぽけな会社だ。
父親は20年以上前、30代後半に、勤めていた会社を辞め、会社を設立した。設立当時の苦い思い出はいまだ息子に語らない。よほど嫌な想いをしたのだろう。しかしそんな父親は人生のほとんどの情熱を会社に傾け、そして何よりも仕事を愛し、小さな小さな部品や機械を作り続けたきた。それは父親が使う言葉でいうと「モノをこさえる」仕事だ。
朝、その父親の会社に立ち寄る。
編集部の金子が単行本の編集に必要な資料(本)があって、しかし、それがどうしても見つからず喘いでいたのだが、詳しく話を聞いてみると、なんとその資料を僕が持っていたのだ。ただしそれは実家の本棚に置いてあったので、昨夜母親に電話を入れ、約12分ほど実家を出ていった後の子供部屋の所有権について不満を言われ、どうにかこうにか母の日に5000円以上のプレゼントすることを約束し、本棚から探し出してもらったのである。そして、その本を今日父親に預けさせてのだ。
父親の会社を訪れたのは数年ぶりのことだった。
扉を開けてビックリしたのは、まったく何も変わっていなかったことだ。入ってすぐのところになぜか社長である父親の机があり、その向こうに大きな設計机が置かれている。奥には所狭しと工作機械が置かれ、唸るようなモーター音と圧縮空気が抜ける炸裂音が響いていた。この場所に会社が移るとき、僕は確か高校生で、父親から学校に行かないなら引越を手伝えと言われ、暇つぶしに顔を出したことがあった。あのとき以来この場所の風景は何も変わっていない。
ただし設立以来働いている従業員の人達は、それぞれしっかり老け込んでいて、間違いなく時が過ぎていることの唯一の証になっていた。
父親や従業員の人達に挨拶を済ませ、兄貴がいれてくれたコーヒーを飲む。兄貴は今、父親の会社で働いている。それは2代目としての受け入れというよりは、人格形成の再教育の意味が強い。
兄貴は小学校の入学以来、通信簿に毎回「協調性がない」と先生から指摘されるタイプの人間だった。だれかと一緒に何かをするなんてことは絶対に出来ない。常にひとりでいることを好み、もし何かを言いだしたとしても相手の意見なんて求めていない。よく言えば独立心が強い、悪く言えば単なる夢見るアホだ。一番身近にいた弟として判断すると、それはどうみても単なる夢見るアホであり、もうひとつ付け足すならば変人である。
その「協調性がない」まま大人となった兄貴は、家族の予想通り会社勤めをしても長続きしなかった。30歳を過ぎてもう書き慣れてしまった退職願をソフト会社に出した後、ついに両親はその責任を取って、自ら兄貴を手元に置いて再教育することを決意したのだ。
ちなみに僕は、小学校から高校まで「落ち着きがない」と指摘され続け、6・3・3の12年間教卓の隣の特別席に座らされたのが自慢の人間だ。しかしその特別席への配置を一番後悔するのはいつも先生で、なぜなら自分よりも目立つヤツが黒板の前で騒ぐのだから、授業が成り立つわけがない。いつもいつも3日ほどすると、定位置の窓際の一番後ろに戻され、先生は僕を教育することを放棄した。それでも僕の場合、ある意味落ち着きがない人間にとって天職と思われる外回り営業に就けたのが幸いだった。
コーヒーを飲みながら、機械を加工する音を聞く。小さい時から慣れ親しんだ機械油が熱せられる匂いを嗅ぐ。電話が鳴り、兄貴が出て、父親に変わる。二人は僕の知らない会社と部品の名前を挙げ、打ち合わせをし出す。
二人の姿が、ちょっとだけうらやましかった。