8月28日(木)
8月28日(木)
夕方会社に戻ると、事務の浜田が大騒ぎしているではないか。こいつは基本的に何でも大騒ぎする人間なので、どうせ大したことはないだろうと思いつつ、いったい何があったんだ?と問いただすとこれから顧問・目黒が自炊したお雑煮を持って降りてくるという。やっぱりどうでもいいことだ。それよりも何でこのクソ暑い真夏にお雑煮なんだ。季節違いもいいところ。いやはやとんでもない会社に入っちゃったもんだ。一段とそんな想いがつのる。
しばらくすると本当にお雑煮を持って目黒が降りてきた。いつも目黒からおこぼれ貰っている編集部と違って、営業部や助っ人は目黒の手料理を食べるのは初めてのこと。期待よりも不安が大きかったのは僕だけじゃないはず。
目黒が作ったお雑煮は関東風のお雑煮で、シンプルなだしに鶏肉やほうれん草やニンジンなどが入ったものだった。助っ人机に一同集まりご賞味。ずずずっと汁を飲んだ。
そして僕は沈黙した。
誰か何か言え!そう思ったが、助っ人も沈黙した。それは決して不味いというわけではなく、何とも感想の良いようのない味だったのだ。普通…。いや違う。うーんなんと言ったらいいんだ。新婚一年目の奥さんが初めて作ったお雑煮とでも言えばいいのか…。そもそも目黒自身が「ちょっと失敗したかも」と呟きつつ、みんなに渡したのだ。それにしても何か感想を言わなきゃ、と悩んでいると遅れて食べ出した浜田が大騒ぎし出す。
「おいしい、すんごいおいしい。目黒さん、ほんとにおいしいですよ」
僕たちはその言葉を聞いて一段と沈黙する。
一口食っただけで、しかもそれがまだノドを通っていなうちに、3回も「おいしい」なんて言葉を使うか? それじゃまるでテレビのアホなリポーターと一緒で信憑性がないじゃないか。それに料理は結構自己満足な部分が大きくて、いくら周りがおいしいって言ったって、本人が失敗したと感じていたらどうにもならんのよ。それだったら静かに食べるか、何か気の利いたアドバイスをした方がいいんじゃないか。
しかし浜田は畳みかけるように感想を吐き続ける。
「鶏肉が入っているっていうのがいいですね。ボリュームがあってお腹がいっぱいになります。これユズの皮ですか? なんか一流の料亭みたい。ほんとおいしい、おいしいですよ」
お雑煮を誉めるのに具を誉めても仕方ないだろうに…。
結局、僕と助っ人は沈黙のままお雑煮を食べ終え、そっとお椀を返した。目黒もわかっているようで静かに4階へ戻っていった。その淋しげな背中に浜田が声をかける。
「ほんとにおいしかったですよ。目黒さん」
そのとき目黒の肩が一段と下がったのだが、たぶん浜田は気づかなかっただろう。