コラム / 高橋良平

ポケミス狩り その14
「シメノン選集の巻」

〈ジョルジュ・シメノンは、この2、3年来、英のグリーン、アンブラーと共に、広い意味のミステリー文学の中で、最も高く評価されている。現在フランスで最も読まれている作家もシメノンである〉
 と、江戸川乱歩の推薦文を掲げ、801 番からスタートした[シメノン選集]を発行順にリストアップすると----

 801 『雪は汚れていた』      (永戸俊雄訳) 55年2月刊
 803 『家の中の見知らぬ人』    (遠藤周作訳) 55年3月刊
 802 『過去の女』         (村松喜雄訳) 55年5月刊
 804 『ベベ・ドンジュの真相』   (斎藤正直訳) 55年7月刊
 805 『判事への手紙』       (那須辰造訳) 55年7月刊
 807 『メグレとしっぽのない小豚』 (原千代海訳) 55年8月刊
 808 『メグレの休暇』       (永戸俊雄訳) 55年11月刊
 809 『帽子屋の幻影』       (秘田余四郎訳)56年6月刊
 806 『メグレと老婦人』      (日影丈吉訳) 56年8月刊

 1956年6月、〈EQMM〉を創刊した早川書房は、その自社広告ページで、〈このたび小社は上記の6大巨匠(引用者注・ガードナー、クリスティー、クイーン、カー、アイリッシュ、そしてシムノン)の全著作日本飜訳権を独占獲得、絶対他社の収録できぬ傑作最新作100 余点を網羅してぞくぞく刊行の予定です。ご期待下さい〉と堂々と宣言。

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装幀・勝呂忠

 ぼくがたった1冊所有している『判事への手紙』の裏表紙にも"全著作日本飜訳権所有"と麗々しく謳っている。とすれば、メグレ物に限らず、シムノンの戦後作品をすべて翻訳出版するつもりだったのかもしれない。

 しかし、そうはならなかった。

『メグレの回想録』(北村良三訳)を収録した『世界ミステリ全集』第9巻(早川書房・73年4月刊)の解説座談会で、都筑道夫さんはこう語っている。

〈ポケット・ミステリとおなじスタイルで、へりだけ茶いろい色がわりのシムノン選集----あれが、あらかた出おわったところへ、ぼくがエラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン日本語版のチーフ・エディター兼ポケット・ミステリのセレクターとして、入ったわけですよ。たしか選集の残っていた『過去の女』と『メグレと老婦人』を機械的にひきついだんじゃないかな? 訳者が松村喜雄さんと日影丈吉さんで、親しかったからね。もうひとつ、ずっと遅れた『メグレと無愛想な刑事』は、選集では売れないんで、ポケット・ミステリに入れたんです。(中略)セレクターとして手がけたのは、『ベルの死』『メグレ罠を張る』『可愛い悪魔』『死体が空から降ってくる』『上靴にほれた男』の五冊。このうち『罠を張る』と『悪魔』は映画が入ったから、やったわけでね。積極的にやったのは、『ベル』と短篇集二冊だけなんだ。だから、シムノンに冷淡だといわれてもしょうがないけど、なにも英訳本でしかセレクトできなかったから、というだけじゃない。冷淡にならざるをえない面も、あったんですよ。ぼくが惚れ、訳者が惚れ、二重ぼれで張りきってやったような作品ほど、売れないんだもの〉

 その張りきってやった作品について、この座談会の後のほうで、都筑さんは、〈『ベルの死』をポケット・ミステリで出したとき、苦い経験をしましたよ。あれは犯人が掴まらないんだ。あの小説としては、犯人が掴まったら駄作になってしまうんだけれども、激烈なる投書がきてね。(笑い)ぼくは英訳本で読んで惚れこんで、峯岸久さんに英訳と原書と両方お渡して、お願いしたんです。峯岸さん気に入って、大へん熱心にやってくれたんだけれども、投書がずい分きましたよ。犯人が掴まらないとは何ごとだ、もうポケミスは買ってやらないぞ、とかね。(笑い)〉

 ほかに注目の発言を拾ってみると----

〈都筑 (前略)シムノンは日本でも、出すほうの側からいうと、決して冷遇されてる作家じゃないわけですよ。たいてい日本の読者に受入れられない作家は、純文学はとにかくとして、あっさり出版社側もあきらめちゃうでしょう。ところがシムノンは、間をおいて何度も、選集みたいに出してる。何度もやって、うまくいかない。だいたい春秋社とかサイレン社とか、日本で最初に出たころは、そんなにひどく売れない作家じゃなかった、と思うんです。
 稲葉(明雄) ちょっとしたブームもあったんですね。
 都筑 まあ、ブームといえるかどうか......一点二千部ぐらいだったろうから。またそれで、商売になった時代だったんですね。ブームと呼ぶとすれば、そのきっかけは映画の「モンパルナスの夜」だったんじゃないかな〉
〈都筑 戦前は本格一辺倒じゃなかったから、シムノンも受入れられたはずだ、と思うんです。日本の読者にあわない作家になったのは、ぼくらがミステリ出版に首を突っ込んだ頃じゃないかなあ。
 稲葉 新潮社版の『汽車を見送る男』(注・[現代フランス文學叢書]菊池武一訳・54年3月刊)もあまり成績はよくなかったとか。
 都筑 そのへんが不思議でしょうがない。ことに最近は日本も、推理小説から犯罪小説の時代に移っているんだから〉

 都筑さんの退社後、ポケミスには、選集から拾った『メグレと老婦人』(61年2月刊)『ベベ・ドンジュの真相』(61年3月刊)、それに『過去の女』の改題・新訳の『娼婦の時』(日影丈吉訳・61年11月刊)と、〈EQMM〉65年9月号から11月号まで連載された『メグレと若い女の死』(北村良三訳・72年11月刊)と、4冊しかシムノン作品は収められなかった。また、[ハヤカワ・ミステリ文庫]にも、『メグレ罠を張る』と『メグレと老婦人』の2冊が文庫化されたのみ。やはり、成績がさほど芳しくなく、編集部としては、シムノンに冷淡にならざるをえなかったようだ。

 それに対し----、

〈(シムノンの小説の)ひろまりが遅かった理由は種々あろうが、私見によれば我が国で戦後早川あたりから出されたメグレ物の翻訳が悪かったという事が大きな原因ではないかと思う。(中略)英米と違って、フランス語の翻訳をする人の数は限られている。その世界が狭いだけに、相互批判も少ない。フランス映画の字幕屋さんに小遣銭かせぎの「やっつけ仕事」としてハヤカワ・ミステリが利用されたのではないだろうか。そんな気が私にはするのである〉

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表紙デザイン・広瀬郁
 なんて批判もある。長島良三・編『メグレ警視』(パシフィカ[名探偵読本2]・78年12月刊)収録の「シムノンとメグレ」で、執筆はシムノンと親交のあった桶谷繁雄氏。

 同書の桶谷繁雄+都筑道夫+長島良三の座談会「メグレの世界」では、

〈長島 メグレ物以外は、シムノン・ファンというのは限られていて、そう売れないと思いますよ。
 都筑 いやいや、そうじゃないです。そうじゃなくて、やっぱり、シムノンのロマンというものが、まだ日本には早過ぎた。だって、それならば早川のシムノン選集がもっと売れているはずだもの。もうちょっとよかったはずですよ、尻切れトンボにせざるをえなかった結末にはならなかったと思うの。あれ、予告だけして出さなかったのが三冊か四冊あるでしょう。(注・前記の版権取得書のうち、長篇4冊、短篇集1冊が未刊となった)
 長島 全部終わってないですね。後に、あの中からいい物がミステリ・シリーズに入っています。
 都筑 ミステリ・ファンの中には小説の読み方を知らないで、トリックとか犯罪の興味だけで読んでいる人がいるわけですよ。この人は推理小説が好きだというけれど、本当に小説がわかるのかというときに、シムノンを読ませると大概その程度がわかる〉

 と、都筑さん、相変わらずポレミックな発言であります。
 とはいえ、早川書房の編集者時代、北村良三などのペンネームでシムノンを翻訳していた長島さんの尽力の甲斐あって、時代は変わっていた。同書の編集後記で、長島さんは、こう書いている。

〈世界中で聖書、レーニンについで売れているメグレ・シリーズが、なぜ日本ではこれほど評価が低いのか? 本書が、そういった誤ったメグレの評価を少しでも正してくれればいいと思っている。/しかし、今後はそうそう悲観的な材料ばかりではない。再三言うようだが、河出書房の《メグレ警視シリーズ》がきっかけで、テレビ化され(注・テレビ朝日系・愛川欽也主演「東京メグレ警視シリーズ」)、やっと日本でもメグレ物が定着しつつある。売れ行きも増している〉

 それは確かで、その河出書房新社の[メグレ警視シリーズ]は、当初10巻の予定で76年9月にスタートしたが、好評につき続刊となり、パシフィカ版[名探偵読本2]の『メグレ警視』の出版時点で全36巻を謳っていたが、結局、80年7月までに50巻まで増刊する大成功を収め、102 を数えるメグレ警視の事件簿に未訳はなくなった。のちに、11点が河出文庫に収録されたが、現在は残念ながら絶版。

 河出以外、15作12点出した創元推理文庫の目録には現在、メグレ物の『男の首/黄色い犬』(宮崎嶺雄訳)に『猫』(三輪秀彦訳)の2点しか残っていない。そのほか、自殺した愛娘のための鎮魂の書『私的な回想』(長島良三訳・〈EQ〉86年3月号〜94年5月号断続連載)をはじめ、書籍化されていないものも少なくない。

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装幀・芦澤泰偉
 では、シムノン冷遇が再来したのかというと、そうでもなく、河出書房新社は積極的で、集英社の[シムノン選集]以来久し振りに、彼のロマンに焦点をあてた[シムノン本格小説選]を、『証人たち』(野口雄司訳・2008年4月刊)からスタートさせている。

 ただ、シムノンに惚れこみ、この叢書でも『ちびの聖者』(08年7月刊)『闇のオディッセー』(08年11月刊)『倫敦から来た男』(09年10月刊)『マンハッタンの哀愁』(10年2月刊)『ブーベ氏の埋葬』(10年12月刊)『青の寝室----激情に憑かれた愛人たち』(11年2月刊)『モンド氏の失踪』(11年8月刊)『小犬を連れた男』(12年8月刊)などを訳された長島良三さんが、昨13年10月14日に逝去されたので、これで終了なのかどうか。その衣鉢を継ぐ翻訳者が現われるのを願ってやまないのだが......。

 蛇足ながら、Simenon を「シムノン」と表記するのが一般的になったのは、56年10月初旬、外遊から帰った当時の探偵作家クラブ会長・木々高太郎が、シムノン本人と会談した際に発音を確かめ、それをクラブ員に報告して以来である。なお、その会見で、シムノンが翌年秋の来日を約し、ホテルよりも探偵作家の自宅に泊まりたいと望んだとかで、乱歩は便所を水洗に変えるなど、とり急ぎ自宅を増改築したのだが、結局シムノンは訪れず----詳しくは乱歩の『探偵小説四十年』を当該エピソードを参照のこと。

 さらに余談だが、シムノンの『私的な回想』をもとに、長島さんは〈HMM〉にエッセイ「ジョルジュ・シムノン----小説家と愛娘の異常な愛」(09年7月号、11月号〜10年3月号)を短期連載されたが、『世界のすべての女を愛している----ジョルジュ・シムノンと青春のパリ』(白亜書房・03年12月刊)につづき、晩年を中心にした伝記の続編を書くつもりはなかったのだろうか、ちょっと気になる。

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