『とんび』重松清
●今回の書評担当者●明林堂書店ゆめタウン大竹店 船川梨花
隣の芝生は青く見える、なんてことは生きている間に100回ぐらいあるしどんなに心を強くいようと思っても誰かと比べて自己嫌悪することは99回ぐらいある。
母子家庭で育った私は決して母が悪いわけではないのに、よそのオールメンバー揃った家庭と比べては母を困らせた記憶が少なからずある。
大人になった今だからこそ、当時母に向かって全力でぶつけた言葉の殺傷能力の高さに気付き、今さらながら言葉の重たさを実感している大馬鹿者だ。
重松清さんの『とんび』の主人公のヤスさんは、愛する妻と愛しい息子との幸せで穏やかな日々を突如奪われ、男手ひとつでの子育てに奮闘しながらも、時には息子を愛するあまり暴走を見せ、息子アキラだけでなく周囲の人間を毎度驚かせ、時には厳しく時には温かくみんなに見守られながら父と子の2人で生活を送っていた。
不器用で頑固で喧嘩っ早いヤスさんなりに全力の愛をアキラにぶつける姿に、どうしても私には母が育ててくれた日々と重なってしまい文字を追うごとに母への想いが強くなっていった。
幼稚園に通うようになったアキラはお迎えの時間になると、自分には世話を焼いてくれるヤスさんの昔なじみのおばちゃんが迎えにきて、周りの子たちは母親が迎えにきている姿を見て、母親がいない寂しさを日に日に心に抱えていった。そんなアキラのことを心配したヤスさんはアキラのためにお見合いに挑んだりするものの、どうにも全てが空回ってしまう結果ばかり。
そんなヤスさんとアキラの様子を見かねたヤスさんにとっては父親代わりのお寺の和尚さんがヤスさん親子と自分の息子を夜の海に連れ出すシーンは、正直言ってずるい。ヤスさんに抱かれながら冷たい海風に体を冷やすアキラに「お前に母親がいれば空いた背中を母親が抱きしめてくれる。でもお前には母親がいない。その代わりお前が寂しい思いをしている時にはこうしてワシ達がお前の背中に手を当てて温めてやる。お前は寂しい奴なんかじゃない。一人なんかじゃない」と語りかけるシーンは、ここ数年読んだ作品の中で堂々の1位といっていいほどの名シーンである。
このシーンを読んだ時に、幼い頃私たち母娘のそばにはいつも気にかけてくれるたくさんの大人がいたことを思い出した。あぁ、自分のことを誰よりも寂しい子だと決めつけていたのは他の誰でもなく私自身ではないか。もしあの頃の母と私に会えるなら、母には最大級の誉め言葉を贈り、ひねくれていた私のことは全力で抱きしめてお前の母ちゃんは世界で一番素晴らしい母ちゃんだと教えてあげたい。
寂しい気持ちを抱いたことのある人、現在進行形で寂しさを抱えている人にこそ今作を読んでほしい。
そこには決して説教じみた言葉ではなく、全身全力投球のパワフルなヤスさんがいて、寂しい気持ちを丸ごと受け止めてくれるはずだから。大丈夫、人間って自分が思っているほど孤独ではないから。あなたは寂しい人じゃないから。
- 『そして生活はつづく』星野源 (2022年5月12日更新)
-
- 明林堂書店ゆめタウン大竹店 船川梨花
- 山口県岩国市育ち。13日の金曜日生まれの宿命かホラー好き、読むのはお昼派。ジャンル問わず気になった作品は何でも読みたい欲張り体質。本を読む時に相関図を書くのが密かなマイブーム。