『年年歳歳』ファン・ジョンウン

●今回の書評担当者●ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美

  • 年年歳歳
  • 『年年歳歳』
    ファン・ジョンウン,斎藤真理子
    河出書房新社
    2,145円(税込)
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 書店の店頭に立っていると、思わぬ人生の一面を見てしまうことがある。

 随分前になるが、日曜の朝一番に受けた電話は、夫に浮気されたやり場のない気持ちの持ちようを何とかしてくれる書籍を探して欲しいというものだった。声の調子から、自分の母親くらいの年齢と思われるその女性は、疲れた様子で寝食もできない辛い気持ちを切々と訴え、同じことを何度も繰り返した。その気持ちに寄り添う書籍は思いつかなかった。

 今回おすすめするのは、ファン・ジョンウン『年年歳歳』(河出書房新社)だ。

 老夫婦と姉妹、末子の弟の家族の母親、母親と同じ建物に住み自分の家族の家事の面倒を見てもらいながら働く長女、そして家族には言っていないが同性の恋人と同居する次女がそれぞれ連作短編の主人公となっている。主人公はイ・スンイル、ハン・ヨンジン、ハン・セジンとフルネームで記され、家族の女たちのみ語りを得ている。

 物語には、それぞれの越し方と生活が描かれ、その時代、場所に生まれて日々を生きるうえでのやるせなさや、そのなかで女性であることについても書かれている。女たちは自分の思いを家族にも語ることはない。

 1940年代生まれの母親イ・スンイルは、結婚するまで自分の名前を順子(スンジャ)だと思っていた。皆にそう呼ばれたからだ。日本統治の影響で、当時女の子の名前に「子」を付けることが多く、「順子」は従順、順調という意味が込められその時代に多い名前だった。早くに両親を亡くし、叔母に引き取られたイ・スンイルの人生は働き詰めで、老いても生活のために身を粉にして家族の面倒を見る毎日だ。イ・スンイルはそれを不幸と思わず流れる月日を体を動かしながら生きている。他人に自分の思いを語ることはない。

 長女のハン・ヨンジンは詐欺にあった父のため、高校を出て就職し、家族を支える。年若い自分が一家の柱とならざるを得なかったときに感じた理不尽さは今でもしこりとなっているが、傍から見るとしっかり者の長女だ。次女のハン・セジンは演劇や執筆をして気楽な生活をしていると思われているが、同性の恋人が病に倒れ「普通」の規範から外れることの窮屈さも感じている。

 家族だからと全てを打ち明けるでもなく、それぞれの人生を生きる女たちの人生が交わると、今まで知らなかった顔を見ることになる。

 例えば、深夜母親が長女に自分の秘密を思わず漏らしたとき、長女のハン・ヨンジンは小さい時から幾度となく見てきたのとは違う母親の裸を眼にしていると母親の顔から眼を逸らせなくなる。だからどうというのではない。ふとした瞬間に自分と同じように家族にもそれぞれの人生があると気付くだけだ。寡黙さは空っぽとは違うと気が付かせてくれる一冊だ。

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ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
東京生まれ。2001年ジュンク堂書店に入社。自分は読書好きだと思っていたが、上司に読書の手引きをして貰い、読んでない本の多さに愕然とする。以来読書傾向でも自分探し中。この夏文芸書から理工書担当へ異動し、更に「本」の多種多様さを実感する日々。