『空洞のなかみ』松重豊

●今回の書評担当者●精文館書店中島新町店 久田かおり

 何冊かの本を並行して読むことがよくある。でもどちらかというと本の世界に浸りきって全力で読む妄想系読書タイプなので並行読書が続くと頭も心も混乱して疲れてしまう。そんな心を静めてくれるのは夜寝る前の「睡眠布団本」である。

 これはエッセイとか短編集とかのどこから読み始めてどこで途切れても大丈夫なものがいい。前回読んだところを遡って読み直してから先に進まなくてはならない複雑な本だと一歩進んで二歩下がるワンツーパンチ読書になりいつまでも終わりが来ないし、手に汗握る鼻血本だと目がさえて朝までコースの徹夜読書になってしまう。やはり夜は心静かに休みたい。

 そんな睡眠布団本で今一番お気に入りなのがコレ。松重豊著『空洞のなかみ』(毎日新聞出版)。

 松重豊さんが短編集&エッセイを出す、と聞いて、へぇー小説なんて書かれるんだ、へぇー意外だわ、と思いながら読み始めたのだけど、いやこれまいったまいった、めちゃくちゃ面白いし、うまい、とにかくうまい。

「サンデー毎日」に二年ほど連載していた「演者戯言(えんじゃのたわごと)」というエッセイたちと、書き下ろしの「愚者戯言(ぐしゃのざれごと)」という短編たち。タイトルも洒落とんなある(エセ博多弁)。

 短編たちのつくりもいい。
 毎回、「俳優」である自分がどこかの現場にいるけれど「役」が何なのかわからない、というところから始まる。周りの様子や演技の進みをみて、こんな役だろう、ならこういうセリフでいいか、と試しながら演じていく。出だしは好調。やはりそうだったか、じゃぁ次はこうだろな。だがしかし......というね。
 これ松重さんだからこそ描ける世界。俳優の、役者としての悲喜こもごもも読んでいて面白くて切ない。このさじ加減がいいのだよ。大げさでなく、暑苦しくもなく、冷たくもなく。そして短い話の中にちゃんと物語とオチがある。毎回訪れる「くすくすっ」という笑いの絶妙さよ。

 松重さんっていうと、約190センチの身長とちょっと怖い顔で、かつては犯人か犯人を捕まえるかどっちかの人という感じだったけど、コミックを実写化したドラマのただひたすらおいしそうにご飯を食べるサラリーマン役、大ブームを巻き起こしたあのドラマの所長さん役、そしてネコ耳つけた家政婦さん役、で顔は怖いけど実はいい人というイメージに変わったようだ。この本はその、顔は怖いけど実はいい人のイメージそのものの一冊なのだ。

 後半のエッセイも素直にするんと読めちゃう。この「するん」というのがとても大事なのだ。気持ちよく一日を終えるために必要な「するん」だ。

 この本を読んでから松重さんのことをいろいろ調べてたどり着いたブログも楽しいのでぜひ。
 ブログの中のリンクから、この本の短編をご本人が朗読しておられる映像も観ることができる。これも自分の目で読むのとは違う心地よさがある。いやぁ、松重さんにはまりそうだよ。

 一年経っても全く収束する気配のないコロナ。いろんなことに我慢や無理を強いられている毎日。そんな中で疲れ果ててすり減ってしまった自分の心を優しく撫ぜてくれる一冊になるだろう。

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精文館書店中島新町店 久田かおり
精文館書店中島新町店 久田かおり
「活字に関わる仕事がしたいっ」という情熱だけで採用されて17年目の、現在、妻母兼業の時間的書店員。経験の薄さと商品知識の少なさは気合でフォロー。小学生の時、読書感想文コンテストで「面白い本がない」と自作の童話に感想を付けて提出。先生に褒められ有頂天に。作家を夢見るが2作目でネタが尽き早々に夢破れる。次なる夢は老後の「ちっちゃな超個人的図書館あるいは売れない古本屋のオババ」。これならイケルかも、と自店で買った本がテーブルの下に塔を成す。自称「沈着冷静な頼れるお姉さま」、他称「いるだけで騒がしく見ているだけで笑える伝説製作人」。