『八月の銀の雪』伊与原新

●今回の書評担当者●丸善お茶の水店 沢田史郎

 まず初めに、伊与原新についてはこれから紹介する2冊しか読んでいないので、「この作家の真価は云々」みたいな知ったかぶりは自戒しようと思う。だがそれでも、一つだけ言わせて貰いたい。

 版元のHPをはじめとして、あちこちで紹介される度に、〈理系ネタ〉が強調されるが、彼の作品は、"理系ネタだから面白い"という訳ではないと思うぞ。
 誤解の無いように言い添えておくと、"理系ネタも面白い"のは、確かである。「月は1年で3.8センチずつ、地球から遠ざかっているんだぜ」とか、「オリオン座の真ん中の3つの星をそのまま右上に伸ばした先で群れているのが〈すばる〉だよ」とか、「ザトウクジラの声は、条件さえ良ければ1,800キロ先まで届くんだって」とか、得意気に語ってみたくなる蘊蓄がてんこ盛りである。

 が......。それが無ければ退屈かと訊かれれば、断固NOと答えたい。では彼の作品の何が、そんなにも僕らの心を打つのだろう?

 例えば「星六花」(『月まで三キロ』所収)では、自分には魅力が無いと思い込んでいるアラフォーの主人公が、数多の後悔とともに半生を振り返って肩を落とす。《こんなはずじゃなかったのに──といまになってため息ばかりついている。「どうせ」と「だって」と「でも」を堂々巡りのように繰り返しながら》。
「山を刻む」(同)では、家族の世話だけで明け暮れる日常にうんざりした主婦が、自身の存在意義に疑問符をつける。《誰もわたしに感謝したりはしない。わたしの心をおもんぱかったり、体を気遣ったりもしない。いつの間にかわたしは、家族にとって、切り刻んでも構わない相手になっている》。
 或いは「八月の銀の雪」(『八月の銀の雪』所収)では、幼いころから他者との意思疎通で失敗を繰り返してきた大学生が、《そのうち僕は、最初から一人でいることを選ぶようになった》と、人との交わりを諦めて生きている。
「海へ還る日」(同)では、子育てと仕事で疲れ果てた母親が、ただただ生活に追われるだけの毎日を自嘲する。《何の取り柄もない、天涯孤独なシングルマザーが、幸せそうに映るはずがない。娘を保育園に預け、給食センターと介護の仕事を掛け持ちする毎日が、輝いて見えるはずがない》。

 その他、独立開業に失敗して自殺する場所を探している五十男や、両親の不仲と進学の悩みで円形脱毛症を患った小学生、役者になる夢を捨てて興味も遣り甲斐も無い会社に就職した青年や、二年前の失恋を引きずり続ける独身女性など、『月まで三キロ』と『八月の銀の雪』、合わせて11人の老若男女が描かれる訳だが、その全員が、世間の物差しで己を測って己に二束三文の値札を貼る。不運や厄介事に見舞われても、どうせ自分は粗悪品だと見限ってしまう。

 そんな彼らがちょっとした出会いを通して、新しい価値観に気付く......と言うか、人間の個性や持ち味、人生の幸不幸や運不運を測る偏差値など存在しないことを知る。

 象徴的な文章がある。前出「海へ還る日」に於いて、鯨類を研究する学者がトークイベントでバンドウイルカの知性に言及する場面。
 過去、何人もの研究者が様々な形でイルカの脳を調べてきた。しかし残念ながら、我々がつい期待したくなるような人類並みの知能を持っている訳ではなさそうだ、ということを説明した後、《でも、私は思うんですよ》と彼は続ける。
《知能テストなんてものは所詮、我々人間が『これが知性だ』と勝手に思い込んでいるものを測る手段に過ぎない。そんなもので彼らの頭の中を評価しようなんて、傲慢じゃないかとね。そもそもクジラやイルカが何を思い、どんなことを考えているのかは、我々には絶対にわからないわけですから》

 この言葉、喋っている本人は無論イルカについて語っているのだが、その後ろに控える黒子──即ち伊与原新は、我々人間が己の視点だけで相手を測ろうとすることの愚を指摘しているように、僕には読めるのだがどうだろう?

 地味だとか、察しが悪いとか、垢抜けないとか、面白味の無い奴だとか、そんな一面的な物差しでしか人を測ろうとしないなら、それは世間の方が傲慢なのだ。あなたがどんな人間かを決めつける権利を、世間が持っている訳では決してない。だから押し付けられた固定観念で自分を否定するのではなく、あなたはあなたの価値観を、あなたが信じる美意識を、胸に抱いていれば、恥じることもうつむくこともない。
 先に挙げた数行の文章で著者は、イルカの知能テストになぞらえて、〈世間〉との比較で劣等感と自己嫌悪を積み重ねる僕たちに、そんな声援を送ってくれているように思えるのだ。

 冒頭で、伊与原新が"理系ネタだから面白い"のではない、と言ったのはそういう訳だ。

 己の性格や生き方を世間に合わせられずに苦しんでいた老若男女が、ふとした出会いを足掛かりにして自己否定の谷底から這い上がる。そこに吹き渡る風は、僕らの胸に溜まった澱までをも吹き飛ばして新鮮な空気を送り込んでくれる。それこそが『月まで三キロ』と『八月の銀の雪』という二つの短編集の、何よりの魅力だと思うのだ。

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丸善お茶の水店 沢田史郎
丸善お茶の水店 沢田史郎
小説が好きなだけのイチ書店員。SF、ファンタジー、ミステリーは不得手なので、それ以外のジャンルが大半になりそう。 新刊は、なんだかんだで紹介して貰える機会は多いので、出来る限り既刊を採り上げるつもりです。本は手に取った時が新刊、読みたい時が面白い時。「これ読みたい」という本を、1冊でも見つけて貰えたら嬉しいです。