『台北プライベートアイ』紀蔚然
●今回の書評担当者●ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
この2年ほど、異常な事態の中にいる。
最初のパニックが治まり、1年が過ぎると、どうやらこれは長期戦らしいということになり、以前とは違う日常を送っている。
そんな中、読んだり耳にしたりするのは、弱い立場の人がより追い込まれていること、頼りになると思っていたものが頼りにならないことだ。今わたしが感じている無力感や生きづらさの対処の仕方にもがきながら、これは中年の危機なのか、なんなのかと思っている。
『台北プライベートアイ』紀蔚然著(文藝春秋)の主人公呉誠は長年パニック障害を患っている。
若い頃に発症し、通院しながら病状をコントロールして、脚本家として成功し、大学で教鞭を取るまでになった。しかし、50歳を目前に全てを捨てうらぶれた臥龍街に引っ越し、私立探偵を開業する。
きっかけとなるのは、酔って仲間に罵詈雑言を浴びせ、そのほとんどから絶縁されてしまったことだ。翌日酔いがさめて皆に謝罪し、環境を変えようと実行に移す。
演劇に関わっていたせいか、呉誠は饒舌で、自分のことを突き詰めて考えている。端々から傲慢不遜な以前の姿がうかがえるが、なぜだか憎むことができない。
全てを捨てて、というと世捨て人のように感じるが、台北の裏路地でそれは無理だ。隣人たちは、新たな住人に警戒しつつも興味深々で、探偵業がきっかけで付き合いができてゆく。
演劇で培った洞察力があるといっても、探偵については素人だ。呉誠は、手探りで始めた探偵業で、知り合った人たちを巻き込んでチームを作り、事件を解決する。
探偵として何とか形になってきたところで、連続殺人の犯人として呉誠が逮捕されてしまう。周囲は無実を疑ってはいないものの、台湾司法の闇として、有罪はあり得る。呉誠は無実を証明するため、事件を解決しようとする。
露悪的で厭世感にあふれているものの、どうにか自分と折り合いをつけて生きていこうとあがく呉誠は自分が思うより皆に愛されている。
台湾の事情や日本に関する記述も興味深く、この一冊を読んで寝て、とりあえず明日も仕事に行こうと思える。
- 『眠りの航路』呉明益 (2022年1月6日更新)
- 『蛇の言葉を話した男』アンドルス・キヴィラフク (2021年12月2日更新)
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- ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
- 東京生まれ。2001年ジュンク堂書店に入社。自分は読書好きだと思っていたが、上司に読書の手引きをして貰い、読んでない本の多さに愕然とする。以来読書傾向でも自分探し中。この夏文芸書から理工書担当へ異動し、更に「本」の多種多様さを実感する日々。