『不気味の穴 恐怖が生まれ出るところ』伊藤潤二

●今回の書評担当者●未来屋書店宇品店 河野寛子

  • 不気味の穴――恐怖が生まれ出るところ
  • 『不気味の穴――恐怖が生まれ出るところ』
    伊藤 潤二
    朝日新聞出版
    2,200円(税込)
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 夏の風物詩にあがる怪談やホラー映画と並び、書店の夏も恐怖本を扱う機会がふえてくる。例にもれず、恐怖本コーナーを作るようになってからは伊藤潤二の漫画を必ず並べている。それは遠巻きに見るも手が出せない、塾帰りの子供たちに、畏怖の念を植え付けたいという少しの念いと、ほぼ大半のえこ贔屓からだ。贔屓する理由は、美少女の妖艶さはもちろん、信頼の恐怖、安定の気持ち悪さ、品のあるギャグセンス、そっと出し抜いたセリフなど、知られるとおり数えればきりがない。これらすべてをどのように培い、産みだすに至ったか。本書『不気味の穴』を読むとよくわかる。

 岐阜県中津川市に生まれた作者は、父、母、二人の姉、そして父の姉と妹の7人で長屋に暮らしていた。ホラー好きの姉の影響もあり、五歳のときには怪物漫画を完成させている。その後もコツコツと描き続けるのだが、この積み重ね方が怖さの根底と思える。とにかく伊藤作品は線が凄い。もっといえば線が怖い。この緻密で不気味な世界へと読者を誘う仕掛けについて本書は詳しく語る。

 そもそも物語の構成を練るのと並行してキャラクターがうまれるため、キャラクターを起点にはしないそうだ。作者が描くものは「世界」であり化物が描きたいわけではないという。ではあのインパクトのあるキャラクターや異形のものたちは一体何なのか。

 たとえば代表作の富江シリーズ「画家」には、富江が有名画家に自分の姿を描かせた後、私の美しさがまったく描けていない!と、画家を罵り高笑いする場面がある。一気にプライドをへし折られた画家はここからスランプの沼へと落ちてゆく。一見、強烈な印象を与えキャラクター主体のように思えるが、あくまでも富江があちらの世界に引きずり込む媒介役なのである。

 他にも死の恐怖を描いた「長い夢」がある。永遠に生き続ける夢を死ぬ間際に見れば、死の恐怖から脱せられると仮説したものだ。青年の原因不明の病に悩んだ医師は、異様な現象を見たことで禁じ手の医療に手をそめる。ここでも富江と同じくミイラ化する青年と出会った者が、少しずつ狂い崩壊へと進む。

 作者は個性的なキャラクターやグロテスクな絵を見せるのが目的ではない。
 読者を楽しませるため細部にまで手を抜かない技が、結果として不気味の世界を創りだしている。

 これと共通するものにモードの世界がある。ハイファッションがコレクションで提唱するモードのことだ。服の着やすさや綺麗さをみせるだけではなく、あくまでも世界観(モード)を打ちだしている。高く巻き上げられた髪、大きく膨らんだ不均等な肩、シワや刺繍の加工などは見るほどに気が遠のく技である。この繊細異様な世界美と伊藤潤二の不気味世界の創造法が同類に感じられて面白い。

 そんなモードな作家、伊藤潤二の頭の中を覗けば、ホラーはお洒落に、お洒落はホラーに。恐怖の変換スイッチを自在にしてくれる発見本としてご贔屓いただければと願う。

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未来屋書店宇品店 河野寛子
未来屋書店宇品店 河野寛子
広島生まれ。本から遠い生活を送っていたところ、急遽必要にかられ本に触れたことを機に書店に入門。気になる書籍であればジャンル枠なく手にとります。発掘気質であることを一年前に気づかされ、今後ともデパ地下読書をコツコツ重ねてゆく所存です。/古本担当の後実用書担当・エンド企画等