『ランスへの帰郷』ディディエ・エリボン

●今回の書評担当者●未来屋書店宇品店 河野寛子

  • ランスへの帰郷
  • 『ランスへの帰郷』
    ディディエ・エリボン,三島 憲一,塚原 史
    みすず書房
    4,180円(税込)
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 作者のエリボンは1953年フランス北東部にあるランスの貧しい家庭に生まれた。生活の貧しさやゲイという自身のセクシャリティよりも、家族の発する労働者階級ゆえの話題や言動に嫌気を感じ、しだいにそこから抜け出すために動きはじめる。しかし逃げた先の別社会では話し方や知識、生活習慣からふるまいまで全て変えることに注力しなければならず、その結果出自を隠した階級隠蔽者として生きる道を選ぶことになった。だがいつしか労働者階級を侮辱する側の発言に同意しながらも、家族を否定した過去の自分に罪悪感を持ちはじめてゆく。
 これは作者が階級社会の中で差別的に受けてきた支配(社会的支配と呼ぶ)が浮き彫りにされる半自伝書でもある。

 読み進めるうちに、作者を取り巻いていた「環境」は、現在のここ日本でも同様であることに気づいた。つまり、時代や場所、文化的背景が異なっても、人は置かれた瞬間に「すでに持つ者」「持たざる者」に分けられてしまう。
 自分が、何を持ち、何を持っていないかに気づけば、次は、持っていないものを欲しくなる。それが叶わないと知れば、持っていないことを隠すか、逃げるかしかない。しかも、「持つ」「持たない」には温度差があるのだ。
 今年の文學界新人賞・芥川賞作品『ハンチバック』の中で重度の障害を持つ主人公が読書について語る場面がある。

「ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていれば済む健常者は呑気でいい」(P35)

 日々、書店員として働き来店するお客様にサービスを提供するのがあたりまえの日常である自分がまさか「すでに持つ側」で、そのことに無自覚であったことにハッとさせられる。まさにエリボンがいう「無自覚な富裕層」のいる環境に私はいる。
「環境」は、そんな「持つ」「持たない」が幾層にも重なる世界をつくりだす。
 憎む相手は、特定の人物ではなく置かれた環境であるのに、運の悪さを人は認めることをしない。だから目の前のものを標的にするしかないのだ。石を投げた先が間違っていたことに投げた後で気づくこともままある。それも数ヶ月後や数年後と時間をかけて気づくほどに後悔の溝も深くなってゆく。著者は父親の死の知らせを聞き帰郷した際にそれに気づいた。そこから本書の執筆に入ったのだという。
 大なり小なり、求めもしなかった意外な記憶が引きずりだされる本書は、これまで埋もれてきた恥の記憶を読者の数だけ掘り起こすのだと思う。

 読者と「故郷」「環境」の結び目を解くかもしれない一冊として、お盆の帰郷のお供にオススメです。

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未来屋書店宇品店 河野寛子
未来屋書店宇品店 河野寛子
広島生まれ。本から遠い生活を送っていたところ、急遽必要にかられ本に触れたことを機に書店に入門。気になる書籍であればジャンル枠なく手にとります。発掘気質であることを一年前に気づかされ、今後ともデパ地下読書をコツコツ重ねてゆく所存です。/古本担当の後実用書担当・エンド企画等