『八月の銀の雪』伊与原新
●今回の書評担当者●HMV&BOOKS OKINAWA 中目太郎
沖縄では、多ければ月に2回ほど台風が接近することがあります。特に7月から9月にかけて多く接近し、県民も台風慣れしているようにさえ感じられることも。
台風の発生が報じられると、予報などで常に情報収集を行います。進路、風の強さ、中心気圧などから、どの程度対策をするか確認します。窓ガラスに養生テープを貼るべきか。雨の侵入を防ぐためにサッシにタオルを詰めるべきか。断水の可能性は? 停電は? 食料の備蓄は何日分? 日々移り変わる台風のデータをにらみ、判断を行います。
こんなときに不思議だと思うのは、台風という目に見えないものがこうやってデータとして見えるようになっていることです。進路はもちろん、測りようがないはずの台風の強さも、中心気圧が何hPa(ヘクトパスカル)なのかによって判断できるのです。
科学は目に見えないものを見させてくれる、と感じます。
『八月の銀の雪』の著者、伊与原新さんは東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、という理系の学歴をお持ちです。この本では出自が活かされた、科学的な知識を織り交ぜた作品が収められています。
表題作「八月の銀の雪」は就職活動で連敗中の大学生、堀川が主人公です。彼はあるきっかけから知り合いに誘われ、仮想通貨の投資に勧誘する場に居あわせる、いわゆるサクラの役目を気が進まないながらも負ってしまいます。
ほぼ同じ時期、よく行くコンビニの外国人店員からなくした論文を見つけてほしいと頼まれます。店員の名はグエンといいベトナムからの留学生だということです。グエンの話では探している論文は地球の内部、コアに関するもので、グエンから科学者がいかにして地球の中心部にあるコアの構造を知るにいたったか、決して見ることのできないコアの姿はどのようなものかという興味深い話が語られます。
ここから堀川が置かれている状況と、コアの構造を調べた科学者の方法が見事にリンクしていきます。科学的でありながら詩的な情景ですらある。そんなタイトルの意味が明らかになる結末は息をのむほど美しいものです。
ほかの作品も、思い悩み傷ついた人たちが偶然の出会いによって新しい道を見出していく物語です。そこには必ず科学の存在があります。具体的な解決策や状況を一変させるアイデアなどではなく、先人たちが積み上げた知識をもとにものの見方を変える、見えないものを見えるようになる、という僅かなことが人を前に進ませる力となっている物語なのです。
風の流れも、地球の中身も、私たちの目には見えません。けれども科学で得た知識を持ち、それらを思い描くことができます。過去に研究者たちが努力の末に発見した知識を得て見えないはずのものを認識し、立ち止まっていた場所から少しずつでも歩き出すことができるのです。
- 『沖縄島料理 食と暮らしの記録と記憶』岡本尚文=監修・写真、たまきまさみ=文 (2023年8月10日更新)
- 『眠れない夜にみる夢は』深沢仁 (2023年7月13日更新)
- 『沖縄の生活史』石原昌家・岸政彦 監修 沖縄タイムス社 編 (2023年6月8日更新)
- HMV&BOOKS OKINAWA 中目太郎
- 大阪生まれ、沖縄在住。2006年から書店勤務。HMV&BOOKSには2019年から勤務。今の担当ジャンルは「本全般」で、広く浅く見ています。学生時代に筒井康隆全集を読破して、それ以降は縁がある本をこだわりなく読んでみるスタイルです。確固たる猫派。