
作家の読書道 第228回:阿津川辰海さん
大学在学中に『名探偵は嘘をつかない』でデビュー、緻密な構成、大胆なトリックのミステリで注目を浴びる阿津川辰海さん。さまざまな読み口で読者を楽しませ、孤立した館で連続殺人事件に高校生が挑む新作『蒼海館の殺人』も話題。そんな阿津川さん、実は筋金入りの読書家。その怒涛の読書生活の一部をリモートインタビューで教えていただきました。
その10「ミステリ以外の好きな海外作品」 (10/13)
――さきほど海外文学も読むようになったとおっしゃっていましたが、そのお話もぜひ。
阿津川:ああ、最近でかなり大きい収穫だったのはルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』ですね。これは書店で平積みされているのを見かけた時に、佇まいに一目ぼれして買ったんです。読んだら文章が好きでした。うまく言葉にできないんですけれど、すごく細かいところの描写が頭に残るんです。表題作の、男性をゴミ捨て場に喩えるくだりとか、「わたしの騎手(ジョッキー)」というたった2ページの掌編の救命室の情景とか。これは本当に何回も読んじゃって、もう、今持っているのが4冊目なんですよ。最初に買った本がガンガン読んでボロボロになったので1冊買い直したのと、訳者の岸本佐知子さんのトークショーに行った時のサイン本が1冊と、あとは布教用に買いました。
――なんとありがたい読者。
阿津川:海外文学は結構短篇集を買うことが多くて。他だとジョン・チーヴァーの『巨大なラジオ/泳ぐ人』、ウィリアム・トレヴァーの諸作品、『フライデー・ブラック』、『彼女の体とその他の断片』、マイケル・オンダーチェ『ビリー・ザ・キッド全仕事』あたりが最近の好きな海外文学短編集です。オンダーチェは『戦下の淡き光』も素晴らしい作品でした。ややミステリに近いですが、ジョイス・キャロル・オーツの『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』なども好きです。
あとは、新潮クレスト・ブックスは毎月チェックしていますね。2か月前に出たイアン・マキューアンの『恋するアダム』も買いました。あれはAI小説としても面白いけれど、数学者のアラン・チューリングが出てくるのがむちゃくちゃ面白くて。アラン・チューリング小説としてあれ以上の作品は出てこないと思います。新潮クレスト・ブックスだと、ジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』なども、記憶と回想で青春時代を織りなしていく文学と見せかけて、しかも見事なミステリでもあるという傑作ですね。
書店であらすじや文章を見て一風変わったものがあると買ってしまいますね。エドワード・ケアリーも最初は『堆塵館』を書店で見て「なんだこれは」と引き込まれて買ったのが最初で、それで夢中になって『望楼館追想』を探して買ったんです。
――ケアリーお好きですよね。『堆塵館』からはじまるアイアマンガー三部作を読み、『おちび』も読み。そうそう、『おちび』がフランス革命の頃の話なので、それで世界史が好きだって話を前にうかがったんでした。
阿津川:もうめちゃめちゃ面白かったですね。王宮が出てくるだけで大喜びしました(笑)。やっぱりフランス革命も好きだし、あとチャールズ・ディケンズも好きだから、あの頃のロンドンが出てきたりすると、もうそれだけで喜んじゃうんで。ケアリーは、文体もそうだし、ケアリーさん自身が描くイラストもそうですけれど、グロテスクで暗い世界なのにどことかく可愛らしく愛嬌があるんですよね。怖くて暗い世界っていうところはやっぱり、子供の頃に読んでいた『ダレン・シャン』などのダーク・ファンタジーに繋がるものを感じます。やっぱり今でも、純粋に面白い小説を読みたいとなるとダーク・ファンタジーを読みがちなんですよね。それに加えてあの濃密な文体と描写の力があるから、そりゃ読んじゃうなあと。今度ケアリーの短篇集が出るというので、すごく楽しみに待っているんです。
――ほの暗いファンタジーでいうと、フランシス・ハーディングもお好きですよね。
阿津川:好きです。あれはそれこそ、川出正樹さんから教えてもらった本でした。『嘘の木』が刊行された時にびびっときて買ってはいたんですけれど、なかなか読む時間なかった時に川出さんに「あれはめちゃめちゃ面白い」と力説されたから読んで、ドはまりしました。ハーディングはミステリ好きの先輩と話すと『嘘の木』が好きだと言うんですけれど、私が一番好きなのは『カッコーの歌』ですね。やっぱりあの設定を考えた時に、普通、あの視点から書こうと思わないはずなんですよ。切なさもあり、力強さもあってぐいぐい引き込まれました。
――異色作家系もお好きなのでは。シャーリイ・ジャクスンみたいな。
阿津川:ああ、大学に入ってから早川書房の異色作家短篇集と、東京創元社のクライム・クラブ叢書は読みました。クライム・クラブ叢書は全然手に入らなかったので、後にアレックス・アトキンソンの『チャーリー退場』とか、ウィリアム・モールの『ハマー・スミスのうじ虫』とか、文庫になっているものを集めて読みました。異色作家短篇集の中だとやはりシャーリイ・ジャクスンは好きで、デュ・モーリアも入っていますし、あとはシオドア・スタージョンが好きでしたね。
――スタージョンはSFですよね。
阿津川:大学のサークルにSF読みがかなりいたのでいろいろ情報はもらえたんです。でも、最初に貸してもらったSFがグレッグ・イーガンの『順列都市』だったので、あのサークルはたぶん優しくなかったとと思うですけれど(笑)、その流れで異色作家短篇集のシオドア・スタージョンの『一角獣・多角獣』を薦めてもらったらすごく面白かったんですよね。私は宇宙が出てくるタイプのSFはあんまり得意じゃなくて、幻想作家と距離が近いSF作家のほうが好きで、シオドア・スタージョンはそこに突き刺さってくるんです。あとは、クリストファー・プリーストが好きなんですよ。『夢幻諸島から』が大好きで、やっぱりそれも幻想作品に近いからだと思います。
異色作家短篇集のようなシリーズは足がかりにしやすいですね。シリーズ旧版のロアルド・ダールなんかが入ったアンソロジーの『壜づめの女房』は手に入れるのに相当苦労しました。新版になる時にアンソロジー枠が若島正さん編の『狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇』と『棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇』と『エソルド座の怪人 アンソロジー/世界篇』になったので、これも面白く読んで、若島正さんのお名前をどこかで見たなと考えて、たしかアガサ・クリスティーの「明るい館の秘密」について書かれたものをどこかで読んだんだと気づき、それが収録されている『乱視読者の帰還』などの乱視読者シリーズや、若島さんが編んだアンソロジーを読むようになりました。『乱視読者のSF講義』ではスタニスワフ・レムとディレイニーとジーン・ウルフにはまりましたね。それが大学4年生の、社会人になる直前の時期でした。
中学生の時の司書さんに始まって、必ずどこかに師匠を見つけて一人一人に師事しながらきた感じですね。大学4年生のその時期は若島正さんに師事していたんです。講演を一回聞きに行っただけでお話ししたこともないので、心の中だけで、ですけれど。
あ、一時期、諏訪部浩一さんに師事していた時期があります。『『マルタの鷹』講義』の人です。諏訪部さんも講演会に聞きに行ったことしかないんですけれど、『ノワール文学講義』という本があって、そこに出てくるノワールをとにかく読む、ということもしました。あの本のおかげでジム・トンプソンにはまりました。
――ちょっと話が戻りますが、ディケンズもお好きなんですね。
阿津川:大学で出会った「海外ミステリしか読みません」という先輩が、毎年年越しにディケンズを読むようにしていると言っていたんです。年末から読み始めて年始に読み終わるようにしていて、その人から「『荒涼館』はマジの大傑作だから読んだ方がいい」と言われ続けていて。数年間尻込みしていたんですけれど、社会人1年目くらいの時にようやく決心がついて『荒涼館』を読んで、めちゃめちゃ面白いぞとなりましたね。登場人物が意外なところで再登場したり、大いなる綾を作っていく感じがたまらないんですよ。先輩が作ってくれた登場人物表も大いに参考になりました。ベタですが、『二都物語』『大いなる遺産』も好きです。
――やはり英国小説がお好きなんですねえ。
阿津川:それでいうと、昨日ちょうど新訳で出たデュ・モーリアの『原野(ムーア)の館』を読み終わったんですが、やっぱり彼女の描写力って異常じゃないですかね。原野についての「暗い」「うら寂しい」という表現では片付かない濃密な描写の積み重ねは、持っていかれるくらい怖くなるというか、引っ張られるというか。
――母親を亡くして孤独になった女性が、叔母がいるムーアの館に身を寄せるんですが、叔母の夫がどうも悪事に手を染めているようだ、という。
阿津川:叔父のことは大嫌いだし叔母のことは助けたいけれど、でも煮え切らない、踏み切れない女性の心理も死ぬほど丹念に描いていて。ああいう文章力のある作家の濃密な文章を読んでいると、それだけでくらくらきますね。あと、ネタバレになりかねないので記事には詳しく書けないだろうけれど、叔父の弟が出てきた時に手を叩いて喜んじゃいました(笑)。
――分かります!(笑)
阿津川:デュ・モーリアはミステリとも距離が近いですし、文芸系のなかでも結構好きな作家ですね。長篇は『レベッカ』とか『レイチェル』や『原野(ムーア)の館』以外は入手困難なのでなかなか読めないんですけれど、やっぱり短篇集もいいですね。『鳥』『人形』といった短篇集が大好きです。東京創元社の雑誌「ミステリーズ!」の「私の一冊」で何か書いてくれないかと依頼されて、『鳥』について書いたくらい。あれに収録された「モンテ・ヴェリタ」が好きなんです。