第264回: 増田俊也さん

作家の読書道 第264回: 増田俊也さん

2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、2012年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション大賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞、また北海道大学柔道部を舞台にした自伝的小説『七帝柔道記』とその続編『七帝柔道記Ⅱ』が人気を博している増田俊也さん。幼い頃から知識欲旺盛な本の虫だった増田さんが、その時々で影響を受けてきた本とは?

その10「『七帝柔道記』の続篇と今後」 (10/10)

  • 七帝柔道記 (角川文庫)
  • 『七帝柔道記 (角川文庫)』
    増田 俊也
    KADOKAWA
    1,012円(税込)
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  • 七帝柔道記II 立てる我が部ぞ力あり
  • 『七帝柔道記II 立てる我が部ぞ力あり』
    増田 俊也
    KADOKAWA
    2,200円(税込)
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  • 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
  • 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
    増田俊也
    新潮社
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――2012年に刊行された『七帝柔道記』は大変な評判となり、山田風太郎賞の候補にもなりましたよね。これは大学1、2年目の話で、今年ようやく3、4年目のことを書かれた『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』が刊行されました。これも本当に面白くて、しかももう、ものすごくドラマティックな展開ですよね。自伝的小説ではありますが、エンターテインメントとして楽しませることは意識して書かれていますか。

増田:してない。だからさっき言ったようにエッジが効いてるんだと思う。実際にあったことの5%くらいしか書かなくてもあんな感じになる。ただ、「Ⅱ」は、みんなの思いが結晶となった試合のことこそが、読者が読みたいところだろうと思っていました。
ただね、そもそも、人間は全員の人生がドラマチックなんですよ。団体スポーツとか、学校スポーツというのがいろいろ言われる時代になって、実際に悲しいこともあるし、悪い面もいっぱいあるし、50年後100年後にはろいろ変わっているんだろうけれど、でも、確かに輝きというのがある。
今振り返ってみると、あんな1円にもならないことをよくやっていたなと思いますよ。でも北大では今年2024年、入学式前に6人も新入部員が入ってきて、全員が『七帝柔道記』どころか『七帝柔道記Ⅱ』まで読んでいたそうです。3月18日に発売されたばかりですよ。それから2週間のうちにそれだけの人数の若者が『Ⅱ』を読んで人生が変わったわけです。何かに本気で打ち込むとか、仲間と一緒に頑張ることに憧れる若者の気持ちって、昔も今も普遍的にあるんじゃないかな。

――新入部員に対する奇妙な儀式、「カンノヨウセイ」はもうやっていないんですよね? 

増田:やらないです。やってたら書けない(笑)。まあ、あれは陽性の悪戯だからいいけども、酒はだめですね。もう10年以上前かな。七大学のOB会全体で「20歳未満には絶対に酒を飲まさない」というお達しをお互いに回しています。そこは我々OBも率先して言うべきだろうということで。だから北大生でも東大生でも九大生でも未成年には絶対に酒を飲まさない。コンパでも18歳、19歳はジュースです。2浪すれば1年生でも20歳だからOKですが。そういうことは学生だけでは見えないこともあるから、僕らOBが社会情勢も見ながら上手に学生たちに話してやる必要があります。他の大学の他のスポーツの同好会なんかでときどき問題が起こるでしょう。そういうことは七大学の柔道部では起こしてはいけないと思います。

――『七帝柔道記』はまだまだ続篇が出そうですね。

増田:「Ⅳ」まで書きます。「Ⅲ」では僕が4年の時に1年だった中井祐樹や吉田寛裕のことを書こうと思ってます。だから彼らは「Ⅱ」にも出てますよね。彼らが4年生になった時に12年ぶりに優勝旗が津軽海峡を渡りますが、吉田はその後、ほどなくして亡くなりました。この本を出すときに、全員違う名前にするか相当悩んだんですよ。先輩の和泉さんに相談したら、いや、やっぱり亡くなった吉田寛裕たちの名前を残すためにね、本名にしたほうがいいって。だから僕らが死んだ100年後も若者たちを励ます本であってほしいです。つらいことがあっても「頑張ろう」ってもういちど立ち直るきっかけになるような本を残したい。
『七帝柔道記』の単行本のカバーは七大学の柔道衣が並ぶ写真ですが、九州大学の道衣は主将だった好漢、甲斐泰輔君の道衣です。彼も24歳で急逝膵炎で亡くなりました。道衣はお父様に貸していただいたんです。吉田寛裕の道衣はもう無かったので使えなかったのですが。「Ⅲ」では吉田寛裕主将が率いる北大柔道部と甲斐泰輔主将が率いる九大柔道部が決勝戦で激突します。そこまで淡々と粛々としっかりと描きたい。「Ⅲ」も「Ⅳ」も頑張らなきゃって思っています。
先日、沢木耕太郎さんとのメールのやりとりで「七帝柔道記シリーズは『深夜特急』を定点観測でやったらどうなるだろうと思って書いた小説です」ということを書きました。青春時代にユーラシア大陸を横断して、それを作品として昇華した沢木さんですが、僕は青春時代を北海道大学柔道場を中心とした札幌の街のなかで過ごすしかなかった。ある意味で土地に縛られた青春なんです。いまふと思ったんですがそういう意味で、『深夜特急』は『路上』的、『七帝柔道記』は『楡家の人びと』的ですね。『楡家の人びと』も病院という建物があるから定点観測になっている。
僕は『路上』からも『楡家の人びと』からも影響を受けていますが、こういった長い長編小説で様々な人の思惑や歴史が一点に収斂していき、最後にある出来事が起きるときの爆発のような瞬間が好きなんです。だから書くものは、どうしても大長編になってしまいます。文芸誌で50枚を1年間連載して600枚になって、さて改稿をとなったとき、編集者に「450枚くらいまで削りこんでください」とか言われて「はい」と受け取っておきながら、出来てみると1500枚くらいに増えてしまって編集者に怒られてしまうんです(笑)。

――1日のリズムってどんな感じですか。

増田:一応目標としては、朝方に寝て昼に起きようとしています。それは結構続いたりもするんだけれど、ゲラ直しなんかを始めると、やっぱり妥協したくないからリズムを保てなくなりますよね。30時間作業して1時間横になるとか。40時間作業して2時間横になるとか。基本的に布団には入らない。床で寝ると体が痛くて、熟睡しないですむから。

――そ、それはダメなのでは。

増田:うん、ダメだけど、生きているうちに全力を尽くしたいんです。肉体が強健だと自分で過信しちゃってるんですよね。それでちょっと急性膵炎やって入院したり、いろいろあったんですけど。でもやはり夭折した後輩や仲間のことを思うとね。せっかく命があるのに力を出し尽くさないのは申し訳ない。僕なんて才能も何もないけど精一杯やりたい。
でもありがたいことですよ。作家になりたいなと子供のころから思っていて、それが運良く実現して、いろんなチャンスをいろんな人がくれて、こんなふうに本が出せて。だから書かなければいけない『七帝柔道記』とか『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を先に書いてきた。『このミス』でデビューしたから「もっとたくさんミステリ書いて売っていかなきゃ作家としてダメになりますよ」という人もいたけれど、そこは曲げなかった。
60年近く生きてきて、若者に残すべき言葉ってあって、そういうことを物語で書きたいんです。それは警察小説であってもSFであってもいいと思うんです。

――では、今後のご予定は。

増田:次は警察小説を出す予定です。1作目はもう書き終えていて、急性膵炎をやったりしたために遅くなりましたが、今年中には出します。それはシリーズものなんです。警察シリーズものって、2作目、3作目を出していくなかでキャラクターが人気を得ていくものだから、早く書かないといけないですね。

(了)