第264回: 増田俊也さん

作家の読書道 第264回: 増田俊也さん

2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、2012年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション大賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞、また北海道大学柔道部を舞台にした自伝的小説『七帝柔道記』とその続編『七帝柔道記Ⅱ』が人気を博している増田俊也さん。幼い頃から知識欲旺盛な本の虫だった増田さんが、その時々で影響を受けてきた本とは?

その2「旺盛な知識欲」 (2/10)

  • 複合汚染(新潮文庫)
  • 『複合汚染(新潮文庫)』
    有吉 佐和子
    新潮社
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  • 沈黙の春 (新潮文庫)
  • 『沈黙の春 (新潮文庫)』
    レイチェル カーソン,Carson,Rachel,簗一, 青樹
    新潮社
    727円(税込)
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  • 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
  • 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
    増田俊也
    新潮社
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  • クラシック リバイバル 女人追憶1
  • 『クラシック リバイバル 女人追憶1』
    富島健夫
    小学館
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  • 種の起源 (上) (光文社古典新訳文庫 Dタ 1-1)
  • 『種の起源 (上) (光文社古典新訳文庫 Dタ 1-1)』
    チャールズ ダーウィン,Darwin,Charles,政隆, 渡辺
    光文社
    924円(税込)
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  • こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 (ジャンプコミックス)
  • 『こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 (ジャンプコミックス)』
    秋本 治
    集英社
    484円(税込)
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  • ブラック・ジャック 1 (少年チャンピオン・コミックス)
  • 『ブラック・ジャック 1 (少年チャンピオン・コミックス)』
    手塚 治虫
    秋田書店
    499円(税込)
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  • マカロニほうれん荘【電子コミックス特別編集版】 1 (少年チャンピオン・コミックス)
  • 『マカロニほうれん荘【電子コミックス特別編集版】 1 (少年チャンピオン・コミックス)』
    鴨川つばめ
    秋田書店
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――愛知県のご出身ですよね。

増田:名古屋市に隣接する尾張の穀倉地帯です。おそらく江戸期から昭和中期まで農地だったところで、平地にも大きな森があちこちにあった。生物学で二次遷移っていうんですけれど、人間の手で畑とかになったところが放っておかれると、またゼロから生態系の遷移が始まるんです。まず草が生えて草地になり、木が少しずつ生えて疎林になり、林になり、さらに樹が増えて森になっていく。僕が育った土地はそういう二次遷移の場所で、クヌギなんかの天然林と、桃とか柿とかイチジクといった果樹が混じった森がたくさんありました。もともと農地だから桃や柿の樹が混じってる。その森のなかを駆け回って鳥を獲ったり、川や池で魚を獲ったり。野いちごとかアケビとか、そのへんにいっぱいおやつがありました。だから、暗くなるまで家に帰らなかった。そして帰宅すると寝るまで読書です。
小学生の中学年くらいまでは自然の野池だと思ってたんですが、高学年になると元々は農業用の溜池だったのだとわかってきた。どの池にも小さな石碑があるのを見つけたんです。15XX年とか16XX年とか書いてあったから400~500年前に作った池なんですよ。当時は外来種のブラックバスやブルーギルもその地方ではいなかったから、もう底が見えないくらい様々な在来種の魚がいました。それにイシガメやクサガメ。タガメとかゲンゴロウなど昆虫類もいっぱいいて、服着たまま泳いだり魚追いかけたりして遊んでた。家に帰ると母親に怒られて外でホースで水かけられて。夜も当時はクーラーなんて普通の家にはまだない時代だから網戸にして寝るでしょう。そうするとカエルの声で眠れないくらいうるさい。秋の虫もそう。そしてイタチやタヌキ、キジやウズラが走り回っていた。地面や草地なんて昆虫だらけですよ。そうした生き物を、図鑑で見ながら憶えていきました。父やおじさんの世代はみんな知っているから教えてくれたし。いま思うと非常に恵まれた生活でした。

――まわりにいろんな生き物がいたんですね。

増田:ところが、小学6年生の終わりから中学1年生くらいの頃に、魚も昆虫も鳥たちも突然消えたんです。スズメくらいしかいなくなっちゃった。衝撃だった。あとでわかったんですけど、農薬ですよ。あと河川の護岸工事。
それで図書室や図書館でいろいろ読みました。有吉佐和子さんの『複合汚染』とかレイチェル・カーソンの『沈黙の春』『われらをめぐる海』とか。カーソンはアメリカ内務省魚類野生生物局を辞めて著述に専念していた水産生物学者です。その彼女が一般の人にもわかりやすい啓蒙書として『沈黙の春』とか『われらをめぐる海』を出して世界的なセンセーションを起こしていた。僕はそれを読んで相当な衝撃を受けました。自分が愛していた水棲生物や鳥たちがいなくなってしまっているのに国も自治体も何もしないから。
僕はきっと、心から生き物が好きなんです。だから突然いなくなったのがショックだった。同級生たちは成績とか恋とか野球とかサッカーに目がいっていたんだろうけれど、僕は生き物に目がいっていたんです。
それが昭和40年代、50年代でした。まだ野犬もいっぱいいたし、家には「弁慶」という名前の大きな秋田犬がいた。ウサギやモルモットやキジやインコやウズラや、いろいろ飼ってた。親父が名古屋コーチンを庭で放し飼いしていました。他の農家の家は卵とか食べてましたけど、うちは父が警察官でしょう。別にそれが仕事じゃないんです。名古屋コーチンもチャボもアヒルもみんなペットですよ。そして僕が世話係をさせられていた。いずれそういう土地で暮らす少年たちの生活を小説にしたいです。

――知識欲の強いお子さんだったようですね。

増田:研究者タイプなんですね。だから『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』みたいなのを書けたんだと思う。小学校高学年の頃にはコンピュータ関連、電気関連のことに凝ったことがあります。その時は「トランジスタ技術」をぼろぼろになるまで読み込んだ。当時はネットがないから誌面でマニアたちが意見交換をしたり部品を売り買いしたりしていました。子供だから毎月雑誌は買えないので同じものを何十回も読んでジャンルを理解していきました。やらされる勉強じゃなくて知的欲求だけで難解なマニア向けのものから入るから覚えるのが速い。漫画家の板垣恵介さんと話したときに「昔は漫画の単行本を買う金なんて田舎の子供は持ってなかったから数冊しかなくて、同じ漫画ばかり、あるいは同じ漫画雑誌ばかりボロボロになるまでめくっていた。それで物語の作り方が身体に染みついた」という話を互いにしたんです。まったくそのとおりで、子供のころに繰り返しひとつの場所を理解していくことは大切なんじゃないかな。
小学校時代から趣味はすべて専門誌から入った。例えば釣りに関しては「釣り人」とか、ラジコンに関しては「ラジコン技術」とか、当時は雑誌全盛時代だから中心になる老舗雑誌があって。今は僕は釣りはやりませんが、小学時代に雑誌の広告で憧れた海外メーカーの製品を今でもやたら詳しく知ってるんです。リールだったらアブのアンバサダーとかミッチェルとか。だから釣り好きの人と会話していて驚かれることがあります。
ラジコンは小学6年の時だと思いますが田宮模型がコンバットバギーという初の本格的な電動ラジコンカーを出したんです。すぐに貯金箱を割って購入して徹夜して組み立てて、それからはまた「ラジコン技術」で大人たちと交流を持って手紙とかやりとりしてた。その後、エンジン式のものが欲しかったんですが、それを買うお金ができる前に中学に入学して野球部に入って時間が無くなってしまったからラジコン熱は冷めてしまいました。あのときもう少し早くエンジン式のラジコンを購入できていれば、いまは自動車か飛行機の技術者になっていたかもしれません。
そうやって、あるジャンルを深掘りしていく手法はノンフィクション執筆でも小説執筆でも同じだと思うんです。だから今でも非常に役立っています。

――ミステリの他に小説は読みましたか。

増田:富島健夫先生の『女人追憶』はよく覚えてます。「週刊ポスト」で連載していた作品です。当時は富島先生みたいに芥川賞候補にも挙がったりした作家さんが色物の小説を週刊誌に連載してたから非常にレベルが高かったんです。宇野鴻一郎さんとか団鬼六さんとかも書いていましたが、富島先生はもっとスタンダードな文体と表現なんです。
小学生の頃、親父とお袋がいない時に富島先生のその連載を読んで、あんまり意味がわからないけれどなんか面白いな、と思っていました。動物を飼っているとウサギとか鶏とかも交尾するでしょう。あれと関係あるのかな、とか類推してね。子供向けにリライトされたダーウィンの『種の起源』とか動物系の本を読んでいましたから、脳内で細かい知識のシナプスが少しずつつながって、生物学の基礎みたいなものが何となくわかってきていた。
富島先生は非常に文章がきれいで勉強になりました。しなやかというか艶のある文章で、リズムもあって、難解でなくて、決してそのものは描かなくて。だから小学生の僕が読んでも空気感が伝わってきたんでしょう。
相変わらずドイルやルブランや横溝正史も読んでいました。ドイルに関しては完全にシャーロキアンでしたが、乱歩は大人向けになるとおどろおどろしいから、6年生くらいの時に1、2冊大人向けを読んで怖くてちょっと遠ざけちゃったけれど。中学生になってから大人向け乱歩を続けて読んだ。でもやっぱり怖かった。怖がりなんです。妹はテレビで明智小五郎の怖いやつ観てたけど、僕は怖くて観ることができなかった。
ああいう空気が怖くて怖くて、僕は幽霊も怖くて、最近まで電気つけたまま寝てたんです。小学生の時はとくに幽霊は怖かったです。夜おしっこしたくて目が覚めてもトイレに行けなくて、朝まで我慢していました。大人になったらトイレまで行かなくていいホースを開発しようと思っていました(笑)。

――小中学生時代は柔道は習っていなかったのですか。

増田:僕は小学校のときはソフトボールとサッカー。中学では野球部です。だからサッカーや野球の技術本を多く読んでた。柔道をやりたいと思ったのは、小学校6年生の時に、母親と喧嘩したことがきっかけです。その頃はもうだいたい母親と同じくらいの体格だったんですよ。言い合いからつかみあいの喧嘩になって、こっちは野山を駆け回っているから勝てると思ったんだけど、不思議な技で投げられたんです。いま思うと小手返しです。僕は一回転して吹っ飛んだ。それで馬乗りになられて顔をバチバチ叩かれた。母親は「ここで締めておかないと手の付けられない男の子になる」と思ったみたいです。あとで聞いたら、母親はもともと警察の職員だったんですね。それで父親と出会ったんです。その時代に護身用の逮捕術の講習とか受けて、柔道とか合気道をやっていたんですよ。
僕ら小学生の喧嘩って技術なんてないんですよ。押したり引いたり脚を蹴ったり、ちょっと拳を握って猫招きパンチしたり。そんなものです。それが母親に投げられて「喧嘩にこんな不思議な技術があるんだ」って知って、コペルニクス的転回くらいびっくりしちゃって。親父の本棚に警察学校時代の柔道の本があったのでそれをめくったら、いろいろ載っていました。中学校で相撲が流行った時にそれに書かれてある通りに一本背負いをかけたら、全然力が要らずに梃子の原理で簡単に投げることができた。それで柔道って面白いなと。でも中学には柔道部がなかったし、近所に道場もなかった。高校に柔道部があったのですぐに入りました。

――ご家族は、ご両親と妹さんですか。

増田:4つ下の妹がいます。僕が読む少年漫画を一緒に読んでいました。僕が小学生の時に「ジャンプ」で連載が始まった「こち亀」(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)とか、「チャンピオン」の『ブラック・ジャック』とか『マカロニほうれん荘』とか。あと『エコエコアザラク』とか『三つ目がとおる』とか『けっこう仮面』とか(笑)。兄妹って面白いんですよ。4つ違いなのに僕が読んでる漫画や小説を手にするからどんどんませていく。僕が高校生のときに読んでた小説版の『家畜人ヤプー』に彼女は小6でハマってましたから。『ドグラ・マグラ』とか『虚無への供物』とかも中学生で読んでた。意味わかってたのかな。そういえば女子高校生時代に『柔侠伝』とかシブい柔道漫画も読んでましたよ。
うちはテレビを見るなとか漫画を読むなという親ではなかったので、漫画はたくさん読んでいます。憶えているのは小学校2年生の時のクリスマスに、初めてサンタからプレゼントをもらったんですよね。枕元に「ジャンプ」が1冊ありました。警察官の子供で金持ちの子みたいに単行本が買えないから、その「ジャンプ」をボロボロになるまで繰り返し読んだのが漫画沼にはまるきっかけでした。

――逆に妹さんからの影響もありましたか?

増田:もちろん。妹は少女漫画も読みはじめたから、僕もそれを借りて読みました。一世を風靡した『エースをねらえ!』とか『ガラスの仮面』とか『キャンディ♡キャンディ』とか。彼女も小学校や中学校で友達と全巻セットの貸し借りとかするでしょう。それを家に持ってくるからたいていの少女漫画も読んでたと思います。
『キャンディ♡キャンディ』では最後の巨大などんでん返しに「ええっ!」と驚いて、創作の凄みを初めて知ったんじゃないかな。アンソニーへの恋。テリーへの恋。他の女の子たちがキャンディス・ホワイトに最後は持っていかれちゃって嫉妬するその気持ちも面白かった。それにアンソニーの死があるでしょう。だからこそその後のキャンディの人生がエッジのきいたものになってます。
『エースをねらえ!』も恋愛と死の話ですよね。死があるからやっぱり物語に腰があって強靱です。それから桂コーチ。彼の宗教性の描き方というのが素晴らしい。今思うととにかく勉強になってます。「花とゆめ」の『パタリロ!』にもはまりました。あれはアニメが非常に忠実に作られていてアニメ版も欠かさず観てました。今でも好きです。
妹と共有したスポーツものではあだち充先生の『タッチ』は上杉達也の最後のど真ん中ストレートがとにかく響く。ストレートといえばノンフィクションで30年も前に読んだものですが『初球はストレート』という荒木大輔を扱ったものがあります。僕はあれも大好きですね。

――ところで『家畜人ヤプー』みたいな本って、どうやって見つけたのですか。

増田:図書館にも行っていたし、近くにあった12畳くらいの小さな本屋にも行ってた。近くといっても自転車で20分くらいかな。そこに置いてない本も、目録とかを見て頼むんです。そうすると1カ月くらいで来た。逆にいうと当時は1カ月もかかったんですよ、本が届くのに。
僕は小6で筒井康隆さんにはまって、小6から中1にかけてずっと筒井さんの本を読み返してはゲラゲラ笑っていたんです。『家畜人ヤプー』はおそらく、筒井さんのエッセイか何かに出てきたんじゃないかなあ。

――筒井さんはどのあたりから入っていたんですか。

増田:短編集から入って、「だばだば杉」(『おれに関する噂』所収)とかを読んで。それで富島健夫先生の本のなかの描写とかと繋がって、庭で飼ってる動物たちの交尾とかも知識が繋がってきた。
筒井先生からものすごく影響を受けたのは彼の読書嗜好です。エッセイ集を当時たくさん出していて、そこで自分の嗜好を開陳するんで、僕の読書もどんどん拡がっていった。インターネットのないあの時代は、読書というのは一人の作家の山を食い尽くしては次の山へ行くという、山脈の登山行みたいなところがありましたよね。
筒井先生のエッセイには山藤章二先生のイラストがありました。筒井先生の目やら鼻がないイラストが妙にツボでした。というより田舎の生徒ですから、文化的なものに見えたのかもしれない。実際に文化的でしたし(笑)。

――筒井さんの作品で一番はまったのは?

増田:筒井先生の本当の怖さというか、大人の怖さ、社会の怖さ、文学の怖さ、深さ、不可思議さ、宇宙的感覚というか、そういう感覚を得たのは「七瀬」シリーズです。『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』の三部作に衝撃を受けました。
あれは最初は七瀬がお手伝いさんとして八件の家のいろんなことを知っていく話で、最後には神の話になるでしょう。壮大な物語です。ミュージカルの最後の盛り上がりみたいな感じで、最後のシーンで何が起こっているのかわかっていないけれどただ感動があって、小説ってこんな高揚感をもたせるんだと思いましたね。
並行して星新一さんにもはまりました。ショートショートも好きでしたけれど、自分がぐっときたのは、星新一さんが書いたお父様の評伝、『人民は弱し官吏は強し』ですね。おそらく中学1年のときに読んだ。
星製薬の創業者で社長だったお父さんの伝記で、結構な長編なんですよね。ショートショートを読んでものすごくテクニカルに短いものを書く人だと思っていた星さんが、そういうものを書いてることにまず驚きました。しかも、魂を叩きつけるように書いている。題名からもわかるように、民間企業が官吏につぶされていくさまを描いているから。あれを書きたくて小説家になったのかもしれないですね。
だから、筒井さんの七瀬シリーズで物語の壮大さと盛り上がり、星さんの『人民は弱し官吏は強し』で、血のついたペンで叩きつける情熱っていうのを知りました。それと、おそらく七瀬シリーズより先に、北杜夫さんを読みました。

――北杜夫さんのどの作品ですか。

増田:『楡家の人びと』です。戦争に関する興味が拡がって、その流れで読んだ作品でした。北先生自体は、トーマス・マンの『ブッデンブローグ家の人びと』からインスパイアされたことを度々エッセイなどに書いていますが、僕は原典ともいえるトーマス・マンのほうは何度か挑戦しましたが最後まで読めませんでした。中に入り込めなかったんですね。一方で「楡家」のほうは何度も繰り返し読みました。ある一家の代々の歴史を大河的に描いていて、その大河性が、中学生だった僕にはショッキングでした。それは筒井康隆さんの七瀬シリーズが最後に巨大な話になっていくショックとも少し似ていた。
僕の小説やノンフィクションがやたらと長くなって群像劇のようになるのは、「楡家」の影響が強いかもしれません。大長編でしか味わえない感動を、まだ子供だった中学1年で経験したことが。
「楡家」でとくにショッキングだった場面、そして大人となって読み返しても素晴らしい場面は、関東大震災の描写です。あの一瞬を、あの時間を、見事に切り取ってます。あの場面は僕の小説の目標となっています。僕が『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』というノンフィクションの、さまざまな人物を多角的に延々と描写していき、中盤でエリオ・グレイシー戦や力道山戦に持っていくところ。あれはまさに北さんの影響ですよ。企んでやったわけではないですが、思考回路に入り込んでるというか。

――中学生時代、他にどんなものを読みましたか。

増田:中学1年生の時にジャック・ケルアックの『路上』を読みました。当時は受験戦争がすさまじい時代です。中学生なんてまだ子供だから、小6ののんびりした時代からいきなりその受験戦争に巻き込まれて大いに傷ついた。つい先日まで小学校で牧歌的に暮らしていた同級生たちが内申点のために必死に勉強を始めて、席次という名の暴力の前にお互いをライバル視するようになってしまったから。愛知県は公立優位の県で、その公立高の入試は内申点が半分のウェイトを占めたんです。だから受験前に半分結果が決まってしまう。みんな必死になり、小学校時代のような純真な眼差しは消えた。僕はひそかに傷つきました。そのとき読んだのがケルアックの『路上』です。そこにはあてのない逃走が書いてあった。その逃走は《闘争》でもあったと思います。教師たちや社会との闘争。そしてそこからの逃走。ふたつの《とうそう》が僕には非常に魅力的というか蠱惑的にうつった。「文学とはこういうものなんだ」と気づいた作品であるし、「ノンフィクションとはこういうものなんだ」と気づいた作品でもあります。だから僕がいま小説も書き、私小説も書き、ノンフィクションも書くのは、ケルアックの影響が大きいかもしれません。
それと藤原ていさんの『流れる星は生きている』。これは中学1年で読みました。「勉強で競いあう同級生たち」が汚く見えて、当時はできるだけそこから距離を置くために、読書量がさらに増えていった時期です。
『流れる星は生きている』は、自分が私小説にはまることとなった作品です。普通は夫の新田次郎の諸作品を読むうちに藤原ていにいきつく人が多いらしいけど、僕は奥様のほうからはまった。《経験》の強靱さを知った作品だし、《過去》というものをどう捉えるかを、後々まで決定づけた作品です。これが戦争と満州を描いているのも大きかった。脳味噌が「そっち」へ行ってしまった。
他には、岸田秀さんやフロイトとかユングも読みました。中1の時、『夢判断』を読んだりして。その頃、僕ともう一人、建築家の息子のS君と2人で先生に反抗して、班ノートに「チョークのような尖ったものを握るのは男性器の象徴だ」みたいなことを書いたんですよね。わかりもしないのに(笑)。中1がそんなこと書いてきたらむかつきますよね。先生がその班ノートに「彼らのように若いときから変な本を読んだら変な大人になる」みたいなこと書きこんだんです。それで班ノートが今のネットでいう炎上状態になった。
僕はあとで知ったんですが、その建築家の息子のS君のお母さんがノートを見て、「ほかの生徒も見る班ノートにこんなことを書くとは、いじめを煽っているのも同然だ」といって僕の親にも連絡してきて、両親4人で先生に抗議しにいったらしいです。随分あとになってから知ったんですけどね。そうやって陰で親に守られたのを。

  • エコエコアザラク(1) (少年チャンピオン・コミックス)
  • 『エコエコアザラク(1) (少年チャンピオン・コミックス)』
    古賀新一
    秋田書店
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  • 三つ目がとおる(1) (手塚治虫文庫全集)
  • 『三つ目がとおる(1) (手塚治虫文庫全集)』
    手塚 治虫
    講談社コミッククリエイト
    1,023円(税込)
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  • 家畜人ヤプー (第1巻) (幻冬舎アウトロー文庫 O 36-1)
  • 『家畜人ヤプー (第1巻) (幻冬舎アウトロー文庫 O 36-1)』
    沼 正三
    幻冬舎
    712円(税込)
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  • ドグラ・マグラ(上) (角川文庫 緑 366-3)
  • 『ドグラ・マグラ(上) (角川文庫 緑 366-3)』
    夢野 久作
    KADOKAWA
    554円(税込)
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  • 新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)
  • 『新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)』
    中井 英夫
    講談社
    880円(税込)
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  • 柔侠伝 上 (torch comics)
  • 『柔侠伝 上 (torch comics)』
    バロン吉元
    リイド社
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  • エースをねらえ! 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)
  • 『エースをねらえ! 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)』
    山本鈴美香
    集英社
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  • ガラスの仮面 1 (花とゆめCOMICS)
  • 『ガラスの仮面 1 (花とゆめCOMICS)』
    美内すずえ
    白泉社
    495円(税込)
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  • パタリロ! 1 (白泉社文庫)
  • 『パタリロ! 1 (白泉社文庫)』
    荻野アンナ,魔夜峰央
    白泉社
    680円(税込)
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  • タッチ 完全復刻版(1) (少年サンデーコミックス)
  • 『タッチ 完全復刻版(1) (少年サンデーコミックス)』
    あだち充
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  • おれに関する噂(新潮文庫)
  • 『おれに関する噂(新潮文庫)』
    筒井 康隆
    新潮社
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  • 家族八景(新潮文庫) 七瀬シリーズ
  • 『家族八景(新潮文庫) 七瀬シリーズ』
    筒井康隆
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  • 七瀬ふたたび(新潮文庫) 七瀬シリーズ
  • 『七瀬ふたたび(新潮文庫) 七瀬シリーズ』
    筒井 康隆
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  • エディプスの恋人 (新潮文庫)
  • 『エディプスの恋人 (新潮文庫)』
    康隆, 筒井
    新潮社
    605円(税込)
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  • 人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)
  • 『人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)』
    新一, 星
    新潮社
    605円(税込)
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  • 『楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)』
    北 杜夫
    新潮社
    649円(税込)
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  • ブッデンブローク家の人びと 上 (岩波文庫 赤 433-1)
  • 『ブッデンブローク家の人びと 上 (岩波文庫 赤 433-1)』
    トーマス マン,Mann,Thomas,市恵, 望月
    岩波書店
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  • オン・ザ・ロード (河出文庫 ケ 1-3)
  • 『オン・ザ・ロード (河出文庫 ケ 1-3)』
    ジャック・ケルアック,青山 南
    河出書房新社
    1,045円(税込)
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  • 流れる星は生きている (中公文庫)
  • 『流れる星は生きている (中公文庫)』
    藤原 てい
    中央公論新社
    730円(税込)
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  • 新訳 夢判断 (新潮モダン・クラシックス)
  • 『新訳 夢判断 (新潮モダン・クラシックス)』
    フロイト,大平 健
    新潮社
    2,750円(税込)
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