第264回: 増田俊也さん

作家の読書道 第264回: 増田俊也さん

2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、2012年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション大賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞、また北海道大学柔道部を舞台にした自伝的小説『七帝柔道記』とその続編『七帝柔道記Ⅱ』が人気を博している増田俊也さん。幼い頃から知識欲旺盛な本の虫だった増田さんが、その時々で影響を受けてきた本とは?

その5「柔道と読書の学生時代」 (5/10)

  • 七帝柔道記 (角川文庫)
  • 『七帝柔道記 (角川文庫)』
    増田 俊也
    KADOKAWA
    1,012円(税込)
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  • 百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)
  • 『百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)』
    ガルシア=マルケス,ガブリエル,Garc´ia M´arquez,Gabriel,直, 鼓
    新潮社
    3,520円(税込)
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  • 新装版 苦海浄土 (講談社文庫)
  • 『新装版 苦海浄土 (講談社文庫)』
    石牟礼 道子
    講談社
    836円(税込)
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  • 七帝柔道記II 立てる我が部ぞ力あり
  • 『七帝柔道記II 立てる我が部ぞ力あり』
    増田 俊也
    KADOKAWA
    2,200円(税込)
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――水産学部を選ばれたのはどうしてですか。途中から校舎が函館になってしまうわけですよね。柔道部の練習場は札幌にあるのではないですか。

増田:いや函館にも柔道場はあってそこで水産学部だけで練習はするんです。夏休みとか春休みには札幌に来て一緒にやる。年に5回ある合宿も札幌に来ます。函館では出稽古にも行ったりする。でもやっぱり練習の質が落ちるだろうなとは思った。北大に行くことは決めていた。でも2浪時の受験は最後まで文1か文3か理3か水産かで迷った。プライオリティが柔道部だったから、馬鹿みたいな悩みになっちゃった。
それで共通一次が終わって悩みに悩んだ。最後は子供の頃歩き回った溜池へ行って、座って水面のさざ波をぼんやり見て昔はいっぱい生き物がいたのにといろいろ考えて。そして家に戻ってレイチェル・カーソンを読み直して、ああ、やっぱりここだと思った。それにモラトリアムを先延ばしてやれと思って。入学してからわかったんだけど、実は学部を変わるのは当時案外多かったんです。柔道部の先輩はとくに昔から学部を変わってる人が多かった。送り出す教授と受け容れる教授がOKすれば簡単に変われた。柔道のためだけに水産学部から獣医学部へ移った先輩が何人かいた。だから悩む必要はあまりなかったんです。でも入学して柔道部に見学に行って、ミーティングで挨拶してくれたと言われた時に「僕は北大に柔道をやりに来ました。2回留年して4年間は函館に行くつもりはありません」って言ったんです。そうしたら、先輩たちがパチパチパチって(笑)。

――『七帝柔道記』に書いてある通りですね。あれって多くがノンフィクションなんですね(笑)

増田:うん。だけど、喧嘩とかハチャメチャの部分は5%くらいしか書けてない。だってあの頃の柔道部員は他の柔道部もそうだけど、いま、会社の重役や社長になるかどうかの瀬戸際の年齢なんです。彼らの悪いことは書けないですよ(笑)。バンカラだった応援団員とかでさえ「あれはやばい。書くな」と言ってますからね。だから5%。

――あれで5%なんですか。読んでいると確かに練習も過酷だしいろんなハチャメチャなことが起きますが、それでも主人公の増田青年はものすごく本を読んでいますよね。

増田:だって学校行ってないんだもん。正確には道場へは毎日行ってたけど教養部の校舎へは行かなかった。いや、最初の夏休み前までに3、4回は行ったかな。当時の北大は教養部の成績上位者から希望の学部学科に振り分けられていったんですよ。成績が悪いと希望のところに行けないから、みんな受験勉強以上に血眼になって勉強していて、ノートも貸してくれない。これはやってられんと思った。ようやく受験が終わったと思ったら「またこんなことやるのか」と思って。だって教養部は数学とか英語とか化学とかのリベラルアーツだけですよ。専門のホッキョクグマとかクジラとかイルカとかの授業なら聞きたいけどそれは3年生からなんです。

――そして教養部の授業に出ずに本ばかり読まれていたわけですね。読む本はどのように選んでいたのですか。

増田:僕は毎日新聞を取っていました。なんでかというと、当時って新聞の拡張販売員がやってきて「うちの新聞をとってくれたらこれとこれを付けます」みたいなことを言って、契約すると洗剤とか鞄とかをくれたんです。で、いろんな新聞の販売員が来るんだけれど、毎日新聞がいちばんくれるものがよかったんです(笑)。それで毎日新聞を読んで、書評欄に載っていた本を本屋で注文して買ったりしていました。他には、筒井さんが薦めているラテン文学とか、沢木さんの本に出てくるいろんな作品とか。

――ラテン文学はどのあたりですか。

増田:やっぱりガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだ時は、すべてを想像で書く力がすごく強いと思った。SFを読んでいるような感触なんだけど、文体が洗練されていて、そこもすごいと思いました。
エンタメでは西村寿行さんの作品とかもまとめて読んだ。あの人は最初、動物文学を書いていたんですよ。名作がいっぱいあるし、ハードボイルドを書くようになってからも動物の描き方、使い方が非常にうまいんですよね。
自然科学系で読んだのは石牟礼道子さんです。水俣病の患者や家族について書いた『苦海浄土』の人ですよね。そっち系を読んでいたのは、やっぱり沢木さんと本多さんの影響があったんじゃないかな。
それと、その頃は格闘技の黎明期だったんです。プロレスはそもそも真剣勝負なのかという議論が尽くされている時代を経てUWFとかができたりしたので、僕も「格闘技通信」や「ゴング格闘技」といった雑誌を読んでいました。『七帝柔道記Ⅱ』でも小さい本屋に入って「『格闘技通信』の最新号は入っていますか」と店員に尋ねるシーンがありますけれど、それくらい発売日を楽しみにしてた。
日曜日に時々すすきのの本屋まで行くんです。地下鉄で2駅くらいの距離なんですけれど、当時はすすきのに行くことを「町に行く」って言っていました。町には普通の書店から古本屋まで、小さい本屋がいっぱいありました。店では棚の前でみんな本を開いていたから、後ろから手を伸ばさないと読みたい本が取れなかった。それくらい本があふれて、売れていた時代ですね。だから今は少し寂しいです。

――学生時代、岡野功さんの『バイタル柔道 寝技編』も読まれていたわけですね。

増田:「寝技編」は七帝柔道をやるようになってから研究するようになりました。でも、それでも難しかった。そもそも柔道では相手がこちらの動きに逆らうわけですから、いくら連続写真があってもそのとおりにはいかないんです。のちに50歳近くになってからブラジリアン柔術の人たちとスパーリングしてわかったのですが、ブラジリアン柔術の人たちはスパーリングでは6割か7割しか力を出さないんです。「増田さんは力入りすぎ」って注意されるんです。7割の力でいろいろな技を試してくださいという練習法なんですね。ところが柔道の練習というのは常に100パーセントのガチガチのものです。だからブラジリアン柔術がバスケットボールやサッカー、柔道がラグビーに似てるなと。50歳近くになってやっとわかりました。
大学で他に使った技術書はUWFのプロレスラーの『藤原嘉明のスーパーテクニック』です。これも連続写真で研究しました。もちろん『高専柔道の神髄』という技術書もバイブルのように繰り返しめくってました。

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