
作家の読書道 第264回: 増田俊也さん
2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、2012年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション大賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞、また北海道大学柔道部を舞台にした自伝的小説『七帝柔道記』とその続編『七帝柔道記Ⅱ』が人気を博している増田俊也さん。幼い頃から知識欲旺盛な本の虫だった増田さんが、その時々で影響を受けてきた本とは?
その9「自伝や評伝に惹かれる」 (9/10)
-
- 『プライベート・ライアン [Blu-ray]』
- トム・ハンクス,トム・サイズモア,エドワード・バーンズ,バリー・ペッパー,アダム・ゴールドバーグ,ヴィン・ディーゼル,マット・デイモン,スティーブン・スピルバーグ
- パラマウント
-
- 『野性の呼び声(新潮文庫)』
- ジャック・ロンドン,大石 真
- 新潮社
-
- 商品を購入する
- Amazon
――プロの作家になってからの読書生活はいかがですか。
増田:評伝や自伝は好きですね。いまでも海外ものも国内ものもたくさん読んでます。木村政彦先生の評伝を書いているので、評伝の新聞社の書評を依頼されることも多いです。そういうときは楽しんで読んでます。仕事とは関係なく読む評伝ではダイアン・アーバスの『炎のごとく─写真家ダイアン・アーバス』とかヴァージニア・ウルフのものとかには、プラスにもマイナスにもエネルギーを感じました。生きるウェーブというか、ああいった感性の人たちはそのウェーブが大きいですよね。ダイアン・アーバスの堕ちていくときのやるせなさとか読んでいて苦しくなります。小野田寛郎さんの自伝も何度か読み返してます。軍に入るときに母に短刀を渡されて「小野田家の名誉を辱めず切腹せよ」と言われた話とか。戦争とか軍人とか、やっぱり究極の話なので、人間のあらゆる局面を見ることができる。
――小野田寛郎さんは戦地に赴いて、終戦を信じずに駐留先に長年とどまった、いわゆる残留兵の人ですよね。
増田:はい。ルバング島の。何冊か本を出されていて、そのうち何冊か読んでいますが、数年前に読んだのは東京新聞出版局から出ている版『たった一人の30年戦争』という自伝です。横井庄一さんもそうですが、僕は2人が戻ってきたときのニュースをぼんやり憶えています。当時僕は幼稚園か小学生だった。横井さんが「恥ずかしながら帰ってまいりました」とか言ってテレビに出ていたのを覚えてる。流行語にもなってましたね。僕は西暦2000年くらいまでは、今もまだどこか南洋の島に1人2人、旧日本軍の軍人が隠れてるんじゃないかと思ってました。実際にいたでしょうね、知られずに生きて知られずに死んだ軍人が何人も。いつか小野田さんや横井さんのような軍人をモチーフにした小説も書きたい。
軍人といえば原一男さんの「ゆきゆきて、神軍」はいまだにどんよりと残ってます。ドキュメンタリーを撮るならあれくらいいかないとだめだと思う。「ゆきゆきて」は奥崎謙三じゃなくて原一男さんの仕事にかかってるんじゃないかな。いくところまでいったドキュメンタリーです。このあいだキネ旬の編集者と話したら、原監督はバリバリの現役でまだまだエネルギーの塊だと言ってました。
――なぜ自伝や評伝に惹かれるのだと思いますか。
増田:僕は、巨大なウェーブが好きなのかもしれない。時代のウェーブを知りたいんですよ。
今58歳だけど、僕が生まれた昭和40年(1965)って、その20年前は戦争していたんですよね。「北大柔道」っていう学生やOBがいろいろ書く年刊誌があるんです。僕が大学生の頃に定年を迎えるOBが寄稿してるんですよ。自分の仕事について。クジラの捕鯨船のこととか、炭鉱の現場監督のこととかを書いていたんです。入社当時はそれが選ばれた人の仕事だったから自信満々に書いている。でも僕が読んだときは「なんでそんなことやってるのかな」という時代になってた。それなのに先輩たちは「クジラを捕鯨砲で何頭仕留めた」とか、そんなことを嬉しそうに書いてる。ひとつの業界の栄華って30年とか40年しか続かないんですよね。他の業界もそうでしょう。新聞社だって民放だって昔は花形でした。入社するための予備校があったくらいですから。その業界でさえ今は沈みかけている。30年40年で世の中は驚くほど大きく変わるし、過去100年で起きたことなんて33年×3でしかない。
書き手としてその100年の歴史と、その中での思想のウェーブを知りたいと思う。この100年を動かしてきた人たちの実態に迫りたい。だから評伝とかドキュメンタリーを読んだり映画を観たりしているんです。実在した人をモデルにした映画も多いですよね。それがドキュメンタリー映画と併存してある。カポーティを追ったドキュメンタリー映画もあるし、彼を俳優に演じさせた映画もある。あるいは「ヴォーグ」の編集長のアナ・ウィンターを追ったドキュメンタリー映画もあるし、彼女をモデルにした人が出てくる『プラダを着た悪魔』もある。
僕は作家としてそうした評伝や映画を読み、観て、比べ、その人の人生に入り込んでいくことを繰り返しているんです。憑依するようにしてのめりこんで観るのが好きなんでしょうね。感覚としてリアルにつかめるまで調べ続けます。戦争についても、なんであんなことやってるのかと思うけれど、太平洋戦争やノルマンディー上陸に関する本や映画なんていっぱいあるでしょう。それらを集中して読み、ドキュメンタリー映画を観たうえで、『プライベート・ライアン』を見直したりする。
僕は北大を教養部で中退して学部に行っていないので体系的に哲学もやってないし動物学もやってません。でも独学で真ん中から食べていく。食べ物でいえば肉マンの肉を先に食べて、あとから皮を食べる手法です。煎餅の真ん中を食べてからまわりを食べる。文系と理系の間でゆらゆら揺れる浮き草のように、いろいろな角度から見た考え方をする。人物の陰影の闇の部分から入っていく。それがおそらく作家としては結果として一番いい方法だと思います。
たとえばジャック・ロンドンについては当然『野性の呼び声』とか『白い牙』とかから入っているんですが、彼にほんとうに強い興味を持ったのは彼が最後は滅茶苦茶になって死んでしまったことを知ってからです。作家として紡いだ彼の作品よりも、彼のその最後の燃えるような人生が興味深かった。それまではジャック・ロンドンについては「まあまあの自然観察者」くらいの感覚で、むしろ狼犬のバックのほうに強い興味がありました。それが高校に入ってから彼の死の状況を知って興味が出てきていろいろ調べたり、他の作品も読んだりした。
――ご自身は今後、評伝と物語と、どちらも書いていきたいですか。
増田:僕は評伝も物語のひとつの形式だと思っています。事象を時系列に並べていけばそのテキストの塊は必ず物語になる。でもそれをより見えやすくするのが作家の力だと思うんです。エッジーに仕上げるのが作家の我慢の力。僕は文章読本系の本より高村光太郎訳の『ロダンの言葉抄』を創作論・芸術論として繰り返し読んでます。あのなかでロダンが彫刻について「仕上げないこと」の大切さを述べています。まさに先ほどのエッジのことですよ。エッジを粗いままにしておく、綺麗に整えてはいけないということ。勢いというか生命力というか、そういうものがなくなってしまうことを言ってる。僕も時系列にそのままレア肉を置いていったものはすでに物語として力強いものになってるんじゃないのかなと思います。『七帝柔道記』『七帝柔道記Ⅱ』も粗いけど、推敲の回数をあえて抑えてます。なぜなら20代前半の筆が書いている前提ですから。その時代の青年の感覚を、50歳代の僕があまりに丁寧に滑らかにすると力を失ってしまうと思うんです。
基本的には僕はだからギリギリのところで人物や描写を仕上げない。『七帝柔道記』は極端にそうだけども、現在書くものでもやはり最後の細かいサンドペーパーはかけない。「もう一回だけ」というところで止めておく。そのほうが人物もシーンも見えてくる。その物語のなかに一滴だけ言葉を垂らす、それが僕が描くときの作業イメージです。たとえば勇気って言葉を物語に一滴だけ垂らしたのが『ドラゴンボール』や『七帝柔道記』でですが、『プラダを着た悪魔』の中にも一滴入っている。
僕はあと1年半で還暦ですけれど、この先の人たちが、倒れて傷ついた時にに立ち上がるきっかけになるようなものを物語にのせることが自分の仕事なのかなって。物語にしておけば、僕がかつて図書館でいろんな本に出合ったように、たとえば学校でいじめられている女の子が僕の本を図書館で見つけてくれるかもしれないし。
僕は各社の年配のベテラン編集者の重役の方に「増田さんは小説の書き方を勉強しないでほしい」って言われるんです。下手に書き方を憶えると、ダメなものになっちゃうって。だからこれからも、技法を勉強しないで、不器用でいいからこつこつとやっていこうかなって思っています。