第264回: 増田俊也さん

作家の読書道 第264回: 増田俊也さん

2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、2012年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション大賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞、また北海道大学柔道部を舞台にした自伝的小説『七帝柔道記』とその続編『七帝柔道記Ⅱ』が人気を博している増田俊也さん。幼い頃から知識欲旺盛な本の虫だった増田さんが、その時々で影響を受けてきた本とは?

その8「はじめて書いた小説でデビュー」 (8/10)

  • シャトゥーン ヒグマの森 (宝島SUGOI文庫) (宝島社文庫 C ま 1-1)
  • 『シャトゥーン ヒグマの森 (宝島SUGOI文庫) (宝島社文庫 C ま 1-1)』
    増田 俊也
    宝島社
    618円(税込)
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  • ジョーズ [Blu-ray]
  • 『ジョーズ [Blu-ray]』
    ロイ・シャイダー/ロバート・ショウ/リチャード・ドレイファス,監督:スティーブン・スピルバーグ
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  • 血と骨(上) (幻冬舎文庫)
  • 『血と骨(上) (幻冬舎文庫)』
    梁石日
    幻冬舎
    869円(税込)
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  • 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
  • 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
    増田俊也
    新潮社
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――増田さんは2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞の優秀賞を受賞して小説家デビューされていますが、小説を書き始めたきっかけは。

増田:小中学生の時からもう真似事はしていましたよ。ただそんな長いもの書けないから文学賞ではなくて、「ジャンプ」だったか「マガジン」だったかの漫画とかに応募したこともありました。もちろん箸にも棒にもひっかからなかったけど。
『このミステリーがすごい!』大賞を獲った『シャトゥーン ヒグマの森』がはじめて書いた小説です。2、3週間で書きました。いや1カ月くらいかかったかな。いまの遅筆を考えると信じられないスピードですが、あのスピードじゃないと逆に書けなかったかもしれない。勢いで書いた。
応募作でいちばん多いのは捜査一課が出てくる殺人事件の話でしょう。それに関してはもう何年も応募してスキルを磨いている方がたくさんいるだろうから、僕は勝負できない。だから何をどう書くか、それをまず考えなければいけませんでした。それでヒグマを選んだ。

――『シャトゥーン ヒグマの森』は北海道の森の中で、冬眠することができなかった、いわゆる危険な"穴持たず"のヒグマに襲われる人々の死闘を描いた作品ですね。自然の中でどう闘えるのか、さらには人間関係もいろいろあって読ませます。

増田:小菅正夫さんという北大柔道部の17期上の先輩が旭山動物園の園長時代に一緒に御飯を食べたんです。小菅さんの研究の専門はオジロワシの野生復帰で、「あいつら、すげえ巣がでかいんだ」って言うんですよ。「毎年同じところに枝を集めていくから年々大きくなって人間が何人でも寝られるくらいになっちまうんだよ」って言ったんです。それを使おうと思って、実際に主人公たちが一晩そこで眠るシーンを書きました。
「『シャトゥーン』は『ジョーズ』の影響を受けてるんでしょう?」とよく聞かれます。たしかに受けています。でも本当はもっと大きく影響を受けた作品があって、それが梁石日さんの『血と骨』です。あの圧倒的に強い父親の暴力を描きたかった。ああいう作品を何とか書きたかったけれど、僕には梁石日先生のような人生経験がない。だからヒグマに託したというのはあります。クマ研に入りたかったくらいだからヒグマへの興味はものすごくありましたし、ヒグマと『血と骨』を足せばデビューできるのではないかと思って頑張って書いたのがあれです。とんでもなく稚拙で粗いものになってしまいましたが、とにかくぎりぎりデビューさせてもらえたのは梁石日先生のおかげだと思っています。

――その次に出されたのは小説ではなく、ノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』ですよね。それで大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をされている。木村政彦は史上最強といわれた柔道家ですが、プロレスラーに転身した際の力道山戦で、だまし討ちにあってKO負けしたとも言われている人物です。さきほどのお話からすると、記者時代から取り掛かっていたのですね。

増田:1993年に木村先生が死んだんですよ。その時に猪瀬直樹さんが「週刊文春」に、晩年の木村先生に取材した時のことを書いていたんです。力道山戦について聞いていたら、木村先生が「力道山は俺が殺しだんだ」と言ったって。自分が座禅を組んで額に"殺"っていう字を書いたから死んだんだって。猪瀬さんが、いや彼はヤクザに刺されて死んだんですよって言ったら、「あんたについても"殺"を書こうか」って言われた、って書いている。
僕は木村先生を尊敬していたから、それを読んで怒ってね。中日新聞の公衆電話から「週刊文春」に電話して猪瀬さんと討論させろ、って言ったんですよ。結局会えなかったんですけれど。それで、木村先生についてと七帝柔道、このふたつは書かなきゃって思ってました。
そのためには、やっぱり作家になることだと思ったんですよね。それで新人賞に応募した。運よくデビューさせていただいて、ちょっとハードルが下がったところで、もうできていた『木村政彦~』の草稿を「ゴング格闘技」に送って連載を頼んだんです。
そうしたら数日後に松山編集長から興奮した電話がかかってきて。「ちょうど本の雑誌社の北上次郎さんから"すごく面白い本がある"と言われて『シャトゥーン』を読んでたんです。読み終わったところに増田さんから荷物が届いて、開けたら木村政彦の草稿と一緒に『シャトゥーン』が入っててびっくりしたんです。すぐやりましょう」って。松山さんは学生時代に「群像」編集部でバイトしたり本の雑誌社でバイトしたりの文学青年なんですよ。それで北上次郎さんからいろいろ教えられて影響を受けていて。僕は運が良かった。松山さんは文芸編集者なんですよ。だからあの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でも盛り上がる前のディテールの部分を連載させてくれた。僕が連載途中で方向性を見失って書けなくなったときに電話で「何を書いたらいいかわからない」と相談したら「増田さんがいつも『こんな面白いことが昨日あった』とか『大学時代にこんな面白い友達がいた』とか電話で話すでしょう。そのとき僕はゲラゲラ笑うでしょう。それこそが読者が読みたいことなんです。増田さんが面白いと思ったことを書いてください」っていうアドバイスをくれた。

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