
作家の読書道 第264回: 増田俊也さん
2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、2012年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション大賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞、また北海道大学柔道部を舞台にした自伝的小説『七帝柔道記』とその続編『七帝柔道記Ⅱ』が人気を博している増田俊也さん。幼い頃から知識欲旺盛な本の虫だった増田さんが、その時々で影響を受けてきた本とは?
その6「退学して新聞記者になる」 (6/10)
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- 『ルポ・精神病棟 電子書籍加筆復刻版』
- 大熊一夫
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- 『ローマの休日 デジタル・リマスター版 ブルーレイ・コレクターズ・エディション(初回生産限定) [Blu-ray]』
- グレゴリー・ペック,オードリー・ヘプバーン,エディ・アルバート,ウィリアム・ワイラー
- パラマウント
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- 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
- 増田俊也
- 新潮社
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- 『梶原一騎人生劇場 男の星座(新装版)1』
- 梶原一騎;原田久仁信
- ゴマブックス株式会社
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――そして札幌で4年間を過ごして、函館には行かずに退学されましたよね。辞めることに迷いはなかったのですか。
増田:すっきりしました。それで次に何をするかとなった時に、やっぱりクマ研のこともあって動物もやりたかったし、と同時に芸術にも興味があった。でも大学時代に書き溜めたものがあったんですよね。カメラをある一点にすえて星の観測とか動物の移動記録とかを記録する定点観測と同じように、柔道場で定点観測したものを書き留めていたんです。それで土木作業員をしながら考え続けて、まずはジャーナリズムというか、書く仕事にいこうと思いました。
それは沢木耕太郎さんや本多さんの影響があった。あともうひとつ、後に阪大教授に転じる朝日新聞の大熊一夫記者の新聞連載をまとめた『ルポ・精神病棟』という本も大きかった。東京の大きな病院で男性看護師たちが統合失調症や老人性痴ほう症の人に対して暴力的な支配をしているという噂があって、それを確かめるために大熊記者がアルコール依存症のふりをして入院するんです。体中に日本酒をこすりつけて暴れながら奥さんに連れられて入院した。そこで観察したことをスタッフの目を盗んで紙切れに書いては、丸めて窓の格子から外に捨てて、それを別の記者が拾っていった。この連載によって日本の精神科医療は大きく変わったんです。日本の精神科を変えたのは大熊記者だったんですよ。
精神科系ではその後に読んだ統合失調症で入院していた松本昭夫さんの『精神病棟の二十年』という本にも衝撃を受けました。淡々と長い入院生活を綴っていて迫力があった。草間彌生さんに興味を持ったのもこの本を読んでからです。草間さんの小説『クリストファー男娼窟』とか自伝『無限の網、草間彌生自伝』なんかへ興味が拡がっていって、芸術理論や芸術史に興味を持っていったのは、もとを辿れば大熊一夫記者のおかげです。ですからペンの力というものを実感させられた初めての本が大熊記者のものだったかもしれない。僕が新聞社に入ったのは大熊記者の影響が少なくありません。
――すんなり新聞社に入社できたのですか。
増田:自分も記者として動物学にアクセスできないかと思った。それであちこち新聞社に電話した。北海道新聞はもう採用試験が終わったといわれ、北海タイムスも試験は終わっていたんだけれどなんとなくいけそうな気がして学生服着て行ったんです。総務局長の村木さんという方がいたんですけど、その机の横に椅子を引っ張っていって、そこに座って村木さんの就業時間中、ずっと「どうしても入りたい」って言った。総務局長って重役だったんです。それで村木さんは記者からその重役になった人。今でも覚えてますが村木さんがセブンスターをふかしながら奥様との出会いを嬉しそうに話すんですよ。自分が新聞記者で、奥さんはヘプバーンみたいで『ローマの休日』みたいだったと。テーマ曲をハミングしながら奥さんがいかに魅力的かを話す。それでヘプバーンの話で盛り上がって「しょうがないやつだな」といって追加で入社試験やってくれて、ぜんぜんできなかったと思うんだけど作文が面白いからと入れてくれました。
最初はまだ北大生だったので、北大の籍とタイムスの籍と両方あったんですよ。11月1日に入って、11月8日に24歳の誕生日を迎えました。当時は雪が多かったし、長時間労働で校閲やるのはきつかったんですけれどね。その頃、論説委員にクマ研の創設にかかわった斉藤禎男記者がいて、その人と飲んだときに吉村昭『羆嵐』を教えてもらった。
――ただ、2年後には名古屋の中日新聞社に転職されてますよね。
増田:いろいろ北海タイムスであって、僕のなかでは辛いことがたくさんあったんですが、最終的に食えなくてね。上の人が僕の尊敬する人を馬鹿にしたことを言って、それで最後は人間関係で揉めて喧嘩になって。もう辞めようと思った。飯が食えないし。全国の新聞社に電話したら琉球新報が「受けにきなさい」と興味を持ってくれて「やった。沖縄でマイアミバイスみたいな生活だ」とか思ったんだけど、新千歳空港行ったら台風で飛行機が飛ばなくて。駄目になっちゃった。
それでまたあちこち電話かけたけどちょうど他社も試験が終わる頃だったんです。でも中日に電話したら受験させてくれると。1次2次と通って、会長から重役まで20人以上ずらっと並んでいるところで面接を受けた。「最後に2分間、自分の長所をアピールしてください」と言われて、僕は「人前で自分の長所をアピールするようになったらおしまいです」って言ったんですよ。シーンとしました。柔道家だから、たくさん人がいる前でアピールができないんですよ。勝ってガッツポーズとかしたら怒られる世界だったから。練習中に笑っても怒られる時代でしたからね。入社してから聞いたんですけど、それで大変もめたらしいんです。でも当時の重役の1人が「面白いやつじゃないか。伸びそうだ」って言ってくれて採用されたそうです。僕は子供だったから臨機応変に対応できなかったんですね。冷や冷やですよ。
それで名古屋本社の中日スポーツ総局に配属された。中日は中日スポーツ総局といって部署のひとつなんです。朝日新聞と日刊スポーツ、読売とスポーツ報知みたいな系列の会社ではなくて、部署のひとつで普通に異動であちこち動く。今から思うと、スポーツ総局に引っ張ってもらってよかったです。一般紙のほうだと定型文だけの短文の世界でしょう。スポーツ記事だと一応はある程度の尺を物語として書く。僕は編集の仕事が長かったので一面とか芸能面とかカラー技術も覚えたし、デザインも覚えたし、Macintoshも覚え、Photoshopも覚え、Illustratorも覚えた。編集を現場のプロとして学んだことが『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を書く時にも役立ちました。だから「ゴング格闘技」の校了間際にPDFのゲラ見て電話して「内容はOKですがバックにマジェンタ10%とシアンを20%くらい足してください」とか言って編集長に「それどころじゃないです!」と怒られたりしてた。
中日時代は暇で暇で、映画を大量に観て小説を大量に読んだ。北海タイムスがあまりに忙しかったから、時間が余ってる感覚があった。だって休みの日数が3倍になったし、1日の拘束時間が半分になったから。それで入社2年後に北大柔道部の後輩たちが七帝戦で優勝してくれて気持ちがふっと抜けた。そしてすぐにそのときの主将が自死したんです。そのショックは大変なものでした。いま考えても人生最大のショックでした。その1年後に今度は副主将をやっていた中井祐樹がVTJ1995で、あの伝説の試合をやるんです。1回戦で右眼を失明しながらジェラルド・ゴルドーにヒールホールドで勝ち、ピットマンに十字固めで勝ち、ヒクソン・グレイシーと決勝で戦った。その試合を日本武道館の2階席から見ていて「俺は何をやってるんだ」と恥ずかしかった。生きているのに全力を出し切っていない自分が情けなくて、死んだ後輩に顔向けできないと思った。
――他に記者時代の読書で印象深かったのは。
増田:北海タイムスの先輩に貰った『新聞整理の研究』というのはマニア向けで面白かったですね。ホット時代(鉛活字)の本ですが、真面目に新聞の編集についてびっしり書いてある。ノンフィクションではシュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』をみすず書房版で読んで衝撃を受けました。無駄を省いたあの文体は、当時すでに取りかかっていた『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』に大きな影響を受けています。そして運命というものに関して具体的に強く考え始めたものこの作品が大きかったと思う。だって「星の時間」なんて、ほんとうに素晴らしい文言ですね。よく考えると梶原一騎先生の未完の絶筆『男の星座』も似た題名ですね。梶原先生は題名がとにかく上手かった。『あしたのジョー』とか『愛と誠』とか。『空手バカ一代』も素晴らしいですね。こういった感性というのは梶原先生が持っていた天才性だと思います。
それと野田知佑さんの『ユーコン漂流』。帯が素晴らしかったんです。僕は中日スポーツ総局で編集者をしていたから見出しとかキャッチに眼がいく。《ひかる風、はねる魚、信じるに足る愛犬、カヌーに満ちるウィスキー。これ以上、何が必要だろうか。さあ、ただ独り、征け!》ですよ。カヌー犬ガクもそうだし、もちろん野田さんもそうですが、一世を風靡したという言葉がこれほど似合う人はいない。最後は地元の熊本に戻って亡くなられた。いま本を開いて読み返すと泣けてきます。ガクの写真集『しあわせな日々』とか。
なぜ泣けるのかというと、それは本を通して野田さんやその世代の書き手たちとの交流を積み重ねた日々の重みだと思う。まだ携帯電話もインターネットもない時代、作者と本を通して遠距離恋愛というか遠距離友情というか、そういうものをしていた。
野田知佑さんの本になぜ色気があるか。それは彼の文学が「ガクの一生」を書いたからものだからだと思う。野田さんとガクとの関係も恋愛に似てますね。
印象に残ったもので、映画だと「プリティ・ウーマン」。何度も観た映画です。封切りされた直後から観ているから、最初に観たのは学生の頃だったかもしれません。30年ぶりに観たら自分が思ったものとは違ったんですが、それは僕が歳をとったからでしょうね。最後、ジュリア・ロバーツが高級ホテルから自宅に戻らねばならなくなった時に、彼女をゴミ扱いしていた高級ホテルの支配人そのほかが、最高級のもてなしで黒塗りハイヤーで彼女を送り出す場面で泣いてしまいました。僕にも似たことがあったのを思い出した。大宅賞を受賞して帝国ホテルで記者会見を終えたらホテルにハイヤーが横付けされていたんです。副賞にそんなのが付いていて僕はびっくりした。まだ46歳だったし、僕みたいな小者に身分不相応ですよね。でも他の社の編集者みんなが「ほら。松山さんと乗って」って言ってくれて。そのハイヤーで「ゴング格闘技」の松山編集長と2人で神保町の小さなホテルに戻って、部屋で2人でポロポロ泣きながら2人だけの受賞インタビューを受けました。PRIDEが無くなって売れなくなった格闘技雑誌の編集長と二人三脚で、誰も知らない木村政彦というモチーフで、世間の偏見をひっくり返すつもりで必死に4年間連載したものが受賞したんです。一晩だけだけど黒塗りのハイヤーに乗れた。近くのコンビニ行くにもハイヤーで、ラーメン食べにいくのもハイヤーです。「プリティ・ウーマン」観てそれを思い出して泣けてきた。
映画でいうと、「アイズ・ワイド・シャット」はキューブリックの遺作にして最強の映画だと思っています。初めて観た時は衝撃を受けました。あの空気感を撮れるのはキューブリックしかいないですし、トム・クルーズとニコール・キッドマンが当時現役夫婦だったからこそ演じられる濡れ場が美しかった。夜中に街をぐるぐるトム・クルーズが廻る。あの場面がずっと頭から離れません。僕はこの作品は映画から入って、シュニッツラーの原作『夢小説』を読んだんですが、ストーリーラインうんぬんはともかく空気感がまったく同じなのに驚きました。キューブリックは自分の死が近づいていることを知って、とにかくこの空気感を、と思って撮影したんじゃないでしょうか。あの空気は死者にしか描けない。撮影時にはすでにしてキューブリックは死者だったんじゃないかな。