『名もなき王国』倉数茂

●今回の書評担当者●文教堂書店青戸店 青柳将人

 倉数茂さんの処女作『黒揚羽の夏』は、推理小説や幻想小説等の要素が取り入れられた、斬新且つノスタルジーに溢れた素晴しい作品だった。以来、著者の描く現実と虚実の入り乱れた独特の世界感に魅了され、新刊が刊行される度に明り取りの窓から朝陽が射し込むまで、つい夢中になって耽読してしまう。

 本作は『魔術師たちの秋』以来、実に5年ぶりとなる新刊である。しかし著者は本作を上梓するまでの間に、ネットマガジン「SF Prologue Wave」にて、今まで積み上げてきた独特の世界観にSFのエッセンスを散りばめた、「コーネルの箱庭」のような掌編群を電子の世界から発信してくれていた。その掌編群の中の一つの「螺旋の恋」は、作中人物の手がけた掌編の一つとして本編に彩りを添えている。

 先程、「彩り」という言葉を用いたが、本作は複数の視点や物語が螺旋階段のように複雑に絡み合いながらも、確かな足取りで結末に向けて上昇していく。読み手によっては私小説や推理小説のような印象を受けるかもしれないし、もしかしたら様々なジャンルの物語を編纂した作品という印象を持つ読者もいるだろう。しかし、そのどれもが正解であり、不正解でもある。そして、全く本編とは関係のないように思える作品でも、読み進めれば全く想像すら出来ないような形の伏線として繋がっていくのが、本作の醍醐味の一つでもある。

 けれども、幾つもの物語が時系列を飛び越えながら絡まり合う複雑な構成は、普段読書をしないような方にとってはハードルの高い作品のような印象を受けてしまうかもしれない。しかし、今までの著作の中で一番難解な構成をしているはずなのに、言葉は軟水のように体に浸透してくるし、万華鏡のように様々に色彩を変えていく展開は、加速度を上げて現実から虚実と幻想に塗れた世界へと誘ってくれる。読みやすさも没入度もまさに過去最高レベル。ミュージシャンのレビューで「新譜が自分の最高傑作であり続けたい」というコメントをよく見るが、本作は間違いなく著者の現時点での最高傑作であり、最も評価されるべき作品だ。

 最後に著者作品の一つ、『私自身であろうとする衝動』のあとがきの中で、著者は自身をこう語っている。

「私は、自分が幼少期の認識から何ほども出ていないことに気がついた。自分はこれまでの人生のほとんどを、同じ問題にこだわりながら過ごしてきたことになる。世界のなかの極小の一点でありながら、世界を生みだす起点でもあるような私とは何か?たぶんこれからも、この問いの周りを巡りつづけるのだろう」

 本作でも多分に漏れず、登場人物達は「私とは何か?」という問いを追いかけ続けているように思える。

 著者作品を読み続けてきた私から言わせてもらえば、「倉数茂」は、「どんなに素晴しい絵や音楽や映像も、たった一つの美しい一文から掻き立てられるイマジネーションの世界には敵う事はない」という事を証明し得る、「言葉の魔術師」のような力を持っている稀有な存在に思えて仕方がないのだ。

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文教堂書店青戸店 青柳将人
文教堂書店青戸店 青柳将人
1983年千葉県生まれ。高校時代は地元の美学校、専門予備校でデッサン、デザインを勉強していたが、途中で映画、実験映像の世界に魅力を感じて、高校卒業後は映画学校を経て映像研究所へと進む。その後、文教堂書店に入社し、王子台店、ユーカリが丘店を経て現在青戸店にて文芸、文庫、新書、人文書、理工書、コミック等のジャンルを担当している。専門学校時代は服飾学校やミュージシャン志望の友人達と映画や映像を制作してばかりいたので、この業界に入る前は音楽や映画、絵、服飾の事で頭の中がいっぱいでした。