『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』李龍徳

●今回の書評担当者●ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広

  • あなたが私を竹槍で突き殺す前に
  • 『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』
    李龍徳
    河出書房新社
    1,840円(税込)
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 本欄で私が紹介する最後の作品。この1冊の小説は、私が1年間で取り上げてきた作品の中で、最も辛く、救いがなく、絶望的な物語である。

 今この時期にわざわざそんな作品を選ばなくとも良いではないか、という向きもあるかも知れない。しかし、私は12ヶ月間常にその時点で最も手にして欲しい作品を選んで来たつもりだ。だから最後はこの作品なのだ。

 この国に蔓延る排外主義がいよいよ法制化された近未来。日本初の女性総理大臣による"嫌韓"政策が敷かれ、特別永住者制度廃止、通名禁止、外国人への生活保護違法化......。「愛国」の名のもとによる差別と暴力から勃発するヘイトクライム。更にこの政権以上の排外主義を訴える野党第一党の躍進。この物語において、在日韓国人にとって世界は敵であり、日本は希望のない国だ。反抗の狼煙を上げるべく、在日韓国人三世・柏木太一は恐るべき計画を立て、同胞の在日韓国人や右翼青年に接触し、その実行に向けて冷徹に行動を進めていく。

 柏木を含むその「7人」。
 かつて在日韓国人の「青年会」で共に青春を過ごした朴梨花と梁宣明。帰国後の韓国でも過酷な運命が待ち受ける梨花と、絶望からリストカットを繰り返す宣明。極右団体「帝國復古党」に身を置く青年貴島斉敏。大久保での排外デモとの「戦争」に身を投じる尹信。ヘイトクライムで妹を無残に殺害された金泰守。

 それぞれの、暴力と差別に晒された絶望を物語は容赦なく描写し、その過酷すぎる人生に読む者は同情し、怒り、感情移入し、驚愕のラストへ向けた起爆剤として、嫌が上でもある種の"期待感"を持たされる。そして、最後にもう1人、この計画の鍵を握る意外な重要人物が......。

 クライマックスに明かされる恐るべき計画の全貌。そのあまりに無慈悲で救いのない内容は、この差別と憎悪の日本社会に従属する「大衆」の目覚めを喚起させるための儀式であると嘯く柏木。

 この内容だけで、おそらくは不快感、恐怖、反発を覚える人も少なくないだろう。しかし、この本の主人公たち、そして現実世界の在日韓国人は、実際に不快感と不安と恐怖、絶望を現実に味合わされ、日常を過ごしているのである。果たしてこの物語を荒唐無稽、非現実的だと嗤うことができるだろうか。

 私にも在日韓国人の友人、知人がいる。彼らから聞く、この日本での生き辛さ、肩身の狭さ、感じる身の危険、恐怖心、そして何より素性を隠して生きていかなければならない理不尽さ......、非常に心が痛む話である。本人たちは今でこそこの日本社会に折り合いをつけて生きているが、根底では私たちを許してはいない。なぜならば、彼らは何らかの落ち度によって差別を受けているのではなく、ただ「出自」によってこの仕打ちを受けているに過ぎないからである。

 人は国籍や立場を自身の意志で変えることは可能だが、出自だけは変えることができない。

 そしてその理由だけで先に殴りかかって来たのはどっちなのか? どちらが痛いのか? その想像力など脳の片隅にも無い、彼らの存在と彼らの苦しみに私たちはあまりに無頓着だ。直に暴力を振るう者の存在の一方で、直接危害を加えずともただ黙って見ているだけの「大衆」の無関心は、暴力を認め、差別に加担していることと同義である。被差別の蓄積は憎悪となって根強く彼らの心の中にわだかまりを作り上げていく。

 隣国との関係、国内のマイノリティーの存在。それに対する私たちの根強い差別心と無関心。この小説が、李龍徳が撃とうとしているのは、私たちの無関心なのだ。無関心は無知となり、声の大きい、言葉の強い、わかりやすさを伴ったリーダーが力を振るいやすくなる社会が成立する。そしてファシズムの完成に向かう。

 そのファシズムに、暴力を行使してまで反抗を示したこの物語の主人公たち。しかしその計画実行後に待ち受けていた世界は果たして......?

 実に凄まじい作品だった。胃の中のものが逆流するかのような苦しい読後感。正直に言えば、この苦すぎる結末に、私も嫌悪感を拭えない。それほど後味の悪いものだ。普段から嫌韓ムードに対して異議を唱える者ですら、この結末には驚愕し、戸惑い、認めることを躊躇うのではないか。

 物語は、差別がもたらすのは更に新しい差別であること、差別と憎悪の連鎖は止まらないこと、差別を作り出さなければ生きて行けない人間はかくも愚かで弱いということを啓示していく。読後の虚無感はその果てしのない人間の愚かさを目の当たりにさせられる故のものだ。

 だがその苦しい読後感を述べることは、この作品への評価を下げることではない。綺麗事一切なしでここまで描ききった李龍徳のメッセージを正面から受け止める必要が私たちにはある。

 差別を傍から見つめることと、実際に受けることとは、天と地ほどの意識差があるはずだ。だから私自身もまだ差別を本質的に理解しているとは言い難く、差別反対の名目の中に無意識の上から目線があることも否定しない。「ヘイト」の先にある本当の被害者の存在を見据え、私たちは知恵を絞りながら生きていく以外に無いのだ。差別は誰も幸せにしない。

 今やフィクションよりも現実世界の方が絶望的だと我々が思う一方で、無数の絶望はどんな時にも世界に横たわっている。それに気づくか、あるいは気づかぬふりをするか。そんな今だからこそ紐解く価値が大いにある本である。希望はない。後に残るのは絶望と虚無だけだ。しかしそれでも私は本書を勧めたい。

 優れた文学、ノンフィクション、その他書物は、読む者を不安にさせ、深い絶望に落とすこともある。しかし私たちには、その絶望を直視できるかどうかが問われている。絶望を知らずに希望を持つことは出来ない。表面上のわかりやすさだけでは伝わらない怒り、悲しみ、葛藤、絶望を知ることは、本の持つ大きな役割の一つではないかと思っている。それを知ってこそ人は喜びと希望の存在を理解出来るのではないか。

 読書とは、無関心から私たちを引き戻す行為の一つではないかと、今まさに痛感している。
 李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』。これはまさに2020年の文学である。

 1年間、拙文をご高覧くださいまして、誠にありがとうございました。

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ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
1968年横浜市生まれ 千葉県育ち。ビールとカレーがやめられない中年書店員。職歴四半世紀。気がつきゃオレも本屋のおやじさん。しかし天職と思えるようになったのはほんの3年前。それまでは死んでいたも同然。ここ数年の状況の悪化と危機感が転機となり、色々始めるも悪戦苦闘中。しかし少しずつ萌芽が…?基本ノンフィクション読み。近年はブレイディみかこ、梯久美子、武田砂鉄、笙野頼子、栗原康、といった方々の作品を愛読。人生の1曲は bloodthirsty butchers "7月"。