『あめつちのうた』朝倉宏景

●今回の書評担当者●精文館書店中島新町店 久田かおり

 自慢じゃないが野球には疎い。地元中日ドラゴンズの元監督だった谷繁は「たにしげる」というのがフルネームだと思っていたし筒香というのは「つつか」というグラビアアイドルだと思っていた。そんな野球に縁のないアタクシは高校野球にもそれほど強い思い入れはなかった。

 それでも、たまたま付けたニュースでアウトだとわかってても頭から滑り込む選手を見ると「よくがんばった」と坊主頭をがしがししてやりたくなるし、泣きながら甲子園の土を集める真っ黒な顔の高校球児を見ると鼻の奥がツンとする。その土は一生の宝物になるんだなぁ、と思うわけだ。

 そう、甲子園の土ってのは何物にも代えがたい特別なもので、それがこの小説の主役なのである。

 今作を読んで阪神園芸という会社のことを初めて知った。名前から見ると庭木や花を扱う会社のようだけど、実は主に甲子園球場などのグランド整備を請け負う会社だったのだ。

 しかしまぁ驚いたね。すごいな、阪神園芸。試合が終わった後に単にグランドを整備するなんてそんな簡単な仕事だけじゃない。

 ネットにたくさんの動画がアップされているのでお暇なときにちょいと見て欲しいのだけど、驚きますわよ。見ていて飽きない彼らの仕事ぶり。無駄のないその動き、まさに職人芸、神業。

 土砂降りで中断した試合をすみやかに再開させるための秘密兵器、炎天下で乾燥しまくっているマウンドに最高の湿り気を与える水撒き、そしてかかる虹。美しい。何気なくやっているようでそこにはたくさんの知恵と経験と技術が濃縮されている。そして失敗は許されない。整備不良のせいで試合がひっくり返ることもあるのだ。責任重大だ。

 主人公の雨宮大地(この名前!!)は徹底的に運動に関するセンスがない。同僚がなんなくこなす整備のあれこれにいちいち戸惑い失敗する。このダメさ加減に思いっきり自分を重ねてしまう。落ち込んだり投げやりになったり、それでも好きな仕事から逃れられない......あぁ、わかる、わかるよ大地。がんばれがんばれ。

 そして挫折だらけの大地が持つ父親に対する鬱屈や、野球を続ける仲間が抱える悩み、職場の先輩の秘めた心の傷、それぞれに胸が痛む。みんな必死に何かと闘っているんだな。

 スポーツの世界は厳しい。ほんの一握りの選手だけがスポットライトを浴びる。派手なパフォーマンスで人々を魅了する。けれど世の中には、誰かのために誰かが輝くために一生懸命働いている人がたくさんいる。

 日の目を見なくても、目立たなくても、うまくいって当たり前で失敗した時には取り返しのつかないことになるとしても、それでも明日の、明後日の、ひと月後の試合のために、土と向き合う人たちがいる。そのおかげで一握りのスターが輝けるのだ。いやぁ、これぞ縁の下の力持ち。彼らのすべてがカッコいい。職人って本当にカッコいい、惚れるね。

 ここには青春とスポーツとお仕事と家族とセクシャリティと、そして、あきれるほどのすがすがしさが詰まっている。そう、つまり、これは全方位向け完全無欠の小説なのだ!

 実は甲子園がらみでもう一冊おススメが。須賀しのぶの『夏空白花』(ポプラ文庫)。敗戦の一年後に甲子園大会が復活していたことを知っている人は少ないのではないか。あの何もない焼け野原でどうやって大会を開催したのか。コロナで大会が中止になった今年だからこそ読みたい一冊だ。

« 前のページ | 次のページ »

精文館書店中島新町店 久田かおり
精文館書店中島新町店 久田かおり
「活字に関わる仕事がしたいっ」という情熱だけで採用されて17年目の、現在、妻母兼業の時間的書店員。経験の薄さと商品知識の少なさは気合でフォロー。小学生の時、読書感想文コンテストで「面白い本がない」と自作の童話に感想を付けて提出。先生に褒められ有頂天に。作家を夢見るが2作目でネタが尽き早々に夢破れる。次なる夢は老後の「ちっちゃな超個人的図書館あるいは売れない古本屋のオババ」。これならイケルかも、と自店で買った本がテーブルの下に塔を成す。自称「沈着冷静な頼れるお姉さま」、他称「いるだけで騒がしく見ているだけで笑える伝説製作人」。