『夏物語』川上未映子

●今回の書評担当者●ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理

 ふとした時に思いだす、あなたはどう思うの? と。いやずっと自分に問いかけ続けているのだ。それは冷たいものでなく、温かさを持った問いかけである。

 想いを綴るのは、川上未映子の全身全霊をかけた魂の世界ゆえ、非常に勇気がいることだ。挑戦がどうしてもしたかった。

 本書は芥川賞受賞作『乳と卵』のリブートとAID(精子提供)による出産、生殖倫理を問う2つの物語で構成されている。

『乳と卵』のリブートの意味。2部の生殖倫理について様々な考えを提示し、かつてない文学の世界へ誘うには、川上未映子のここに至った過程の重要な『乳と卵』の登場人物、特に夏目夏子の姪、緑子は語られなければならなかったのではないだろうか。『乳と卵』のリブートは自然な流れであったと考える。

 豊胸手術を受けようと女性というものに執着する母に嫌悪感を抱き、筆談でコミュニケーションをとり、ノートに言葉を書き連ねる緑子。そのノートの言葉が女性の身体へとなっていく自分への違和感、受け入れきれない気持ちが関西弁で語られ、激しい揺れが、言葉が身体にしみわたり、刻まれていった。関西弁と標準語の文体の合体も気持ちを高ぶらせる。こんなにも感情をもっていかれるのか。

 緑子は大人になっても絶対に子どもは生まない、べつの体を出すのはブルーになるという。緑子のごっちゃまぜの感情が爆発する緑子と母巻子が卵を自分に叩きつけるシーン。これは決して忘れない。お母さんがかわいそう、ほんまはもっとかわいそう。この言葉に響かないわけがない。

 夏目夏子はパートナーなしの出産を願う。精子提供(AID)治療を受けて生まれた逢坂潤。子どもをもつのはご苦労なことという編集者仙川涼子。パートナーなしの出産に理解を示す遊佐。

 そして最も重要な重いおもりでおし潰されそうになった、しかしちゃんと受け止めなければならない言葉、出産は親たちの「生まれてみなければわからない」っていう身勝手な賭けだという善百合子。夏子は潤に惹かれながら、次第に善百合子の後ろを見続けるように移行していく。

 様々な生殖倫理が提起される。さあ、あなたは?
 善百合子.........

 死がとりかえしのつかないことなら、生まれるということはとりかえしのつかないことなのか。

 この人間の深く重い部分を覆う鋭いテーマをずっと考え続けている。

『夏物語』タイトルが眩しい。重いテーマにこの読後の爽快感は何なんだ。このテーマをひきずりながら、川上未映子の一挙手一投足に目が離せない。そして、今後の川上未映子に現れる世界を期待し続けている。

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ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理
ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理
生まれも育ちも京都市。学生時代は日本史中世を勉強(鎌倉時代に特別な想いが)卒業と同時にジュンク堂書店に拾われる。京都店、京都BAL店を行き来し、現在滋賀草津店に勤務。心を落ちつかせる時には、詩仙堂、広隆寺の仏像を。あらゆるジャンルの本を読みます。推し本に対しては、しつこすぎるほど推していきます。塩田武士さん、早瀬耕さんの小説が好き。