第3回 坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく 〈後編〉

5.サイダーとラムネの棲みわけ

 中小企業対策の柱として「分野調整」問題が浮上したのは、昭和38(1963)年の中小企業基本法の制定がきっかけです。その後の第一次オイルショックによる景気減速で、大企業の中小分野への進出が相次ぎ、紛争が多発。社会問題となりました。昭和52(1977)年9月、大手スーパーの各地進出とそれに反対する地元商店街との争いを直接の契機として、中小企業の分野調整法(正式名称「中小企業の事業活動の機会の確保のための大企業者の事業活動の調整に関する法律」)が施行されます。

 これは、中小の「駆け込み寺」的な位置づけをもった法律であり、あの山崎拓代議士が熱心に後押ししたと伝えられます。具体的には、大企業の進出によって影響を受ける中小企業の同業者団体が、その進出計画の調整を通産大臣や農林大臣(当時)に申し出ると、主務大臣は審議会に諮った上、大企業に、進出時期の繰り下げや事業規模の縮小を勧告できる、というもの。

 実際には勧告まで行かず、中小企業の同業者団体が大企業に自主的な解決のための話し合いを申し入れる際の、法的なバックグラウンドとなる形で、機能しているそうです。

 翌昭和53(1978)年、清涼飲料の同業者団体は、ラムネ、シャンメリー、王冠びん詰コーヒー、びん詰クリームソーダ、ポリエチレン詰清涼飲料を、中小企業の分野に指定しました。堤野会長に見せていただいた資料「缶詰ラムネ反対」(全国清涼飲料工業組合連合会・全国清涼飲料協同組合連合会、昭和53年2月16日付文書)に、くわしい経緯が載っていました。

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ラムネ
(資料・坂本香料株式会社)

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サイダー
(資料・坂本香料株式会社)
 まず「サイダーとラムネは本質的に同一物であり、違うのは容器だけ」とあります。酸味料に香料と甘味料を加えてつくる炭酸水のうち、ラムネとは玉詰ビンに入ったものであり、ビンの原価が高いため、リサイクルしなければなりません。自社で回収できる範囲内におのずと販路が限定され、地元密着型の清涼飲料業者の主力商品となってきました。

 他方、ワンウェイビンで売り切りのサイダーは、昭和6(1931)年にラムネの売上を抜き、高度成長期を経て、ビール会社による寡占が確立していきます。ラムネは昭和28(1953)年をピークに下降。高級な香料を使う大手のサイダーと、安い香料を使う中小のラムネという「常識」がつくられました。昭和40(1965)年10月25日号『週刊サンケイ』記事中の「ドロくさいラムネのゲップから、スカッとしたコーラのゲップに変わった」という一節が、業界団体から抗議を受けた騒動からも、ラムネがいかに安物扱いされ、中小メーカーが低く見られていたかがわかります。

 昭和52(1977)年3月、食品問屋大手の国分が缶入りラムネ「K&Kラムネ」を発売、この年だけで100万ケースを売り上げると、全国800余りのラムネ業者が缶入りの製造販売中止をせまり、特許庁は、「ガラス玉で密栓することを特徴とする清涼飲料」という定義づけを行って、決着しました(野村鉄男・著『ラムネ』)。ここで、玉詰めビンのラムネは中小、サイダーは大手という棲みわけがつくられたのです。

 シャンメリーは、炭酸のびん内圧力により、開栓すると「ポン」と音が出ます。このアイデアがすべてという、中小業者ならではの商品です。

 ポリエチレン詰清涼飲料とは、90~110mlの小さなペンシルタイプの容器に入ったもので、昭和28(1953)年頃、東京ではじめて発売。「ポリジュース」などと呼ばれ、子供向け食玩のような扱いで、1970年頃には15円程度で販売されました。私の世代にも、懐かしい商品です。

 びん詰コーヒーおよびクリームソーダも、中小企業が開発育成した製品ですが、消えてしまいました。

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