第175回:野中柊さん

作家の読書道 第175回:野中柊さん

アメリカ在住の頃に作家デビュー、その後は小説だけでなく翻訳や童話でも活躍をみせる野中柊さん。国内外の小説を読み、映画好きでもある野中さんにとって、何度も読み返したくなるような本とは? デビューの経緯や執筆の思いもあわせてうかがっています。

その6「最近の作品、そこにこめた思い」 (6/6)

――今、一日の中で執筆時間は決まっていますか。一日をどんなふうに過ごされるのかなと思って。

野中:厳密には決めていないんですけれど、昼間お仕事をして、夕方からはのんびり映画を観に行ったり、友達に会ったり、本を読んだり。夜に書くタイプではないと思う。必要に迫られて書くことはありますが。

――大人向けの小説では、昨年刊行された『波止場にて』が読み応えありました。関東大震災後の横浜に生まれた異母姉妹の少女が戦時とその後を生きていく話ですよね。あれは3.11の震災がきっかけだったともおうかがいしていますが。

野中:3.11以降、わたしたちは「その後の世界に生きている」と思うようになって、なにをどう書こうか、さんざん模索した結果、『波止場にて』が生まれました。たくさん資料を読んで取材もして、自分の持っている力を、いったんは、すべて使いきるくらいの覚悟で、長篇小説を書いてみようと思ったんです。
大正14年生まれで、昭和と共に歳を重ねていく異母姉妹、慧子と蒼の物語ですが、背景に関東大震災からの復興という「明」の側面と、第二次世界大戦という「暗」の側面があります。その激動の時代を生き抜いた二人の女性の姿と、3.11を経た今のわたしたちの現実がシンクロしていくようで、わたし自身、さまざまなことを考えさせられました。あの作品の中で、「なにがあっても生きるのよ」という科白を書いたんですが、それがなによりも読者の方々に伝えたかったことかもしれません。どのような時代にあっても、とにかく、生きるのだ、と。そして、生きるからには、だれにも遠慮なんてしないで、生き生きと楽しんで生きましょう、と。慧子と蒼の母親たちは、ふたりの父親をめぐって三角関係で、その後、慧子と蒼も、同じ青年に恋をしてしまうという、ほとんど宿命的な関係性に陥って悩みますが、わたしは女性の友情を信じているの。なにがあっても、なお壊れることのない友情があるだろう、と。
それから、この作品では、お洋服や着物の描写をするのも楽しかったですね。当時、人気のあった少女小説の装画を描いていた画家さんたちの作品もずいぶんと参考にしました。竹久夢二や高畠華宵、中原淳一、彼らは、あの時代のファッションリーダーですよね。横浜が舞台なのですが、和洋が溶け合ったヨコハマ文化って、ほんとうに魅力的で、面白いなあと思いました。街も歴史も人々も、生命力にあふれていて━━それこそ「なにがあっても、生きるのよ」というスピリットを感じます。
このスピリットは、わたしが童話を書くときに、子どもたちに伝えたいことでもあるんです。この頃、あらためて思うのは、子ども時代の幸福な記憶がわたしを支えてくれている、ということ。大人になってから、どうにも避けがたくつらいことがあっても、幸せを知っている小さな女の子のわたしが、「生きなきゃ! 楽しいことがあるよ、きっと」と、わたしを励ましてくれているように感じるんですよ。だから、わたしは作家として、子どもたちが幸福な気持ちを味わうお手伝いをしたいの。たとえば、わたしが書いた「パンダのポンポン」シリーズに登場するパンダのポンポンや、猫のチビコちゃんが、子どもたちの心のどこかにずっと住み続けて、いつか忘れられてしまっても、その子たちが大人になって、なにかひどいこと、つらいことにあったときに、ひょっこり顔を出して、「だいじょうぶ! だいじょうぶだよ!」と励ますような存在になったら素敵だな、と思って。

――野中さんが童話を発表するようになったのはどういう経緯だったのですか。

野中:『フランクザッパ・ストリート』というシリーズものを書いたことがあるんですよ。3冊か4冊。童話ではなく、大人向けの物語なんですが、イラストがいっぱい入っていて、架空のフランクザッパ・ストリートが舞台なの。映画監督になりたいハルくん、彼を支えるウェイトレスのミミちゃん、古本屋で働くパンダのワイワイ、グレース・ケリーと名乗る謎のペンギン、そのほかにもたくさんキャラの立った動物たちが暮らしていて、パーティーのシーンでは、ジョニー・デップやケイト・モスといった実在の人物まで登場して、人間も動物も賑やかに楽しく欲深く生きているというシリーズで、それを読んだ童話の編集者が「子ども向けにも、なにか作品を書いてはいかがですか」と声をかけてくださったんです。でも、実は、その依頼に対して書いたものはボツになっちゃったので、やっぱり童話は難しいなと思ったんですが、何年か後に、またべつの出版社から依頼があって、『パンダのポンポン』を書いたという経緯があります。

――児童書の新刊は『ヤマネコとウミネコ』ですね。

野中:『波止場にて』の装丁に絵を寄せてくださった姫野はやみさんに、挿絵を描いていただいています。わたしにとっては、『波止場にて』と『ヤマネコとウミネコ』は対になる作品なんですよ。だから、同じ絵描きさんに描いていただくのがいいと思って。姫野はやみさんにお願いしたのは、空や海を清々しく生命力にあふれる色合いで描いてくださる方だからです。彼女の中から生みだされる色にお人柄を感じます。

  • 夜空のスター・チャウダー (パンダのポンポン)
  • 『夜空のスター・チャウダー (パンダのポンポン)』
    野中 柊
    理論社
    1,404円(税込)
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――今後の執筆予定を教えてください。

野中:『パンダのポンポン』は既7巻なのですが、いよいよ8巻目を9月に上梓します。タイトルは『夜空のスター・チャウダー』。今回も、長崎訓子さんのイラストが素晴らしいです。ほんとに可愛くて、イマジネーションに満ちていて、キャラクターたちがページから飛び出してきそうに伸び伸びと動いていて、楽しいんですよ。同時刊行で、『ポンポン クック ブック』というレシピ本も出します。これまでの7巻から文章と絵を抜粋して、物語に出てくる料理のレシピを紹介するのですが、そのレシピも、わたしが書きました。正直なところ、小説を書くより、よほど大変でした(笑)。苦労話をはじめたらきりがないので、ここではなにも申し上げませんが。
でも、とにかく子どもたちに料理をしてほしいなと思って。男の子も女の子も。お母さん、お父さんと一緒に。『ポンポン クック ブック』で紹介しているのは、ごく当たり前の家庭料理ばかり。オムライスとかグラタンとか、みんなが知っているものばかりですから。
わたし、料理をすることによって、生きるために必要なことが学べると思っているんですよ。「美味しいものを作るには、どうしたらいいのかな?」と真剣に考える。たとえば、レシピを読んで「"じゃがいも(中)"の(中)ってどれくらいの大きさなんだろう」と疑問を持ちつつ、実際に、じゃがいもを手に取って、美味しいものをイメージして、試行錯誤しながら料理してみる。うまくいかなかったら、なぜうまくいかなかったのかを考えて、あれこれ工夫しながら、また何度でもトライする。そうやって料理をしていたら、人生のさまざまなことに応用が効くと思います。今後は、「パンダのポンポン」シリーズのほかにも、来年から2つ童話のシリーズを立ち上げる予定で、その準備、執筆を進めています。それから、もちろん、小説も――生と死と、たましいの行方といったことを、これまでのわたしの作品とはまた違う、重層的な展開で書きたいと思っています。書きたいこと、挑戦したいことがたくさんあるので、いろいろ楽しみです。

(了)