WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2007年12月のランキング>松岡恒太郎の書評
評価:
二十歳の頃に、地元の山で遭難しかけたことがある。仲間たちと山岳地図を片手に山奥に分け入ったのだが、いつしか現在地点が解らなくなってしまった。迷いに迷って歩き倒した僕たちは、夕方近くになってなんとか尾根伝いに続く見晴らしのいい一本道に抜け出すことができた。僕たちの目の前には鉄塔が聳え立っていた。さらに遥か彼方まで等間隔でその道に沿って続く鉄塔が見て取れた。後で知ったのだがその道は、電力会社の方が鉄塔の見回りのために使う関電道なる道であった。そして僕たちは鉄塔に導かれ無事下山する。
この作品を読み始めてすぐに、あの日の風景が鮮明に頭の中に浮かび上がった。
小学五年生の夏、友達と二人で繰り広げた冒険譚。遥か遠くへと連なる鉄塔を辿ってゆく少年たちの物語。
文章だけではなく、過分な写真と地図までをも組み込んでこの作品は表現されている。それについては賛否分かれるところだが、この一冊からは著者の熱意が確かに伝わってくる、それだけは間違いがない。
評価:
しょっぱなから投げっぱなしのバックブリーカーのごとき挑発的なタイトルに驚かされたが、なるほどこいつは大きく出るだけのことはあって読み応えたっぷりの濃厚なミステリー作品でありました。
高名な彫刻家の病死、時同じくして奪い去られた遺作である石膏像の頭部。捜索を頼まれた我らが法月綸太郎は、それが呼び水となって引き起こされる事件を追い、しだいに謎に迫ってゆく。
しかし昨今のミステリー作家というのは、つくづくご苦労な仕事だとこの作品を読みながら頭が下がった。古今東西もういいかげん出尽くした感のあるトリックを踏まえ、さらにその上をゆく構成を口の肥えた読者達は求めてくるのだから。月面宙返りやトカチェフを超える新しい必殺技を編み出さなくてはメダルには届かないのと同じように。
読者の予想のさらに裏を行く展開を、今回もぜひご堪能いただきたい。
評価:
不条理な学校に赴任する新任教師、もしくは現実とバーチャルな世界の狭間であがく主人公。どちらにしても目新しいとは言えない設定だけに、よっぽど自信がないと挑めないテーマのはず。
しかし著者はこの作品でそいつをやってのける。読み手である僕は、いつしか主人公木苺と彼を取り巻く脇役たちとが繰り広げる不可思議な会話や行動に興味を掻き立てられてゆく、描写も冴えております。
途中まではそんなワケで物語は順調に進んでいたのですが、しかし案の定と言うべきか迷走し始めるストーリー。
結局主人公らしからぬ木苺氏は、不条理で出口の見当たらない錯綜した世界をやや投げやり気味に漂い続けるに至る。
万人が納得する結末が必要だとは決して思わないし、この小説自体は実際よくできているとさえ思っている。
しかし今更ながら、非日常への滑落小説は落としどころが難しいものだと、そう再認識させられた一冊だった。
評価:
移送を描いた物語は、あまた存在する。代表選手は冒険小説の金字塔『深夜プラス1』だろうか、景山民夫さんの『虎口からの脱出』なども記憶に新しい。
とにかくその場合、前提として追ってくる敵は数が多くて強大であるにこしたことはないし、任務は遂行が困難であるほど盛り上がるのがお約束と言えよう。
さてそこで今回のミッション、血も涙もない殺人犯の護送、福岡から東京まで、但し被害者の親族である財界の大物が犯人の命に十億という桁違いの懸賞金を掛け、更にあらゆるコネを使い護送を妨害する。
金に目が眩んだ一般市民が、警察官が、暴力団員が、そして自分以外のすべての人間が敵となりうる状況の中で、護衛を任された主人公警視庁護衛課の銘苅は、はたして無事任務を完遂することができるのか。
展開が速い上に緊迫感が持続する。サスペンスの作品としては素晴らしく楽しめ二重丸を差し上げたいでき。しかし読後感だけがそれに反比例して重たくのしかかるのが残念ではある。
評価:
女三十六歳の誕生日、恋人未満の男性を始めて部屋に招き入れんとする主人公由紀子の一日をコミカルに描いた表題作『さようなら、コタツ』がしみじみ良い。
さびしい時代を共に闘ってきた戦友とも呼ぶべきコタツ、いやむしろ由紀子にとってはアイデンティティーとも言うべきコタツを、彼女は手放し新しい人生の一歩を歩き始める、とそこまで大層ではないのだけれど。とにかくこのタイトルが実に良い、これ以外にはないというほど合っている。
七つの作品すべてに言えるのだが、その空間、その部屋に漂っている微妙な空気がとても上手く描かれているのだ。
中でも『ハッピー・アニバーサリー』で描かれる主人公由香里と仕事上の相棒?の園子、そこにお邪魔虫で割り込んだ田舎の父清三六十二歳の三人で過ごす一夜の描写が好きだ。微妙な空気を上手く匂わせる著者の筆が冴え渡っている。
読みながら、同じ空間に主人公たちを感じて、度々僕はほくそ笑んでしまった。
評価:
何と言っても真っ赤なアルファロメオがかっこいい。そいつは靴職人栄造の自家用車なんですけどね。イタリアの靴への憧れがそのまま国への羨望となった栄造が、還暦の祝いに自ら購入したという車。
思えばこのアイテムの登場で、はや勝負がついていた感がある。かっこいいじゃないかジジイ!と僕の左脳から前頭葉に向けて赤いアルファロメオが駆け抜ける。
かたくなに他人と交わることを嫌って生きてきた七十歳の靴職人栄造と、母を亡くし、父を気遣い、弟を労りながら今にも弾けそうに日々を送っていた小学六年生の男の子隼人、二人の人生が交差し物語は転がり始める。
最初は反発しながら、それでもしだいに互いを求め合うようになる歳の差58歳の友達。いつしか二人の心の隙間が埋まりだしてゆく。
心憎いほどに痛いところを付いてくる、僕にとっては見逃せない球筋、飛びつかずにはおれない絶好球の物語だった。
評価:
この小説のデキは決して悪くない。いやむしろ、繊細で大人になりきれていない主人公たちの心模様が、上手に表現された良質な作品群だとさえ言える。
けれども、読み終わった僕の心のどこかにはザラつきが残った。そのザラつきはおそらく、二人の娘を持つ僕の父親の部分が過敏に反応したのだろうと思われる。
表題作は、数年ぶりに再会した幼馴染のお兄さんと少女の逃避行が描かれた物語。中学生の少女と純粋だが少し病みかけている男との心のふれあいが描かれている。
読み手によっておそらく受け取り方が随分変わってくるであろう四篇の物語。
純粋さと危うさを持ち合わせた少女の行動が、とりあえずお父さん目線の僕としては、気が気でなかったのだ。
そんな中にあって『ハローラジオスター』はヨカッタ。壁にぶち当たりながら成長する彼女が、我が娘のように思えてホロリときちまった。
評価:
ドキュメントだから尚更泣けてくるのか、愚かしいと思っている自分に腹が立つのか、とにかくまんまとやられてしまった。時代にそぐわない彼らの生き様に、気づくと僕は嗚咽を漏らしていた。
だって馬鹿げているじゃないか。東京大学という日本の最高学府に籍を置きながら、応援団などという封建的で非生産的な組織に身をおく若者たちがいるのだ。苦労は買ってでもしろ!だとか、人のために生きろ!なんて言葉は既にお題目となってしまったことくらい誰でも知っていると言うのに。
権利ばかりを主張する世の中で、自分の利害に関係なく人の力になろうと汗を流す奴らがいる。記録のためではなく、栄光のためでもなく、人に誉められるためでも、ましてや自己満足のためでもない。
苦悩する彼らの姿が、掛け値なしに美しく思えるドキュメント作品。事実は創作よりもドラマティックなのだ。
評価:
この本を読みながら考えた。僕って何故に若い頃、日本近代文学の全集物とかそのあたりの奴に挑みかかろうとしなかったのだろうかと。偏った読書を続けた結果がこれ、本書のように幅広い知識が必要とされる局面で、とたんに馬脚を露わしてしまう。
しかしそんな僕などにも、僅かではあるがガシっと食いついた箇所もあった。
なんですと、かの『ペルシャの幻術師』を司馬遼太郎さんはたった二晩で書き上げられたというのか、何たる才能。
なるほど、池波正太郎さんは直木賞で苦しまれたと、受賞作の『錯乱』は文庫本が何処かに眠っていたはず久しぶりに読んでみよう。
遅筆で有名な井上ひさしさんの小説デビュー作は『モッキンポット氏の後始末』でありましたか、これまた懐かしや。
日本随一の編集者が語る近代日本文芸界の裏側は、無知な僕が読んでも十分楽しめる一冊に仕上がっておりました。
評価:
子供の頃にテレビで覚えたアメリカは、コミカルに演じられるワンシュチュエーションドラマの中のアメリカだった。そこでは毎週サマンサやダーリン、それから可愛い魔女ジニーなどがドタバタを繰り返していた。
今回の作品には、何故かそんなアメリカの匂いがする。たとえば、登場人物たちはセットの上で楽しげに役を演じ、しかもアメリカらしいセリフ回しの後には観客の笑い声までもが聞こえてくるように思えるのだ。
十二月も押し迫ったある日、勤め先であるアウトドア用品の通販会社社長が自殺した。主人公で第一発見者のルーシーは、好奇心旺盛でどこにでも首を突っ込む兼業主婦ときたもんだから、さあ大変。クリスマス前後の騒がしい街を舞台に大騒動が巻き起こる。
殺人事件は確かに起こるけれど、いたって能天気に進むコミカルミステリー、肩の力を抜いて楽しめます。
その本は、いつも行く書店の文庫本のコーナーで静かに僕を待っていた。重厚な概観、金色に光り輝くタイトル文字。視線をそらすことなどできうるはずもなく僕は、急ぎ書店のカバーを掛けていただき家へと連れ帰った。
東海林さだおさんの丸かじりシリーズは、すでに食通エッセイなどという枠を超越した作品である。
それどころか、戦後の高度成長や未曾有のバブル期を乗り切った日本経済の原動力こそが丸かじりシリーズであったともさえ囁かれている作品である。
とにかくそんな丸かじりの、今回はメモリアルBOXというのだから読まない手はないのです、抱腹絶倒の七百ページ弱。
国民的シリーズのいいとこ取り作品という意味では、どことなく『よりぬきサザエさん』を思い出すこの一冊。
布亀の薬箱とともに一家に一冊常備願いたい。子のたまわく『よりぬきサザエさん』と『丸かじりメモリアル』にハズレなし。
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