WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年1月のランキング>松岡恒太郎の書評
評価:
絶賛している帯の文句を横目に「こちとら『イニシェーション・ラブ』で乾作品には免疫ができているんだからな、そうそう驚かされてたまるかよ!」と読み始めたこの作品、ああそれなのにそれなのに。
そりゃもう最初から、あちらこちらに気を配り、細心の注意を払いつつ、考えを巡らしながら読み進めたにもかかわらず、気づけばまたしても著者の術中にはまっている自分がいた。
しかし上手い。矛盾のループに陥りやすいタイムトラベル小説でここまで完璧にストーリーを組み立て、読者を欺き、再読したくなる物語と言う称号もきっちり守り抜くとは。
まったくもって、恐れ入谷の乾さんである。
十ヶ月前からもう一度人生をやり直してみませんか?信じがたい誘いに乗ってしまった十人を待っていたのは、はたしてどんな二度目の人生だったのか?
名作『リプレイ』のオマージュとして書かれた、傑作タイムトラベルミステリー小説ここに登場。
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高校時代からの女友達の家に居候している女流作家崩れの主人公。OLである家主とは生活する時間帯がズレているためすれ違いの日々を送っている。そんな二人をつないでいるのは交換日記のような短編小説。家賃代わりに月一で家主である友達に提出される取り決めなのだが、さらにそこに感想や反論や詰問状やその答えなどが沢山くっついて、彼女らの間を行き来する。
変化球と言うよりも、むしろ投球フォームからして変則的なのかもしれない不思議な小説。
しかしあえて変則的な方法を取りながらも、四十女の友情や、互いへの深い思いまでが見事に描き出されており、実に巧い。
短編小説たちもまたそれぞれに趣がある。どれもが偏った性癖をしつこくモチーフにした作品ばかりで、唯一の読者である友人の要求通りの球は決して投げ返されては来ないのがまたいい。
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唸った。これこそが絲山ワールドだわ。
思い起こせば新春一月、採点員を仰せつかった第一回目の課題図書で始めて手にしたのも『海の仙人』絲山作品だった。与えて頂かなければ出会わなかったであろうその本に、僕は深く感銘を受けた。そんな出合いを与えてくれた採点員の大役にも深く感謝した。
そして今月、縁あってか最終回の課題図書の中にも絲山作品を見つけ小躍り。むさぼるように読んだ。
活字が躍っている。ああこれだ、ページを進めるたびに、登場人物たちの表情が、息遣いが、感情の起伏が、生活観が、リアルに感じる作風。
無駄な物はすべて削ぎ落とされた文章から、二人のぎこちない想いが確かに伝わってくる。
表題作は不思議な恋愛小説。お互いに必要としながらも寄り添うことのない二人。手の届く距離にいながら指さえ絡めない、微妙な距離を保ったまま月日だけが流れてゆく物語。
これぞ文学、断然お勧めの一冊です。
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永楽通寶の旗印を掲げ天下布武を唱えつつ、しだいに乱世の王としての片鱗を見せ始めた織田信長。そんな信長に危惧を抱いた朝廷側は、信長の動向をいち早く把握するため、秘密裏に五人の勇者を呼んだ、その名は、禁中御庭者、参上!残念ながら仮面の忍者は登場いたしませんが、なかなかどうして粒ぞろいでございます。
文句なしに面白い歴史時代小説。
一芸に秀で、しかも一癖も二癖もある者たちが、集い反発しながらしだいに認め合い絆を深めてゆく物語。自分にはない物を仲間の内に見出して各々が更に成長を重ねてゆく。
途中、史実に結びつけるためか、やや強引な手法やリアリティーを欠く箇所も見受けられたが、そこはなんと言っても冒険活劇。人情話がクド過ぎようと、偶然が偶然を呼び込もうとも許容範囲内のご愛嬌、ケチをつけてはいけません。
巨大な敵に立ち向かう五人の戦士。五つの力を一つに合わせて、叫べ勝利の雄たけびを、禁中御庭者、丸目党!
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上役の出す難題をクリアーし、部下の能力を把握して適材低所に振り分け、問題が発生したなら直ちに対処し、得意先や同業者に対しても損得勘定だけでなく愛をもって接する、そして最終的にすべての責任は自分でかぶり、与えられた仕事は無難にこなす、これぞ理想の上司。
しかしそんな上司にはなかなか巡り合えないのが現実、だけどここ任侠の世界にはいるんです、そんな男気のある奴が。
親分の気まぐれで、倒産しかけの出版社の経営に乗り出すことになった阿岐本組の代貸日村誠司。彼は次々現れる難題から、決して逃げ出したりしはしない。販売部数が伸びない週刊誌、倒産しかけの町工場、ちょっかい出してくるマル暴の刑事、なにかとややこしい渡世のしがらみ、それらに臆することなく挑んでは、どうにかコトを治めてゆく。
サクサク読めてジンとくる、元気になれること請合いのエンタメ小説、こいつは買いです。
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尋常ではない筆の冴え。美しく流れるような文体に酔わされて、気づけばいつの間にやら富士の裾野へ足を踏み入れていた。
伝奇ロマン、そこには怪しくも不気味な世界が広がっているはずだった。そして、そんな世界が僕は苦手なはずだった。それなのになんたることだろう、不気味さを払拭し幻想的でさえある世界観。随分昔に書かれていながら時代を超え今もなお色あせるどころか輝きを増す格調高い物語。日本語の持つ美しさまでも再認識させられます。またくもっていろんな意味で恐ろしい小説。
戦国の世、武田の配下土屋庄三郎が手にした真紅の反物は、人の血で染められたと言われる纐纈布であった。その布に導かれ訪れた霊山富士の懐に庄三郎を待っていたのは、数奇な運命の糸に引き寄せられるように集った罪多き者たち。
著者が本作品を完成させぬままに世を去ったことが、返す返すも惜しまれる。
評価:
単純明快、勧善懲悪、分かりやすいと言えばあまりにも分かりやすいストーリー。
名前からして可愛い主人公のナンシー・ドルーは利発で優しい女の子。かたや敵役として登場するのは、名前からして意地悪なイザベルとエイダ姉妹。
分かりやすいと言えばもう一点、早い段階で判明するとは言え、物語の鍵になるアイテムそのものずばりをタイトルに付けるというオマケまでついています。
したがってミステリーとは言え謎解き色は薄く、さあ皆さんで一緒に少女探偵の活躍を見守っていきましょう!とナンシーを応援するエンタメ作品的な色合いが濃い。
実際のところ物足りなさを感じなくもありませんが、ご都合主義もなんのそので突き進む少女探偵ナンシー・ドルーの活躍は、途中で頭をひねる必要もなく、日頃のストレス解消や疲労回復に効果があるやもしれません。
是非一度お試しくださいませ。
評価:
とんとSFに疎いもので、古典の部類に入る大家の書かれたこの小説も、今まで知らずにおりました。
名作の呼び声高かった『2001年宇宙の旅』の原作者なのですね、クラークさん。キューブリック作品は『時計じかけのオレンジ』を観て肌が合わないと遠ざけ、かの作品もDVDさえ観ておりませんでした。
著者が生きた時代から、現在へと続く時間の流れのどこかの時点で、枝分かれした別の未来があるのなら、その地球で別の人類がオーヴァーロードに出会っている、そんな気にさせる物語。
SFと呼ぶにはあまりに叙情的で、哲学的でさえあるこの作品は、ちっぽけな僕の考えなど吹っ飛んでしまうほどの宇宙観で満ち溢れていた。著者の想像力の翼は、遥か銀河の彼方まで広がっている。
科学特捜隊が出動するようなせせこましい空想科学も嫌いではないが、時には壮大な宇宙と人類の未来に目を向けるのもいいかもしれません。
評価:
奇跡の物語を今読み終えた。
生身の人間ができうるであろう限界の、いや既に限界はとうに超えているであろう体験の、記録をたった今読み終えた。
体力と言う言葉だけでは到底片付けられない、胆力という言葉こそが必要となる行程。大地が凍るツンドラの地より、ゴビ砂漠を越え、最後はヒマラヤを横断し、そしてインドに至る徒歩による大陸縦断の記録。
無実の罪でソヴィエトに捕らえられ、シベリアの地に拘禁されたポーランド人である著者は、仲間と共に強制収容所を脱走した。
気持ちさえ挫けてしまえば直ちに死が訪れる状況下に身を置いて、彼らは自由のため、ただ誇りのためだけに歩みを進めた。
苦難があり、出会いがあり、奇跡が起こり、そして仲間の死を見取り、ついには満身創痍での到達。
この本からは、作り物ではない感動が確かに伝わってくる。
一字一句読み飛ばしては申し訳ない、そんな気にさせる一冊です。
評価:
時代背景が面白い。舞台は長らくスペインの植民地であったキューバ。独立に立ち上った民衆とスペイン軍が睨み合う最中、さらに隣国アメリカが軍事介入を試み、とうとう米西戦争が勃発するに至る。そのきっかけとなったのが米海軍戦艦メインの爆発事故、物語はそこからスタートする。
そんな非常事態のキューバの地で、主人公でカウボーイのタイラーは、ディーン・マーティンさながらの大立ち回りを演じる。
そして、相棒のバーク、絶世の美女アメリア、騎兵隊に治安警察に大富豪、敵味方入り乱れての誘拐事件は、怒涛の身代金争奪戦へと移行してゆく。
酒場と女と拳銃、西部の町ではないけれど、こいつはまぎれもなくウエスタンです。
そんな、血沸き肉躍る男たちのダイナミックな闘いに、是非酔いしれていただきたいと思うのです。
ただ残念ながら、同じ男の闘いと言ってもルチャ・リブレとは一切関係ありません。
随分昔、悪友に誘われ無料招待券で観た映画。それは、当時ロマンポルノ一筋だった日活が、エロ路線からの脱却を計りロゴマークまで変えて挑んだという記念すべき作品だった。
スクリーンの中ではいくつかのストーリーが微妙に絡まりながら進む。あの日期待などせずに観に行った僕は、その作品の構成の上手さに思わず舌を巻いたのを覚えている。
原作が、かの佐藤正午さんの初期の作品であったと知ったのは随分後になってからだった。
その小説『リボルバー』を、先日文庫の新刊の棚に見つけ懐かしくなって購入した。
拳銃を失った元警察官、拳銃を拾った高校生、五つの弾倉がカチャリカリャリと回されるように、五人の男女の物語が少しずつ重なるように進展する。それぞれの思惑を胸に抱き、五人の男女は微妙に交差しつつ北を目指し旅をする。
テンポのよさ、会話の妙は佐藤正午の真骨頂。しかし時代は確かに昭和であり、物語を盛り上げる二人組み蜂矢と新青年の会話では、中野浩一が現役選手として活躍している。そんな昭和の空気も是非嗅いでいただきたい。
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