『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』白尾悠

●今回の書評担当者●福岡金文堂志摩店 伊賀理江子

  • 隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい
  • 『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』
    白尾 悠
    双葉社
    1,870円(税込)
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まずプロローグが素敵だ。
この穏やかで優しい空気感。本当に素敵なプロローグなのだ。
おそらく数行読んでいただけたらこの一冊に期待するだろう。
それほど、冒頭から魅力的な文章が続く。
ほうと安心する気持ちと、わくわくするような希望に満ちる気持ちは、混ざると涙が出るものだと初めて知った。40年以上人間として生きてきたが、未だ知らない感情があることに驚くとともに、それを楽しいと感じる。
なんたってもうプロローグで心はわしづかみにされたのだ。

この作品は、心地よい暮らしを作るために住人が協働するコミュニティ型マンション『ココ・アパートメント』を中心に、そこに関わるひとたちの心情を丁寧に描く連作小説だ。
月に数回住人たちが当番制で食事を作り、ダイニングルームで一緒に食べる『コハン』があったり、互いの子供を預けあったり見守ったりする一方で、個人の独立性も重視した住まいが成立している。
発達特性のある子供を育てる夫婦や、訳あって親と離れて住むエリート男子高校生、シングル家庭の親子、結婚や出産に惑うカップル、秘められた過去をもつ老女...など、それぞれの立場で様々な胸の内が浮かび上がってくる。

この本を読むと「生きる」とは「暮らす」ことだ、と感じさせられる。
ふたつは違う言葉で、なぜだか規模も違うような言葉だけれども、同じ意味なのかもしれないと思う。暮らしを振り返ると、生きてきた道がみえるのかもしれない。

6章ある物語では、色々なひとの色々な感情や悩みがみえる。生きていれば誰にでも悩みはある。世界の共通認識だ。
それでもたまに自分だけが悩みに沈んでしまいそうに感じるのは何故なのだろう。ひとより深く身動きが取れなくなってしまうのは錯覚だろうか。
その時々で大小あれど、みんな悩みを抱えて生きている。
この作中、私がとくに共感したのはココ・アパートの住人である亨の心情だ。愛するパートナーとの間に子どもを望む気持ちが起きない彼の苦しみが、分かりすぎるほどに理解できた。性別も年齢もなにもかも違うのに、だ。この激しい共感をもたらす恐ろしいほどの文章力。
彼の考えや、パートナーである茜の幸せをなによりも願う行動には胸を突かれた。
だからこそ、停電の起きた日曜日のあのエピソードで、私は信じられない位の量の涙を落とした。
ひとと一緒に暮らしていく、というのは、一緒に生きていくということ。
そのひとの幸せのために、一緒に幸せになるために。

読者にはきっと、強く惹かれる人物がみつかると思う。どこかに自分の心の底を表現されたような感情が書いてあるはずだ。
この本を、
どうかそっと手に取ってみてほしい。

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福岡金文堂志摩店 伊賀理江子
福岡金文堂志摩店 伊賀理江子
福岡県糸島市在住。2020年福岡金文堂志摩店入社。2022年頃から文芸文庫担当。夫がひとり娘がひとりの3人家族。江國香織が好き。大好き。ミステリやコワいものグロいものも大好物。整体ですべての筋肉が眠っていると言われたことがある。だからかよくつまづく。いろんな意味で。