『生を祝う』李琴峰

●今回の書評担当者●ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美

 町でマタニティマークを見かけるとはっとする。そして自分でも説明できないような気分になる。

 私の妊娠はいつも困難続きで不安が絶えなかった。最後の妊娠では、初期と後期は絶対安静を言い渡され、切迫早産で一か月入院した後出産予定日まで安静になった。帝王切開の手術台で、赤ん坊をとりあげた医者に、「子宮壁が薄いので今後は妊娠しないでください」と言われ、麻酔で朦朧としながら「絶対しません」と答えたほど、大変で辛かった。私は妊娠と出産にまつわる経験から、人の生死に関してどうにもならないことはあることを受け入れざるを得ないと知った。

 それでも、マタニティマークをつけた妊婦を見ると、ふわふわした幸福感のあとに、羨ましさを感じる。何が羨ましいのか、順調な誕生への道のりなのかもしれない。

 今回紹介するのは李琴美『生を祝う』(朝日新聞社)だ。同性婚や男女平等がなされた近未来では、「合意出生制度」が制定されている。妊婦は8か月を過ぎると「コンファーム」と呼ばれる環境や親の意思、胎児の性自認などを数値化する検査を受け、出産に合意した胎児のみ出産に至るというものだ。合意しなかった胎児はキャンセル(強制早産?)される。合意のない出産は違法だ。

 この制度は、安楽死など「死の自己決定権」の普遍化の後、「生の自己決定」に注目が集まり、胎児の出生意思確認の技術が実用化されてできた制度だ。親に望まれ、胎児が自分で生まれることを選択する。最初の意志が尊重されることは、その後の人生で子どもが自身の人生を受け入れることに肯定的になるという考えによる。

 主人公の彩華は合意して生まれてきたが、姉は合意出生制度以前に生まれた。そのせいか、小学校でも「合意出生」について肯定的に議論され、大人になったいまでは、「生の自己決定」は常識である。胎児に出生の不合意を突き付けられることは、妊婦にとっても大きな不安であるがそれらは流産の不安と同等にされている。

 本書を読むと、物凄く「普通」が揺さぶられる。

 さらりと触れられている文章でも、そこで立ち止まり、自分で情報を補足して自問自答する。そして、答えはでない。簡単に「答え」を出すことが難しい。「死の自己決定」ひとつをとってもその人が死を選ぶ原因となる困難は、「障害」が「障碍」といわれるように社会の中から生まれるのではないか、それならそちらを解決するべきでは。「自己決定」は「自己責任」と同じように機能しないだろうか。胎児の決定でその後の未来を摘み取ることは倫理的だろうか、8か月といえば胎外にでても生き延びられる可能性は高い。子どもを失う親は立ち直れない人もいるのでは。「普通」としてあまり考えてこなかったことが多く、コンファームを受けた主人公の選択も含め、本書を読むことで自分の「普通」の枠を揺さぶられた。

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ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
東京生まれ。2001年ジュンク堂書店に入社。自分は読書好きだと思っていたが、上司に読書の手引きをして貰い、読んでない本の多さに愕然とする。以来読書傾向でも自分探し中。この夏文芸書から理工書担当へ異動し、更に「本」の多種多様さを実感する日々。