『ピンク色なんかこわくない』伊藤朱里

●今回の書評担当者●ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美

 最近洋服を買う際ピンクを選ぶことが多い。生活に彩が欲しいと思う気持ちと、「ピンク」に対する自分の拘りがなくなったのだろう。もっとずっと若かった時、同年代の友達と「ピンク」を受け入れる難しさについて話したことがある。他の色であれば好きなら身につければよい、となるものを「ピンク」は「似合わない」とお互い避けてきた。敢えてピンク以外の色を選んだ最初の記憶は幼稚園のころだ。あまりに昔で自分がどう考えていたのかよく覚えていないのだが、何となくの反発と「これじゃない」という気持ちは覚えている。思春期になって、「ピンク」は世間が考えている(と思われる)女の子らしさを肯定し、それを身に着けることは自分が「女の子らしい」と宣言しているように思えて、「ピンク」を着るなんておこがましいという気持ちと、平然と着られる鈍感さへの恥ずかしさがあった。それがあるとき、友人の持つビビットなピンク色の携帯がとても素敵に見えた。そのころ私と友人はアメリカのドラマに夢中になっていて、ビビットなピンクは主人公のテーマカラーだった。「ピンク」は他人の眼から見た「女の子らしさ」だけでなく、こんな風に元気に自分らしさを主張することもあるのだと見方が変わった。今、私のクローゼットにピンクの占める割合は多い。パステル・グレイッシュ・スモーキー・ビビット。かつてに比べると、一口に「ピンク」といっても様々な色合いがあり、私の琴線に触れるピンクに出会えたということかもしれない。時代は変わるのだ。

 前置きが長くなったが、今回おすすめしたいのは、伊藤朱里著『ピンク色なんかこわくない』(新潮社)だ。本書は美人で浮世離れした長女、しっかり者で頭の切れる次女、マイペースで繊細だが小説家として成功する三女、そして年の離れた四女と、姉妹の母親の家族の物語だ。父親の存在感はない。というと『若草物語』のようにそれぞれ個性あふれつつも和気あいあいとした女たちの連帯の物語と思いがちだがそうではない。それぞれの姉妹たちの目線で語られる語りはなんとなくひやりとしていて、「家族」という場所で周囲に気を遣いながら自分の役割を演じているのに、その報われなさ、交わらなさを感じる。本当の自分というものがあるのか。それぞれ役割と自分の間で苦しみつつ、激しくぶつかるでもなく「家族」としてゆるりとつながっている。家族の誰かが均衡を乱しても、他の家族は心の中に不満をためつつ輪が切れぬよう飛び出たところに引っ張られながらいびつな円を描き続ける。けれど、次世代へ自分の負の面を引き継ぎたくないという思いが希望を生む。本書を読んだ人に聞いてみたい。あなたにとっての「ピンク」はなんですか。

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ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
東京生まれ。2001年ジュンク堂書店に入社。自分は読書好きだと思っていたが、上司に読書の手引きをして貰い、読んでない本の多さに愕然とする。以来読書傾向でも自分探し中。この夏文芸書から理工書担当へ異動し、更に「本」の多種多様さを実感する日々。