『無の国の門』サマル・ヤズベク

●今回の書評担当者●ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美

  • 無の国の門:引き裂かれた祖国シリアへの旅
  • 『無の国の門:引き裂かれた祖国シリアへの旅』
    サマル・ヤズベク,柳谷 あゆみ
    白水社
    3,520円(税込)
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 文学を分けるとき、その基準は出身地なのか、現在の居住地なのか、言語なのか民族なのか悩む。地図を見ても、その場所がどの国に属しているのか乏しい知識では分からなかったりする。迷うような地域は政治的にも複雑で人の移動が多く尚更だ。結局正解を見つけ出せないまま、作者のアイデンティティはこちらではないかとその時々で基準を変更しながら置き所を見つけていく。その過程で読む小説は、自分の当たり前が当たり前ではない場所があるという驚きや、人の営みや連帯はどこであろうと存在すると教えてくれる。

 今回紹介するのは、『無の国の門』(白水社)だ。作者のサマル・ヤズベクはシリア出身で、民主化と体制改革をもとめる「シリア革命」の成就を目指し非暴力の活動をしている。反アサド政権の立場から拘束され、パリ在住の女性作家だ。この書籍を私は中東文学に分けた。訳者の柳谷あゆみさんに、「中東」文学はどこまで含めてよいのでしょうかと質問した際、広いですよ、とお答えいただいた。柳谷さんのご縁で読むことができた『中東現代文学選◎2021』(中東現代文学研究会〔編〕/岡真理〔責任編集〕)によると、「中東」は東はアフガニスタンから西は北アフリカの西サハラ、モーリタニアまで三大大陸にまたがって25国以上を有する言語も社会も歴史も大きく異なる多種多様さだ。アラビア語の「ワタン」・日本語では「故郷」と「祖国」をテーマとして越境する内容は多岐にわたり、執筆言語は中東の言語だけでなく、朝鮮語やイタリア語、英語で書かれた作品も収録されている。オルハン・パムクの小説やドイツのトルコ移民やフランスのアルジェリア移民の話などで感じるが、彼らの社会のなかの女性は私たちより社会規範の縛りが大きい。

『無の国の門』は2012年の夏から2013年の8月の約一年間、パリ在住のサマルが女性や子供の支援活動のため3度帰国した際の記録である。頻繁な空爆と銃撃から逃げるため、町の人は門戸を常に開け放している。逃げる時は、反目しあう宗教や人種と関係なく協力しあう。男たちは家族や町を守るため、武器を手に取る。いつ砲撃されるかわからぬ恐怖から寝間着に着替えることができなくなるような切迫した日々だが、女たちは部屋を掃き清め、清潔な日常を保とうとする。命が危険に曝され、知人が目の前で拉致される。ヒリヒリするような体験ばかりだ。それでも読んでしまうのは、生と死が紙一重の日々のなかで極限まで研ぎ澄まされた感覚の、ハッとするような美しい文章があるからだ。そこで詰めていた息を吐き、自分なりに考えを整理する。答えはでない。

 最初は希望や理想を抱いていた人たちも、サマルが帰国する度疲弊するのがわかり、サマル自身も現場を訪れるたびに何かが少しずつ削り取られてゆく。最後の出国の際、国境で児童婚のため国境を越える少女に会う。その姿を見ながらサマルは、シリアは占領されてしまったことを悟り、祖国を後に自分が置いてきたものを考える。ぜひ一読して欲しい一冊だ。

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ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
東京生まれ。2001年ジュンク堂書店に入社。自分は読書好きだと思っていたが、上司に読書の手引きをして貰い、読んでない本の多さに愕然とする。以来読書傾向でも自分探し中。この夏文芸書から理工書担当へ異動し、更に「本」の多種多様さを実感する日々。