『ババウ』ディーノ・ブッツァーティ

●今回の書評担当者●ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美

  • ババウ
  • 『ババウ』
    ディーノ・ブッツァーティ,長野徹
    東宣出版
    2,750円(税込)
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 初めて大人向けの本を読んだ時の衝撃を忘れられない。

 いわゆる「ダメな大人」や「無為に生きるさま」が物語の主役になれるのだという驚き。一冊を費やして失敗を描いたりする。

 それまでは、失敗をしたり狡い部分があっても、主人公は手本となり成長する、自分の分身だった。だから読み終わったときは一冊の本から何かしらメッセージを受け取った気になって満足だった。例外はルナールの『にんじん』かもしれない。にんじんと母親との関係はそれまで自分が知っていた母子のそれとは違っていて、どう捉えたらよいかわからず心が痛んで暫く読み返すことができなかった。

 大人の本にはどうやら色々な出来事が描かれているらしいと知り始めた私が、父の本棚から拝借して夢中で読んだのは阿刀田高の短編集だ。今までに馴染みのある物語の型を使ったはなしもあったし、背伸びをして大人の世界を覗く楽しみもあった。

 今回イタリアの作家・ディーノ・ブッツァーティの短編『ババウ』(東宣出版)を読んでその時の気持ちを思い出した。

 表題の「ババウ」は子供をおどかすときに名の上がる想像上の生き物だ。このババウを巡って繰り広げられる人々の騒動が滑稽で、社会のある一面を写している。

 ある日突然現れて夜の街を闊歩しだしたババウは、人の心を映す鏡だ。無害にも恐怖の対象にもなれる。権力闘争に明け暮れ社会で汲々とする人に、ババウはこの上ない恐怖感を与える。そして、人が己の恐怖心からババウを排除しようとして何が起こるのか。ババウは黙って消えてゆくが、同時になにかも去ってゆく。それは人々の想像力や余裕かもしれない。かつては当たり前にもっていた豊かな何かかもしれない。因みに表紙は画家でもある著者が描いたババウの姿だ。クジラのような獏のような味のある姿をしている。

 他にも、社会的な地位も信用も高い人ばかりが住むアパートで起こる予想もしなかった出来事「誰も信じないだろう」は最後まで興奮が続くし、スティーブン・キングの『キャリー』ばりの抑圧と爆発を描いた「チェネレントラ」など、どの短編も粒ぞろいで一冊のうち最初から最後まで飽きさせず読ませる。 

 何者にもならず何も成し遂げてもいない大人の今、日々は出来事の連続で「何」の意味を考えている。「何」に捕らわれる自分は、何者でもない人が主役になれると知ったあのときより視野が狭いのかもしれない。ブッツァーティの短編はそんな日々の汲々に風穴を開けてくれる。

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ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
ジュンク堂書店池袋本店 小海裕美
東京生まれ。2001年ジュンク堂書店に入社。自分は読書好きだと思っていたが、上司に読書の手引きをして貰い、読んでない本の多さに愕然とする。以来読書傾向でも自分探し中。この夏文芸書から理工書担当へ異動し、更に「本」の多種多様さを実感する日々。