『凍りのくじら』辻村深月

●今回の書評担当者●岡本書店恵庭店 南聡子

 人生で茶柱が立ったお茶を一度しか見たことがない幸運なのか不運なのかわからない岡本書店恵庭店の南です。

 今月も読んでくださりありがとうございます。

 今月は辻村深月さんの『凍りのくじら』(講談社文庫)について書かせていただきます。

 内容は「少し・不在」な女子高生・芦沢理帆子が周りのSFな人たちとの関わりを経て、カメラマンになるというお話。

 めちゃくちゃ省略しました。書きたいことがたくさんあるんです!

 まずはSFな人たちとは?

 それはこの本の根幹に関わるのですが、この物語は辻村さんのものすごいドラえもん愛が詰まった作品だということ。

 各章のタイトルがドラえもんの道具の名前なんです。(しかも結構マイナーな道具もある)

 そしてSFな人たちとは、藤子・F・不二雄先生の「ぼくにとってのSFはサイエンス・フィクションではなく、少し不思議(SF)な物語」という言葉を受けて、理帆子が周りの人たちに心の中で勝手に名付けた「スコシ・ナントカ」な人たちのこと。

 一人きりでいると息が詰まるし、みんなで騒いでいても息が詰まる自分自身のことを「少し・不在」と称するに始まり、「少し・不幸」な母親、「少し・不健康」な同級生、「少し・不自由」な元カレ、と「スコシ・ナントカ」の人たちが理帆子の周りにはいっぱいいます。

 この「スコシ・ナントカ」は物語が進むにつれて変わったりするのですが、それは読んでのお楽しみ。

 次に各章のタイトルにもなっているドラえもんの秘密道具。

 もうこの物語のために藤子先生が作ったのではないかと思うくらい、ドンピシャにハマります。

 ドラえもんが出す道具のいくつかは単純に「いいもの、便利なもの」などではなく、使い方を間違えるととんでもなく自分の首を絞めるものもありますよね。

 理帆子の元カレはいくつかの秘密道具を所持していますが、どれも彼には悪く作用してしまっています。

 ドラえもんの道具は時に勇敢な心優しき少年・のび太が使うからこそ良き結末に結びつくのであって、ちょっと拗れた青年・元カレが使うと拗らせを助長してしまう。

 そして理帆子はこの拗らせをちょっと見ていたいと思ってしまう小悪魔。

 うん、現実ってこんなもんかも。とか思いつつ、いやいや世にはのび太のような人が大多数なはずと心を正す私は「少し・不善」なのかもと思ったりもします。

 そして話せない少年との出会い。この辺りから物語の歯車が動き出します。

 そうなんですよ。この小説はスロースタート。

 世の中を冷めた目で見る主人公やちょっとズレてる元カレなど、前半はなかなか読み進めにくいと感じる方もいるかもしれませんが、読んで絶対に後悔はしません。

 辻村さんの細かな心理描写に、泣けたり、ちょっとイライラしたり、ものすごくハラハラしたり、読んだ後に「ああ、そうなんだ!読み返したい!」って思う伏線ももちろんあるんです。

 何より辻村さんの小説には作品間のリンクがありまして、この作品の登場人物があの作品に出て来て、なおかつそれによって謎が明かされたり、なんてことも。

 もちろんこの『凍りのくじら』は読む順番リストの一番初めに来る作品。

 読む順番リストはネット検索すると出て来ますのでそちらをご参照いただき、ここから始まる壮大な辻村深月ワールドの第一歩を踏み出す助けになればと思います。

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岡本書店恵庭店 南聡子
岡本書店恵庭店 南聡子
大学生の時にアガサ・クリスティを読破、そこから根っからのミステリー好きに。読書以外ではハンドメイドと和装、テレビゲームが趣味。お店では手書きPOPを日々せっせと作っています。色んな本に出会える書店員になってよかったと思う今日この頃です。