第245回:まさきとしかさん

作家の読書道 第245回:まさきとしかさん

親子の愛憎、人間の業を二転三転の展開のなかに描きこむストーリーテラー、まさきとしかさん。近年では刑事が主人公のシリーズが大ヒット。ご自身では「ごく普通」という読書経験を通して培ってきたものとは? デビューまでの苦労や、あまりに強烈なので読書遍歴とは関係のない友達連れ去り事件も記事にしました。まさきさんの来し方と魅力的な人柄をご堪能ください。

その2「実家の"斜陽"」 (2/10)

――お父さん、怖い方だったのですか。お母さんはどんな感じだったのでしょう。

まさき:父親はあまり家にいなくて、笑った顔を見たことがないし、家にいる時は書斎にずっと閉じこもっていて家族とあまり話をしない人だったんです。食事の時はテレビを見るのも駄目だし、おしゃべりもいけなくて、フォークとナイフの持ち方とか、スープの飲み方とか教えられました。「8時だョ!全員集合」なんて絶対に見ちゃいけなかった。
 母は関西人で、面倒なことは嫌いで、遊んで暮らしたい感じの人というか。だから父親と暮らしている時はすっごくストレスだったと思います。母は結婚が遅かったので、きっとそろそろ結婚しなきゃやばいよね、みたいな感じで結婚したと思うんです。まさかあんな結婚生活が待っているとは思わなかったんじゃないかな。

――ちなみに現在、ご両親は...。

まさき:父親は私が小学校6年生の時に亡くなりました。母は今87歳なんですけれど、社交ダンスに行ったりして元気に遊んでいます。

――そういえばまさきさんは北海道在住ですが、幼い頃は違ったとか。

まさき:生まれたのは東京で、2歳のときに北海道の札幌に引っ越しました。
 うち、お金持ちだったんですよ。通いのお手伝いさんと運転手さんがいたんです。朝、運転手さんが家の正門にぴっかぴかの大きな車をつけて、羽ぼうきで車の埃をとっていて、父親が出ていくとドアを開けて...みたいな。庭には池があって滝があって鯉が泳いでいて、冬になると軽くスキーができて。

――わあ、絵に描いたようなお金持ち。

まさき:成金っていうんでしょうか。北海道の長者番付に名前が載るような家で、父親は海外や東京への出張で一年の半分くらいはいませんでした。
 私が小学校5年生の頃に父親が病気になって、性格もちょっと変わったんです。もともと気難しい暴君だったんですけれど、母に暴力を振るうようになりました。お酒も飲んでないのに、母を2階から突き飛ばしたり、ゴルフクラブで殴り掛かったりして。母が怪我をして病院に行ったとき、先生が何かおかしいと気づいて、警察に通報しようとするのを「自分で階段から落ちただけですから」みたいなことを言って止めたと聞きました。

――ゴルフクラブって...。下手したら死んでしまうではないですか。

まさき:そうなんです。私と弟が必死で止めたら、最後に母を蹴って部屋を出ていったのをよく憶えています。そういうのを子供の時に目の当たりして、母は父と結婚して不幸になったんだなと分かっていたし、離婚できないのは子供がいるからだし、手に職がないからだなとも思っていました。手に職のない女性が1人で生きていくのは難しい時代だったんです。
 母だけでなく、周囲を見ても、結婚している女性は誰1人幸せそうじゃなかった。なので小学校の頃から、女の人は結婚したら不幸になるから私は結婚しないで子供も作らないと決めていたんです。でも勉強ができないから、1人で生きていくためには文章を書くことしかないのかなって思っていました。

――壮絶でしたね...。

まさき:父親が病気になってからお金がどんどんなくなっていって、でも、父親は何もしようとしないんです。母が「子供たちのために生命保険に入って」と言ったら「俺が死んだら金なんかいらないだろう」って返したらしいんですよ。逆だろうって思いますよね? 闘病していた時期も本当にお金がないのに、父親は美味しいものを食べたがるんです。高級な白身魚を自分の前だけに並べさせて、母や子供たちには食べさせようとしなかった。
 父親が亡くなって家を売って、すごく貧乏になって中学校の制服も買えないという、そんな落差を味わいました。電気水道ガス全部止まったこともありましたし。太宰治の『斜陽』って感じですよね。

――今ちょっと思ったのが、さきほど好きな作品に挙げられた『若草物語』は父親不在の話だし、『小公女』『小公子』も実の父親を亡くした子の話だなあ、と...。

まさき:私も最近それに気づいたんですよ。「ママさんのケーキは世界一」も、結構な大人なのに1人で暮らしている女性の話だったし、なにか無意識のところで家庭環境が影響していたんだなと思いますよね。

――お母さんとの仲は良好なのですか。まさきさんの小説はいつも母と子が重要なモチーフになっていると感じるのですが。

まさき:自分では母と子をテーマにするつもりはないのに、気づけばいつも書いていますよね。それで考えてみたら、確かに父親が亡くなった後に母親が暴君になったように思います。私がとんでもない高校生だったので、その頃は母に衣紋掛けや掃除機のパイプ部分で殴られたことがあります。
 私はずっと何もできない怠け者で、高校に入るとプチヤンキーみたいになったんです。母にしてみれば私の何もかもが気にくわなかったと思います。自分がこんなに苦労して働いているのに、娘は好き勝手しているわけですから。口をきいてくれなかったり、イライラをぶつけられたり、暴言を吐かれたりしました。でも今、母はそういうことは忘れていると思います。自分は頑張って子供2人を育てたいい母親だった、と思っているかもしれない。

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