
作家の読書道 第245回:まさきとしかさん
親子の愛憎、人間の業を二転三転の展開のなかに描きこむストーリーテラー、まさきとしかさん。近年では刑事が主人公のシリーズが大ヒット。ご自身では「ごく普通」という読書経験を通して培ってきたものとは? デビューまでの苦労や、あまりに強烈なので読書遍歴とは関係のない友達連れ去り事件も記事にしました。まさきさんの来し方と魅力的な人柄をご堪能ください。
その5「運命の出合い1冊目と創作教室」 (5/10)
――そういうこともあった大学時代、読書に関しては。
まさき:1冊も本を読みませんでした。踊りに行ったり、とにかく遊んでいました。アルバイトも特にしませんでしたし。
――あ、もしかして、その頃ってバブル期ですか。
まさき:めっちゃバブル期です。遊ぶことが正義、みたいな。女性がディスコとかどこかに遊びに行けば男が寄ってきてお金を出してくれるっていう時代です。
今の時代も大学生は馬鹿だって叩かれることがあるじゃないですか。私から見たら全然馬鹿じゃないですよ。私の大学生時代はもっと馬鹿だったから、今の若者たちは立派だなって思ってます。
――その頃、文章で生きていくみたいな気持ちは薄まっていたんですか。
まさき:バブル期だったのでなんとでもなるだろうなって思っていたんですよ。ただ、文章を書く仕事に就きたい気持ちは漠然とありました。それで、先ほど言ったように、私の中で一大作詞ブームが来ました。銀色夏生さんのような作詞家になりたいと思って、ヤマハの作詞部門とか、いろんな賞に応募して佳作になったこともありました。
でも、作詞家になるのって難しいですよね。この会社に入ったらなれる、というものではないですから。それで大学を出た後は就職せずにアルバイトを転々としていました。コピーライターや編集者なら会社に入ればなれるので、そちらにシフトしたほうがいいのかなと考えるようになりました。
大学を出たら、みんな就職したので一緒に遊んでくれる人がいなくなるわけですよ。そうするとあまりに時間が余るので、また小説を読もうと思って。教科書で読んだ「羅生門」が面白かったなと思い出して、芥川龍之介を読み始めて「地獄変」に圧倒されて。牛車に乗った自分の娘が焼け死ぬところを見ているお父さんの目が爛爛としているっていう、その光景が頭の中に鮮やかに浮かんで、本当に衝撃的でした。
芥川を何冊か読んでから、日本の文豪と呼ばれる人たちをある程度押さえておこうかなと思って、太宰治や夏目漱石、三島由紀夫などを読みました。
それと、遠藤周作さんの『沈黙』。穴吊りにされた隠れキリシタンが苦しくてうめいているのに、神様は何もしてくれないという場面があるんですよね。生き地獄の中にいる時に、それまですがっていたものが手を差し伸べてくれないのはどんな絶望なんだろうと感じて、本当に恐ろしかった。遠藤周作さんは他に『深い河』が印象に残っています。
そうだ、その頃に、吉本ばななさんを読んで、村上春樹さんの『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の3部作とか、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ノルウェイの森』といったあたりも読みました。
それと、超訳のブームってありましたよね。シドニィ・シェルダン。
――ありました、ありました。
まさき:これこそかすみちゃんに「普通だね」って言われたんですけれど(笑)。『真夜中は別の顔』や『ゲームの達人』を読みました。
それとダニエル・キイスですね。『アルジャーノンに花束を』とか『五番目のサリー』とか『24人のビリー・ミリガン』とか。本当に話題になった本ばかりになってしまうんですけれど。
――『五番目のサリー』や『24人のビリー・ミリガン』は、今でいう解離性同一性障害を扱っていますよね。一時期そうした心理系の本がすごく流行りましたよね。『FBI心理分析官』とかもヒットしたし。
まさき:『FBI心理分析官』も読んだんですけれど、あれは、あまり本を読んでこなかった私にとってはちょっと難易度が高かったです。
――トリイ・ヘイデンとかは。
まさき:ああ!『シーラという子』を読みました! あれは夢中で読んだな。他には、もうちょっと後になって『"It"と呼ばれた子』も読みましたね。
それで、いよいよ運命の本と出合うんですよ。
――おお、なんでしょう。
まさき:藤堂志津子さんの『熟れてゆく夏』が直木賞を受賞したんですよ。私が24歳くらいの時でした。札幌在住の作家ということで書店さんに本が山積みになっていて、じゃあ読んでみようかな、という感じで読んだら、もうすごく好きで、「私はこういう本を読みたかった」って思いました。それから藤堂さんの作品をずっと、繰り返し読みました。
――どういうところが響いたのでしょうか。
まさき:なんていうのかな。「これは私のための小説かもしれない」と思うほど、自分と同じ感覚の人がここにいる、と思ったんですよね。幸せになれない人たち、ならない人たちが描かれているところに、「ああ、なんかすごく分かる」と思いました。当時自分が抱いていた、どうにもならないイライラした感じ、ヒリヒリした感じ、どこにも行けない感じが、薄皮をはいだように本当に痛く感じられたんです。ああいうのが「肌感覚」なんでしょうね。読んでいる間、皮膚の下がずっとざわざわしている感じで、それが味わいたくて読んでいた気がします。
――なんというか、希望のない話、バッドエンドの話も、なぜか読んでいて安らぐってことありますよね。
まさき:そう、自分の辛さってつまりこういうなんだなって分かるというか。小説を読むことで自分の心が客観視できることもある。あまりにハッピーエンドだと自分自身との間に齟齬があって受け入れられなかったりしますよね。私も当時、分かりやすいハッピーエンドの物語は好んでいなかったような気がします。
で、その頃、アルバイトを転々としていて暇だったわけですが、北海道新聞を読んでいたら、カルチャースクールの案内欄に創作教室というのを見つけたんです。その教室の講師が、藤堂志津子さんを世に出した川辺為三さんだったんですよ。藤堂さんは直木賞を獲る前に、「北方文芸」という北海道の文芸誌に小説を発表されていたんですけれども、川辺先生はその「北方文芸」の編集人で、藤堂さんの才能を見込んで小説を書かせたんです。私は藤堂さんのエッセイも読んでいたので川辺先生のお名前は知っていて、会いに行きたいなあ、と思って創作教室に申し込みました。
創作教室は生徒が20人くらいで、年配の方が多くて20代は私ひとりでした。そこでは、書きたい人が30枚くらいの小説を書いて、それを人数分コピーして、みんなで読んで順番に評するんです。褒める人もいれば、ぼろくそに言う人もいました。もちろん川辺先生も感想を言って、アドバイスしてくださるんです。
私、お金を払っているんだから書かないと損だと思ったんですよ。それで書いたら褒められたんです。今までの人生で褒められたことがなかったので「私、才能あるかも」って勘違いしちゃったんですよね。そこからどんどん書くようになりました。そうして書いたものを川辺先生が「北方文芸」に掲載してくれて...というのを2年くらい続けていました。
当時の「文學界」に同人誌が対象の賞があって。全国の同人誌に掲載された作品のなかから一番よかったものが選ばれるんです。それに私が書いたものが選ばれて、「文學界」に掲載されたり、ちょっと取材もされたりして、初めての晴れ舞台を迎えたようでした。
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