第245回:まさきとしかさん

作家の読書道 第245回:まさきとしかさん

親子の愛憎、人間の業を二転三転の展開のなかに描きこむストーリーテラー、まさきとしかさん。近年では刑事が主人公のシリーズが大ヒット。ご自身では「ごく普通」という読書経験を通して培ってきたものとは? デビューまでの苦労や、あまりに強烈なので読書遍歴とは関係のない友達連れ去り事件も記事にしました。まさきさんの来し方と魅力的な人柄をご堪能ください。

その7「運命の出合い3冊目と作家デビュー」 (7/10)

  • 新装版 顔に降りかかる雨 (講談社文庫)
  • 『新装版 顔に降りかかる雨 (講談社文庫)』
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――第3の出合いとなったのは、どの作品だったのでしょう。

まさき:桐野夏生さんの『柔らかな頬』です。直木賞を受賞されたんですよね。これもまた『レベル7』と同じくらい内容を憶えていないんですけれど、唯一憶えているのが、犯人が誰か分からなかったこと。そこにまったく不満を感じないくらい面白くて圧倒的で、こんなミステリがあるのかと思いました。
 このあいだ、また読んだんですけれど、やっぱり内容を憶えていないから夢中で一気読みしました。エンタメの要素も純文学の要素も入っていて、事件に至るまでの人間の感情、行動とその連鎖と、事件が起こった後の感情、行動、その余波をとことん書いて、その読ませ方に引きずり込まれました。
 そこから遡って桐野さんの江戸川乱歩受賞作の『顔に降りかかる雨』から始まる探偵ミロシリーズなどを読みました。ミロシリーズの完結編が『ダーク』なんですけれど、そこでミロは義父を殺さなければならなくなる。人気シリーズの主人公にそんなことをさせてしまう桐野夏生さんという作家の凄みに圧倒されました。
 そこからしばらく桐野さん時代が続きます。『OUT』とか『グロテスク』とか『残虐記』とか...。自分もこういう小説が書きたいけれど絶対無理だと思いました。

――ああ、まさきさんの現在の作風の源泉はどこにあるのかなって思っていましたが、いまちょっと納得しました。だって、最初は作風が違いましたよね。

まさき:そう、中央の文学賞に応募していた時はずっと純文学の賞に応募していたんですよね。「文學界」、「すばる」、「群像」...。私はデビューが43歳なんですけれど、そのデビューも純文学だったんですよ。その後、分岐点があって転換するんですけれど、その際に桐野さんを読んでいたことは大きかったと思います。

――デビューまでの経緯は。

まさき:30歳から35歳くらいまでは札幌にいて、そこからまた、なんとなく東京に行ったんですよ。たぶん、環境を変えたかったんじゃないかな。そして東京でコピーライターや編集の仕事を転々としました。
 東京に行ってまもなく、「群像」の蓬田さんという編集者から連絡がきたんです。以前北海道新聞文学賞で佳作を獲った時の選考委員の先生から私の名前を聞いたというんですね。それで「1回小説を送ってください」って。それで、蓬田さんに今までに書いてきたものを送ったら「なかなかいいですね。新しいものを書いて送ってください」と言われて、送ったのが「天国日和」という中篇で、これが「群像」に掲載されたんです。憧れの中央の文芸誌に。
 私はなにも分かっていなかったので、「これでデビューできる」と思ったんですけれども、そこからがもう、どれだけボツだったかっていう。桜木紫乃さんが最初の本が出るまでに段ボール何箱分もボツだったという話をよくされていますが、私も「よく分かります」っていうくらいボツの連続でした。私は中篇を書くので一篇100枚以上になるんですが、書いても書いてもボツ。ようやく担当編集者である蓬田さんがOKしてくれたものも編集長がボツにして、夜の10時頃に呼び出されてお説教されたんです。ボソボソ声だったのでよく聞こえなかったんですが、「お前の小説は全然新しくない。うちの優秀な蓬田に時間をとらせるな。こんなのずっと書いてても芽が出ないからやめちまえ」というようなことを言いたかったのかな、ってネガティブに考えてしまって。帰る時、シーンとしたエレベーターホールで蓬田さんが「編集長は励ましてくれたんですよ」って言ってくれて、でも私は心の中で「蓬田さん、それは違いますよね、私はクビですよね」って思って。
 その2年前に「文學界」の新人賞でも最終候補に残って、このまま書き続ければいけるんじゃないかと思っていたので、編集長に言われたことがものすごくショックで。ぺしゃんこにされたんですよね。そこから蓬田さんに原稿を送れなくなっちゃって、また別の雑誌の新人賞に応募するようになりました。でもどんどん駄目になっていって、このままでは小説家になれないし、なれなかったらどう生きていけばいいか分からない、となりました。
 それで、これはやっぱり小説を書くってことをスタートし直さなければならない、と思いました。私が小説を書き始めた位置といえば北海道ですから、もう1回北海道に戻って、中央の賞ではなくて北海道新聞文学賞で本賞をいただけるように頑張ろうと思って、札幌に帰りました。
 そうしたら前に勤めていた会社が「戻っておいで」と言ってくれたんです。ありがたく思って戻ったら、景気のいい時代は終わっていたので、定時で帰れるようになっていました。だから小説を書く時間もできて、それで北海道新聞文学賞を受賞することができました。

――2007年に「散る咲く巡る」で受賞されたんですよね。

まさき:そうです。そうしたら、「群像」から出版の部署に異動になっていた蓬田さんが、「よかったね、記念に本を出してあげるよ」って言ってくれて。それで中篇3篇を収めた本を出してもらえました。43歳の時でした。

――それが『夜の空の星の』ですね。よかった、ようやく本が出せた。

まさき:そこから普通は地に足がつくと思うんですけれど、まあ私なので(笑)、そんなことはないんですよ。
 これは受賞する前なんですが、勤めている会社がそろそろ潰れるなって感じたんです。潰れる前に辞めようと思っていたら、東京で職を転々としていた頃に勤めていた一社が声をかけてくれて、また東京に行ったんです。

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