『ふるさと銀河線』高田郁

●今回の書評担当者●丸善お茶の水店 沢田史郎

  • ふるさと銀河線 軌道春秋 (双葉文庫)
  • 『ふるさと銀河線 軌道春秋 (双葉文庫)』
    高田 郁
    双葉社
    660円(税込)
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 神は細部に宿る、という言葉をいつ、誰が、どんな文脈で発したのか、諸説あって正確なことは分からない。だが誰が言ったにせよ、この場合の〈神〉は字義通りに神様を意味するだけでは、恐らくあるまい。仕事は細部に宿る、学問は細部に宿る、芸術は細部に宿る、優しさは細部に宿る、礼節は細部に宿るetc......。といった具合に、立場や状況に応じて十人十色の解釈が可能だろう。
 ならば僕はと言えば、髙田郁の『ふるさと銀河線』(双葉文庫)を読み終えた今、幸せは細部に宿る、のではないかと考えている。

 収録される九つの短編には、リストラを家族に打ち明けられず、一人で不安を背負い込む父親がいる。都会に進学することに故郷を裏切るような罪悪感を覚えて、進路に迷う中学生がいる。訪問先で塩でも撒かれかねない対応を受け、それでも頭を下げ続ける営業職がいる......。
 どの主人公たちも、腫瘍の如く心に巣食った失意や落胆のせいで、明るい未来を信じられなくなっている。いや、未来そのものを怖れてさえいる。「明日○○だったらどうしよう......」という、誰もが経験したことのある、あの不安。
 しかしそういう時、僕らが必ずと言っていいほど忘れていることがある。

 江戸川柳に《いいかげん 損徳もなし 五十年》という名句がある。人間五十年と言うけれど、その五十年を生きてみたら損したことと徳(得)したことと半分半分、プラスマイナスゼロだったなぁ、ぐらいの意味であろう。苦あれば楽ありとも言うし、人間万事塞翁が馬なんて言葉もある。「虹が見たければ雨は我慢しなくっちゃ」と言ったのは誰だったかな。
 要するに、禍福はあざなえる縄の如し、なのである。しかし僕ら凡人は、頻繁に〈禍〉を嘆くことはしても、〈福〉に感謝することをつい忘れがちだ。それどころか、大きな〈福〉を欲張るばかりに、身の周りに溢れる小さな〈福〉を、片っ端から見過ごしていやしないだろうか。
 そこに気付くのだ、『ふるさと銀河線』の主人公たちは。そして同時に、僕らに気付かせてもくれるのだ。

 例えば第一話。大学生と高校生の子どもを抱えていながら失業したら、そりゃあ不安で一杯だろう。会社に言いたいこともあるだろう。二十年以上に亘る会社員人生を悔やんだことも一度や二度ではない筈だ。
 しかし、彼は思い出す。確かに自分は不運かもしれないが、それと同程度の幸福も与えられているということを。不満や憂いが霧消することはないだろうが、喜びや笑いが枯れ果てることもないということを。
 物語の終盤、彼が一言「旨い」と呟く場面があるのだが、必ずしも口に運んだ料理のことを言った訳ではあるまい。口下手な彼が──口下手とは一言も書かれてはいないが、ここまで読んだ読者が彼の口下手を想像するのは容易い筈──溢れ出てくる万感の思いに言葉が追いつかず、どうにか絞り出したのが「旨い」という一言だったのではなかろうか。いやぁ、思い出しただけでも目が潤む。

 或いは第二話。たまたま同じ電車に乗り合わせただけで、縁もゆかりも無い五人の男女。彼らは、やはり縁もゆかりも無い車窓の外の情景に、ともに心を痛めている。どうなることかと、心配顔で囁き交わしている。それが杞憂だと分かって、やれやれ一件落着。駅に着くと元通りの日常、それぞれが会釈を交わして去ってゆく。ただそれだけの話なのだが、「いい一日だったな」との五人の思いが、手に取るように伝わってくる名短編だ。
 決して自分の人生と交わることはない赤の他人のトラブル。その解決を確認できた。自分には関係ないけどホッとした──。幸せとは、こういう些細なところに宿っているのではないだろうか。こういう些細な喜びをないがしろにしないことこそが、幸せになる秘訣ではないだろうか。

 第六話と第七話には、アルコール依存症と懸命に闘う女性が登場する。彼女はある日、告白する。《明日は飲んでしまうかも知れない》と。しかしすぐに、宣言するように言い添える。《けれど今日は飲まない》と。《そんな「今日」を積み重ねて行こうと思うのです》と。
 恐らく彼女は、明日が怖くてたまらないのだ。明日の自分を完全には信頼しかねているのだ。けれど、精一杯「今日」を生きることで、飲まずに過ごす「今日」を慈しむことで、人生に怖れではなく希望を見出そうとしているのだ。
 他人から見れば、たかがそんなこと、かも知れない。しかし、その"たかが"を愛でることができる心根は、決して"たかが"ではない。

 そんな訳で、最後にもう一度言っておきたい。幸せとは、きっと、細部にこそ宿るのだ。

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丸善お茶の水店 沢田史郎
丸善お茶の水店 沢田史郎
小説が好きなだけのイチ書店員。SF、ファンタジー、ミステリーは不得手なので、それ以外のジャンルが大半になりそう。 新刊は、なんだかんだで紹介して貰える機会は多いので、出来る限り既刊を採り上げるつもりです。本は手に取った時が新刊、読みたい時が面白い時。「これ読みたい」という本を、1冊でも見つけて貰えたら嬉しいです。