『ネガティブ・ケイパビリティ』帚木蓬生

●今回の書評担当者●丸善お茶の水店 沢田史郎

  • ネガティブ・ケイパビリティ  答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
  • 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)』
    帚木蓬生
    朝日新聞出版
    1,430円(税込)
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 答えが簡単に分かってしまう事の張り合いの無さを最初に意識したのは、もう二十数年前、カーナビを使い始めた頃かも知れない。
 迷子になって、右だ左だいやUターンだと地図を見ながら喧々囂々したり、畑仕事をしているおばちゃんに「すみませ~ん、道をお尋ねしたいんですが~!」と声をかけたり、ついでに穴場の温泉を教えて貰ったり、曲がるところを間違えた先で思いがけず絶景に遭遇したり。
 そういった"予定外"の思い出が、カーナビを使うようになって随分減った。

 だったらお前はカーナビを使わなければ良いだろう。そう反論されるかも知れないが、実はカーナビは話の喩えとして挙げたまでで、その是非を論じたい訳ではない。
 労せずして"答え"を得られる事に、僕らは慣れ過ぎてはいないだろうか? 与えられた"答え"を、安易に受け入れ過ぎてはいないだろうか? 『ネガティブ・ケイパビリティ』(帚木蓬生/朝日選書)を読んで、そんな疑問が湧いたのだ。

〈ネガティブ・ケイパビリティ〉とは聞き慣れない言葉だが、一言で言えば《どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力》を指すという。もう少し説明を加えると、正しい答えが見当たらない時、改善する手段を持たない時、"どうしようもない"というその状況を受け入れてじっと辛抱する力の事を言うらしい。

 それが現代人には不足していると、著者は言う。僕らが生きていく上では、"問題を解決する力"以上に、"解決できない問題を抱えたまま耐える力"こそが必要になると提言する。何故ならば、《むしろ人が生きていくうえでは、解決できる問題よりも解決できない問題のほうが、何倍も多い》からだと。

 それを僕たちは、見過ごしていやしないだろうか? "答え"が分からないとイライラしたり焦ったり、そういう不毛な神経戦を己で勝手に作り出して、勝手に疲れていたりはしないだろうか?
 例えば、春先のマスクパニックなどはその典型だったのかも知れない。泣こうが喚こうが無いものは無いのであって、供給が追い付くまでは自作するなり密を避けるなり、無いなりに工夫を重ねて凌ぐしか仕方がないのだが、この"仕方がない"を我慢出来ずに焦ったり苛立ったりする。ドラッグストアの店員を怒鳴り散らすに至っては、おもちゃ売り場で「欲しい欲しい」と駄々をこねる幼児と変わらん。いや、人の心を抉らないだけ、幼児の方がまだマシだ。怒鳴ってマスクが出てくるなんて、そんな魔法がある訳なかろう。世の中には、どうしようもない事があるのだ。人生には、どうにもならない事があるのだ。それに耐える力を養おうと、本書は言う。

 勿論、著者は、新型コロナウィルスに感染して生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人や、それを救おうと日夜奮闘を続ける医療従事者、或いは経済的に追い詰められて日々の暮らしもままならない人にまで、「どうしようもない状況を受け入れて耐えろ」などと言っている訳ではない。断るまでもない事ながら、絶対に誤解されてはいけないところなので念を押しておく。
 そうではなくて、差し当たり生活が破綻するほどの支障は無いけれど、医療の知識も技術も無く何の解決手段も持たない僕らフツーの人々に対して、「自棄にならず、されど諦めもせず、ケリがつくまでは辛抱しよう」と言っているのだ。《何もできそうもない所でも、何かをしていれば何とかなる。何もしなくても、持ちこたえていけば何とかなる》 《今すぐに解決できなくても、何とか持ちこたえていく、それは一つの大きな能力だ》と、そう助言してくれているのだ。

 例えばスポーツでも勉強でも、どんなに努力を重ねても上達しない、成績が上がらないという時期はあるもので、「こんなに頑張っているのにどうして伸びないんだろう」と泣きたいような気持を抱えながら、それでも馬鹿正直に努力を続けていると、ある時期を境にそれまでの苦労が嘘のように急成長する、という経験をした方は少なくないのではあるまいか。それは伸びない時期に「やっても無駄だ」「自分には向いてない」などと性急に答えを出さずに、じっと辛抱できたからこその結果だろう。
 ちょっと喩えが卑近に過ぎたかも知れないが、〈ネガティブ・ケイパビリティ〉とは、恐らくそういう能力の事を言うのだ。

 それを著者は、詩人のジョン・キーツからシェイクスピア、ユルスナールに紫式部、自身の精神科医としての体験まで駆使して、諄々と説く。ともすると話が四方に広がってとりとめのない印象を受けたりもしたが、一貫しているのは「世の中には、すぐには解決出来ない問題の方が多い」という忠告、そして、「だからこそ"性急に答えを求めない能力"を見直そう」というアドバイス。
 物事が上手く運ばずにストレスを感じた時に、「今はどう仕様もないから、暫くは我慢しよう」と、そんな風に考えられるようになったら、きっと僕らは、随分と強くなれるのではあるまいか。

 それにしても、とここでもう一歩踏み込んで考えてみたい。僕らはいつから、こんなにせっかちに"答え"を欲しがるようになったんだろう? 無論、そうあるべく教育されてきたという面はあるだろう。何しろ物心ついた頃から常に、〈正しい答え〉を〈イチ早く〉導き出す能力ばかりを訓練されてきたのだから。入試などはその代表だ。
 けれど、似たような教育を受けていた筈の昭和50年代や60年代の日本人が、今の僕らと同じようにせっかちだったとは、その時代を未熟な年齢ながらも生きていた一人として、ちょっと考えにくいのだ。〈ネガティブ・ケイパビリティ〉などと気負わずとも、分からないものは分からないものとして、仕方ないものは仕方ないものとして、辛抱すると言うか放っておく事ができていたように思うのだ。

 では、その頃と今とでは、何が違ってしまったんだろう? という疑問を提示すれば、「あっ!」と思い当たる人も多いだろう。そう、インターネットだ。
 とりわけスマホが普及して以降、いつでもどこでもネットに接続できる事が当たり前になると、必ずしも答えを必要としない事、知らなくても困らない事、何の興味も抱いていない事までをも、僕らは貪欲に漁りにいくようになった。それどころか、知らずにいた方が心安らかでいられる事まで検索して、挙句、落ち込んだり苛立ったりしているのだからご苦労様だ。こうなるともう、スマホを使っていると言うよりも、スマホの奴隷と言った方が適当だ。

 そんな風潮に、警鐘を鳴らす本が出た。アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳『スマホ脳』(新潮新書)は、スマホに限らず日常的にインターネットを使っているなら、大人も子供も一度目を通しておいて損はない。
 といったところで、さすがに長くなり過ぎたので、以降は次回に譲りたい。

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丸善お茶の水店 沢田史郎
丸善お茶の水店 沢田史郎
小説が好きなだけのイチ書店員。SF、ファンタジー、ミステリーは不得手なので、それ以外のジャンルが大半になりそう。 新刊は、なんだかんだで紹介して貰える機会は多いので、出来る限り既刊を採り上げるつもりです。本は手に取った時が新刊、読みたい時が面白い時。「これ読みたい」という本を、1冊でも見つけて貰えたら嬉しいです。