『いとしいたべもの』森下典子

●今回の書評担当者●明林堂書店ゆめタウン大竹店 船川梨花

  • いとしいたべもの (文春文庫)
  • 『いとしいたべもの (文春文庫)』
    典子, 森下
    文藝春秋
    814円(税込)
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 食欲の秋という魔法の免罪符を手に入れ、今年は秋の味覚をとことん堪能した。先日遊びに行った大阪で泊まったホテルは出て30秒でご飯とお酒にありつけるという夢のようなところで、そのまま移住したいほどだった。生ぶり大根と一緒にいただいた日本酒はとっても美味しいかった、おしゃれなバーで食べたアーモンドスライスがたっぷりなクレープとドイツビールの組み合わせは絶妙だったなぁ。結果、少しだけボリュームが増したので誰かに指摘される前に「冬に向けて蓄えてます」と自己申告するようにしている。

 先月より少し、少しだけ大きく成長した私が今回紹介させていただくのは森下典子さんの『いとしいたべもの』。時にくすりと笑ってみたり、時にはほろりと泣いたりできる美味しい23品の思い出のエッセイ集なのだが、各品ごとに描かれている挿絵が各エピソードをより鮮明にイメージさせてくれ、どこか懐かしさを感じさせてくれる。
 私がおいしいものが出てくる作品を好きになったきっかけと言ってもいいほど、冒頭の「たべものの味にはいつも、思い出という薬味がついている」という一文を初めて読んだときの衝撃は忘れられない。ここまで心の中にぴったり綺麗にパズルのピースのようにはまった言葉はないと思う。迷宮入りの謎を解いたり、急に異世界に飛ばされて世界を救ったことはなくても、誰かと食べるご飯の美味しさは誰もが一度は経験していると思うので、この一文はどの人にもはまるはずだ。

 幼い頃の家族との思い出の中にある一品、切ない恋の思い出の中にある一品など誰かの心にも覚えのあるようなエピソードの中でも「食べ物に対しての着眼点がすごい!」と感心したのが『水羊羹のエロス』は特におすすめさせてほしい。水羊羹を食べるたびに私は森下さんのように水羊羹を「女」のように思ってしまう。エッセイのいいところはどのページから、どの品からいっても自由だと思うので、ぜひお好きなお品を見つけてほしい。

 私自身の思い出の味は、義母がこの季節になると作ってくれる大根の千枚漬け。義母が作ってくれる千枚漬けがとにかく大好きで、数年前に風邪を引いて寝込んだ時に意識が朦朧とする中で夫に泣きながら体調の苦しさと一緒に「おかあさんの千枚漬けが食べたい」と懇願したみたいで、急なお願いにも関わらず千枚漬けをすぐに作って届けてくれた義母の優しさが嬉しくて「あぁ、結婚してよかったな」と何十回目かの言葉を呟かずにはいられなかった。
 大人数で集まってご飯を食べる機会が減り、誰かと食べるご飯のありがたさが身に染みたコロナ禍だからこそ美味しい作品が心を温めてくれると思う。美味しい作品は決して誰も傷つけない読むビタミン食品なので、年末に向けてお疲れが出るこの時期に少し休息をする時のお供にいかがでしょうか。

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明林堂書店ゆめタウン大竹店 船川梨花
明林堂書店ゆめタウン大竹店 船川梨花
山口県岩国市育ち。13日の金曜日生まれの宿命かホラー好き、読むのはお昼派。ジャンル問わず気になった作品は何でも読みたい欲張り体質。本を読む時に相関図を書くのが密かなマイブーム。