『鬼の筆』春日太一
●今回の書評担当者●未来屋書店宇品店 河野寛子
「お前は原稿用紙のマス目を使ってサイコロを振っている"映画の賭博者"だ!」黒澤明が言うこの橋本忍とは一体どんな人物だったのか。
映画好きには知られた脚本家だが、娯楽で映画を嗜む程度の私は名前を聞いてもピンとこなかった。しかし彼の書いた作品名を見れば知らない人の方が少ないだろう。「羅生門」「八甲田山」「七人の侍」「私は貝になりたい」「砂の器」。いずれも原作やタイトル、監督の名はすぐに浮かぶが、脚本家のそれは大ヒットしたにもかかわらず、記憶されてこなかった。
本書は、取材開始から刊行までに12年も要し、橋本忍という脚本家の道のりを徹底的に探ったものだ。本人へのインタビューと、周辺ぐるりの語る橋本像を知れば、あらためて彼の手掛けた映画のそこかしこに滲み出る、橋本忍の筆跡に気づくことができる。
橋本忍は1918年、兵庫県の貧乏な集落の小料理屋に生まれた。父の徳治は大の博打好きで、店が軌道に乗ると新たな事業に手をつけた。芝居小屋の運営だ。客入りの明暗分かれる興行だが徳治の直感は冴え、いつも芝居は盛況だったという。そんな父親に憧れた橋
本少年も後に、大の博打好きへと成長するのだが、その前に戦争という一時代が忍び寄る。
1938年、橋本は出征の直前、肺結核の診断により隔離病棟で治療を余儀なくされた。そこである映画雑誌の脚本を目にし「これなら書ける」と興味が湧くも、ある日、自分の命が残り2年だと宣告されてしまう。
勝手に療養所をぬけ出した橋本は、海軍工場で働きながら脚本執筆に打ち込んだ。監督・脚本家の伊丹万作に師事した後は、佐伯清に面倒を見てもらうのだが、この時余命の2年はとうに過ぎていた。
佐伯と黒澤明との繋がりを知ると橋本は、これまでの脚本を見てもらうよう頼み込んだ。そこから芥川龍之介『藪の中』の脚本が黒沢の目に留まり、次回作品の映画として選ばれる。これが後に大ヒットする「羅生門」だ。当時、無名の新人が黒澤明の脚本を書くのはまずありえなかった。ここから橋本忍の脚本家人生が始まる。
無名の橋本になぜそんなことが出来たのか。勿論、共同脚本のせいもあるが、「藪の中」を「羅生門」に蘇らせる技を、博打や病気、父親の背中から既に磨いてきたことに注目したい。
橋本は脚本にする原作を前にして、まず作品の姿、形はどうでもよく、真の急所を仕留め、しっかりと殺し、血を抜き取る見方をする。どんな原作小説でも完全はありえない、その作品が目指す方向を見抜きさえすれば僅か26文字の一節から一本の映画「砂の器」にも仕上げられた。ここに父徳治の目利きの遺伝子が窺える。
脚本家として幾つもの鬼をねじ伏せ、ワープロが壊れるまで書き続けた作家橋本忍。病と抗い百歳まで生きた彼は、構成の人であり、腕力の人であり、経営の人であり、自信家な勝負師であり、父親に憧れ続けた人だった。
自由を求め、河原乞食を夢に見た、面白い男がここにいる。
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- 未来屋書店宇品店 河野寛子
- 広島生まれ。本から遠い生活を送っていたところ、急遽必要にかられ本に触れたことを機に書店に入門。気になる書籍であればジャンル枠なく手にとります。発掘気質であることを一年前に気づかされ、今後ともデパ地下読書をコツコツ重ねてゆく所存です。/古本担当の後実用書担当・エンド企画等