『汚穢のリズム』酒井朋子・奥田太郎・中村沙絵・福永真弓 編著

●今回の書評担当者●未来屋書店宇品店 河野寛子

  • 汚穢のリズム きたなさ・おぞましさの生活考
  • 『汚穢のリズム きたなさ・おぞましさの生活考』
    酒井 朋子,中村 沙絵,奥田 太郎,福永 真弓,オスカー・レン,古田 徹也,原口 剛,比嘉 理麻,市原 佐都子,斎藤 喬,藤原 辰史,井上 菜都子
    左右社
    2,640円(税込)
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「汚穢」。これはおわいと読むらしい。
昔は汚穢屋というと糞尿汲取人を指したように、汚穢は汚れたもの、汚いもののことをいう。

汚いものは遠ざけたいし見たくもない。
けれどある人からすればそれはゴミではなく意味や思い入れのあるものであり、見方が変わると別の価値がそこにはあるようだ。

その昔、汚れた瀬戸内海の水をキレイにしたところ、魚が捕れなくなってしまった。漁師たちはキレイな海ではなくて豊かな海が欲しいと話した。そこでもう一度下水処理の一部を海に流したところ、再び魚が獲れるようになったそうだ。

言い換えれば水を汚して海は豊かになった。

ほどよい汚穢を混ぜたこの濁りの価値は、キタナイの対局にキレイを置かないことで生み出される、様々な汚穢との折り合い=濁りを本書は追っている。

目をそらしたいものに着目する本書は、怖いもの見たさもあるけれど、どこかマゾヒスティック(被虐的)な世界へ私たちを誘い込む。
なにより嫌悪するばかりではない汚穢は厄介で、植物や人間、動物などが融合したグロテスク紋様が起源の「グロテスク」もその一つだ。
このキメラ的な形態には、美しさと吐き気を覚える。

この吐き気は、融合部分=濁りに接して、自分の領域か相手(汚穢)の領域なのかが曖昧になり、思わず拒絶したくなる自然な反応なのだろう。そんな言葉に見出せないものを、掲載されたえも言われぬ感覚のアート作品が補っている。

口絵には使い古され劣化した口紅の写真がある。(石内都「Mother's#35」)じっと見ているとその気持ちの悪さに、使っていた人の日常と時間が少しずつ滲みはじめていることに気づく。タイトルにある「リズム」は、ここに見える汚穢の日常のことかもしれない。

汚穢のリズムは、グロテスクな日常を垣間見、それを理解した時に伝わりはじめる。

この他にも日常の汚穢の一つ、「きりがない」の項では住居に発生する虫について、「整わない」では入りきらなくなった本棚一帯のあり方について、など数々の汚穢と対峙するエピソードが語られる。
本書は各分野の研究者が見た日常の汚穢をエッセイでつづり、学術では表現しきれない部分を芸術家に託した巧みな一冊となっている。

こうして見ると小説の中にも汚穢がドラマを作る重要な要素として生息しているように思う。例えば移植を書いた『あなたの燃える左手で』は体内侵略と拒絶だし、依存とスケープゴートを描く『黄色い家』は共生と排除にあたるだろう。

汚穢は想像以上に間口が広く、レベルやグラデーションを理解しないと、融合のあり方に気づくことができない。骨は折れるが自分の一部が汚穢と混じり合う融合部分を、グロテスクとみるのか豊かとするのか、いずれにしても濁りを楽しんだもん勝ちのようにすら思えてくる。
だから、家に着いたとたん家族にファブリーズを噴射されたとしても、それは共存してゆく証であり、けして落ち込まなくても大丈夫ということを、本書から受け取ってほしい。

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未来屋書店宇品店 河野寛子
未来屋書店宇品店 河野寛子
広島生まれ。本から遠い生活を送っていたところ、急遽必要にかられ本に触れたことを機に書店に入門。気になる書籍であればジャンル枠なく手にとります。発掘気質であることを一年前に気づかされ、今後ともデパ地下読書をコツコツ重ねてゆく所存です。/古本担当の後実用書担当・エンド企画等