『君が手にするはずだった黄金について』小川哲

●今回の書評担当者●明屋書店空港通店 久保田光沙

  • 君が手にするはずだった黄金について
  • 『君が手にするはずだった黄金について』
    小川 哲
    新潮社
    1,760円(税込)
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 この本は現代版『日の名残り』だ。

 私は大学の課題で渋々『日の名残り』を読んだことがある。当時の私は、主人公の執事のプライドの高さにイライラし、「早く告ってフラれてこいよ!」と怒鳴りたくなった。

 だが、書店に就職した私は、カズオイシグロがノーベル文学賞を受賞したとき、大学へ行ってよかったと初めて思えた。お客様には「怒鳴りたくなりますよ」とはもちろん言わず、「著者が主人公に憑依しているかのような心情描写が良いです」と言って勧めた。これは本心で、カズオイシグロは元執事かもしれないと経歴を調べてしまったほどだ。

 小川哲のこの本を読んだ時、私はあの執事を思い出した。小説家をしている主人公はプライドが高いし、彼女のお義父さんに「甘やかされて育ったやつ」と言われるほど、彼は苦労を知らないように見える。小説家をこんなにもリアルに書けるのはすごいと思ったが、この本のモデルは著者の小川哲自身だった。でもこの本はエッセイではないから、著者が真実を書いているわけではない。小説だからフィクションだ。実際はとても苦労して東大に合格しただろうし、直木賞を受賞するまで大変な苦労があったと思うが、自分を良く見せてしまう下積みの部分をあえて削っているから、読み手は主人公の小川に対して偉そうな奴だと思い、イライラしてしまう。

 さらに小川は、東日本大震災から数年後に、震災の前日は何をしていたかと考え始めたり、詐欺をしている友人がいても高みの見物をしていたり、偽物の高級腕時計をしている漫画家に対して遠回しにからかったりと、なんかいけすかない奴なのだ。

「自分に都合よく記憶を変えていたことよりも、被災者のことを考えろよ」「関わらないと決めた人を陰で面白がるな」など私の文句は絶えなかった。

 なぜ私は執事や小川に対して腹を立てているのか? それは二人が私と似ているからだ。

 私もプライドが高いと自覚しているし、苦労知らずの一人っ子で甘ったれで童顔である。そして私も自分に都合よく記憶を変えたことがある。私は大学生の時、神戸にある立ち食いのどて焼きを一人で食べた。しかし、人見知りで、外食は勝手知ったるチェーン店のみと決めている私が、そんな店に入れる度胸はないはずだ。神戸で一人暮らしをする友人にかっこつけたくて、一人で行ったと嘘の報告をして、それをそのまま記憶にしてしまったのではないかと思っている。その証拠に、どて焼きの味の記憶は全くない。

 つまり私は、執事や小川に対してイライラしているのではなく、自分に腹が立っているのだ。この本を読んで腹が立たったり落ち込んだりしない人は、きっと聖人だ。

 最後に小川哲先生、ご結婚おめでとうございます。ご自身を小説家と名乗りたくないそうですが、ご家族やファンのために、一流作家だと言ってください。私たちは小川哲先生を超一流だと確信して愛しています。

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明屋書店空港通店 久保田光沙
明屋書店空港通店 久保田光沙
愛媛生まれ。2011年明屋書店に入社。店舗や本部の商品課などを経て、結婚し、二回出産。現在、八歳と二歳の子を持つ母でもあり、妻でもあり、文芸担当の書店員でもある。作家は中村文則、小説は「青の炎」(貴志祐介)が一番好き。昨年のマイベスト本は「リバー」(奥田英朗)。