『市場界隈』橋本倫史
●今回の書評担当者●HMV&BOOKS OKINAWA 中目太郎
沖縄で「県民の台所」と呼ばれた市場、正式名称「那覇市第一牧志公設市場」は老朽化のため建て替え工事を行うことになり、2019年6月に閉場しました。沖縄の海でとれた新鮮な魚、年中行事に欠かせない餅、伝統料理を作るための鰹節や昆布など、沖縄県民の食を担ってきた市場の建物内の各店舗は、およそ100メートル離れた場所に建設された仮設市場で営業を続けることとなります。
私が沖縄に住み始めたのは2019年の9月からで、閉場前の市場を見ることはありませんでした。
終戦後の闇市を起点とし、戦後の沖縄とともにあり続けた公設市場。そこはどのようなものだったのでしょうか。
『市場界隈』は著者の橋本倫史さんが、2018年から2019年にかけて公設市場とその周辺のお店に取材を行ったものです。内容は多岐にわたりますが、店主の出身地ひとつとっても、沖縄本島北部の名護、最南端の糸満、宮古島、久米島、そして県外まで。いろいろなところから来た人が市場とその界隈を形成しています。戦後の沖縄でどのような人々が何を買い、どう暮らしていたのかがそれぞれの言葉で克明に語られています。
この本、内容も非常に貴重なのですが、特筆すべき点は店主の言葉なのです。文字で書かれた文章なのに、まるでその人が喋っているかのように感じられます。会ったこともないのに。
「山城こんぶ店」の粟国和子さんの言葉を例に挙げます。
「あの接客はすごく不思議で、仕入れにきたお兄さん達に対して、うちのおばあさんは怒鳴っているわけよ。でも、怒鳴られているのに、お客さんは笑っている。なんだろうこの雰囲気はって思ってたね。」
おばあさんを思い出しながら語っている、その表情や呼吸さえ感じられそうな文章です。「~わけ」というのは沖縄特有の言い回しですが、それを使っているから沖縄っぽくなるわけではありません。言うなれば「粟国和子さんっぽい言い回しを採録している」と感じられるのです。会ったことはないんですが、そう感じてしまいます。
市場は建て替えられ、市場を取り巻く界隈も変わっていきます。しかしこの本には、その場所で暮らしてきた人間の息づかいが記されています。市場とその界隈の人々が積み上げてきた歴史とその人々の魅力をそのまま伝えてくれる本です。
仮設市場へ移ってからの2019年から2022年にかけての様子は同著者の『そして市場は続く』に収録されています。仮設市場への移転とコロナ禍が、沖縄に、市場界隈に、どれほど大きな影響をもたらしたのかが記されています。2023年3月19日、公設市場はリニューアルオープンを果たし、多くの人で賑わいました。これからどのような歴史を積み上げていくのか楽しみです。
『市場界隈』には、市場のすぐ向かいにある古本屋も掲載されています。「市場の古本屋ウララ」です。店主の宇田智子さんは古本屋を営みつつ複数の著作もあり、橋本倫史さんと対談もされています。
ちくま文庫から刊行された宇田智子さんの『増補 本屋になりたい』は、『市場界隈』を紹介するうえで外せない本です。(つづく)
- 『八月の銀の雪』伊与原新 (2023年9月14日更新)
- 『沖縄島料理 食と暮らしの記録と記憶』岡本尚文=監修・写真、たまきまさみ=文 (2023年8月10日更新)
- 『眠れない夜にみる夢は』深沢仁 (2023年7月13日更新)
- HMV&BOOKS OKINAWA 中目太郎
- 大阪生まれ、沖縄在住。2006年から書店勤務。HMV&BOOKSには2019年から勤務。今の担当ジャンルは「本全般」で、広く浅く見ています。学生時代に筒井康隆全集を読破して、それ以降は縁がある本をこだわりなく読んでみるスタイルです。確固たる猫派。